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濃姫資料
美濃国諸国記
「天文十八年二月廿四日、尾州古渡の城主織田上総介信長に嫁す。帰蝶の方という。又鷺山殿ともいう。」
廿は一文字で20を表しますので、天文18年2月24日に帰蝶は尾張に嫁いだよという事です。
現在使われているグレゴリオ暦にすると
4月2日になるそうです
ですがこの美濃国諸国記は江戸初~中期に
書かれているものであり
武功同様著しく間違いがいたる所に点在しています
道三の系図が載っていますが
帰蝶の事は信長ノ室二産子ナシ
異様だと思いませんか?
濃姫の姉妹たちには〇〇室とだけかれていますしその他の女性にこのような文言は書かれてはいません。そして信忠の母は生駒女
お分かりだと思いますが
信長存命中の記録には信忠母は不明です
信雄系織田になると突如、3人同腹だと
言われ始めます
おそらく家督を継いでいた嫡男信忠と同腹であると主張したい信雄が出した資料をもとに書かれているのだろうと推測されます。
私的にですが
光秀は長良川の戦いの時に義龍側についた
家臣の中に明智十兵衛と出てきます。
これが光秀かどうかはわかりません
美濃国の歴史について書いてありますが
道三の事も間違いだらけであり
武功や明智軍記と同様に様々な資料の
寄せ集めであり資料的価値はなく
歴史小説の類いで間違いはないと思いますが
一応は濃姫の事が書いてあるので。
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