信長寵愛の女②

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信長寵愛の女②

もう一人。寵愛していたと言われているのがお鍋さん。信長は小倉と呼んでいたそうですよ。 信長よりは年下ですが吉乃と同じ後家です。前夫の死後信長が哀れに思って面倒を見ているうちに側室になったとか一目見て側室にしたとか色々言われています。 ですが上記二つも小説などの設定で吉乃と同じ人質として上がったというのが本当だと思います。 一般的に寵愛と言われる二人の共通点は後家であること子供を3人産んでいること。 お鍋さんに限っては息子が小姓として側仕えしているのでそれも理由の1つ。小姓とした取り立てたのは養子にした訳ではなくあくまでも小倉家に属する信長の家臣扱いです。フロイスによると100人ぐらい小姓がいたと書かれているのでその中の一人です。 あとは本能寺のあと丹羽長秀に信長、信忠の遺品を寺に持っていくようにと指示した書状が残っていて長秀に指示を出せる女=寵愛=正室格となりました。当時側室筆頭であった(実際に安土には東の局など側室筆頭が多数いた)お鍋に濃姫ないし織田家の親族が指示し書かせたと言うのが史実だと思います なへと署名してあったからお鍋だと決めつけている節もあります。あの日安土には居なかったとされていますが信長の子だと認められている事を考えればたまたま実家に帰っていたのか側室をやめていたのかどちらかだと思う。 何でか知らないけど信長母、土田御前と葬儀に出てますしね。 信長死後秀吉についた事、その後信長の側室だったにも関わらず侍女になった事で名前が残りましたが 信長生前は信長の子を3人産んだ後家としかわかっていません。吉乃同様3人産んだとされていますが定かではありません。 信長の場合 側室は20人ぐらいいたそうで お手つきもかなりあり子供が出来れば産ませ認知することもあるが出自の低い侍女だった場合は家臣に下げ渡していたりもします。 子供もわかっているだけで20人ぐらいですがもっといたらしい。 誰か一人寵愛してる暇はないでしょうね(笑)
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