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深く眠るトモくんの額に手を遣り熱を測った。脈も診たけど異常はない。ホッとして額にキスを落として髪を梳き、滑らかな茶色い耳を触った。愛しいトモくんは身じろぎもせず、子どものようなあどけない顔で無防備に眠っている。
荷物から虫よけの香を取り出しトモくんの足元に設置する。
この森にはケンタウロスに害をなす者はいない。他の種族は森が拒絶して入れず、害をなす動物や虫はケンタウロスの一族が駆逐していった。この森は太古からケンタウロスの為だけの楽園なのだ。
それでもウサギやリスなどの小動物や、蛛、蜂などの虫はいて生態系を壊さないように食物連鎖が回っている。
いつもなら気にしない虫や小動物でも今は駄目だ。少しでもトモくんに近づこうとするなら問答無用で踏み潰す。万が一にでも私の番の眠りを妨げようとする者は許さない。
僕は耳をすまし神経を尖らせ周りの気配をうかがった。
そうやってしばらく洞窟内とトモくんに異常がないことを確認し、その後食事の用意を始めた。トモくんが目覚めたら二人で食べる朝食だ。
ケンタウロスの集団からもらった肉料理や魚料理、森に入って二人で取った木の実や果実。トモくんが家で作ってくれた保存が効くパンとジャムなどの盛りだくさんのごちそう。
獣化の終わったトモくんはきっとお腹ぺこぺこだ。彼が美味しそうに頬張る姿を想像しながらテーブルの上に所狭しと並べた。
トモくんは明日まで目をさまさない。
明日、変化したトモくんはどんな四肢をしているんだろう。細くて繊細だろうか、しなやかで活動的だろうか。毛は耳や尻尾と同様、明るい茶色だろう。小鹿のように駆け回るところが早く見たい。
食事の準備を終えた僕も巣に入り、眠っているトモくんに寄り添った。トモくんには大きい寝床でも僕が入ると窮屈だ。ぎりぎりまで端に寄り、トモくんを胴と前脚で囲った。
彼の変化は神秘的な光景だった。人からケンタウロスへの変化は進化の歴史を辿るように、一度赤子のようになって新しい四肢が生えてきた。今はまだ未分化な身体、母親の胎内で眠る胎児のような状態だ。
手と足が同じ数の種族ならこの工程は辿らない。手は手へ、足は足へ。毛が生えたり尻尾の長さが変わったりしても大して時間は掛からず、森で遊んでる数刻のあいだに変化する。例えば犬が猫に変わっても。リスがクマに変わっても。
ケンタウロスだけなのだ。手足の本数を増やす為に丸一日の時間と眠りを必要とするのは。
ケンタウロスだけが眠る番の変化を見守り、同族としての誕生の時を待つ。
僕はトモくんと会って奇跡をずっと神に感謝してきた。
今もまた、この奇跡に感謝している。
長い間 時間と空間を隔てて番のトモくんと離れ離れだったのは、この瞬間に立ち合う為だったのだ。
僕はトモくんの人間世界での成長を知らない。小さい頃のことも両親のことも、何に喜び、何を知り大きくなってきたのかも。きっとこの先も知ることは出来ないだろう。
でもこの世界にきてからのことは何でも見てきた。落ちた森での苦しみや悲しみや絶望。街での暮らしと獣人の人々に慣れようとする努力も、僕を愛し、僕の愛を知ってくれた時の輝く笑顔も。
そして今は、この子がケンタウロスに生まれ変わる瞬間に立ち会っている。
それはあたかも神様が僕の番が生まれてから僕と出会うまでの空白の時間を埋めようとしてくれてるみたいだ。
この子が今ここで、僕の為に誕生しようとしているような錯覚。
愛しい。
なんて愛しい宝物なんだろう。
これがぼくの番、僕のフォルトゥナ。僕と出逢う為に世界を超え、僕との命を産み出す為に種族を超えようとしている番。
この子のことを好きにならないわけがない。知れば知るほど大切になってゆく。可愛いトモくん、僕はもう君の虜だ。
だからこそどんどん憶病になっていく。
君がいなくなったら僕はもう生きてゆけない。
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