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濃姫資料
近江國輿地志略、坂田郡柏原驛、成菩提院
然して後永禄年中織田信長当寺に止宿の節俄に舞馬の変に遭ぬ
曾織田信長と御台所倶に当院に止宿す。不図平産あり。時に護摩堂より失火。しかるに深砂王の書像及慈恵大師の書像飛來つて、庫前の柿樹にかかる。ここにおいて火鎮る。爾来諸民此書像に安産をいのり、且柿木を裁断してかへる
これはあの吉乃が出てきた事によって
表に出てきた地誌です。
地誌なのでお偉い専門家は相手にしません
読んだ事はあるけれど、まさか濃姫の事だとは思わなかったと言う人が多いのです。
年月日がないのでいつの事かはわかっては
いませんが他の資料と照らし合わせ
信長と共に行動をしていることを考えると
おそらく永禄11年~12年にかけての上洛戦時の事かもっと早いかと考えられます。
ここで注目なのは「不図の平産」です
「不図」予定外の出産があったけれど「平産」=
「安産」だったと書いてあるのです
他の地誌にも成菩提院で火事があったと書かれているので全くの嘘ではないと思われます
初産の妊娠を連れて歩く訳がないので
濃姫は経産婦だったのだろうと思います
信長の子供は母不明が多いので
育ったか育たなかったかは
別にしても
帰蝶が産んでいてもおかしくはなく
結婚から20年近くたっても夫婦関係があったと言うことは仲良しの証拠よねと
紗綾は思っています。
成菩提院には昭和初期まで「安産柿」という信仰を集めた柿の木があったそうです。
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