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「そろそろ1限が終わるな。その菓子喰ったら教室に行けよ」  湯呑みはそのままでいいから。と言い足して、教頭は出て行った。  ピシャリと引き戸が閉まると、コウタロウとアキラはどちらともなく深いため息を吐き出した。 「はああああ、なんか緊張した。コウタロウ、大丈夫? 辛くないか?」 「……ばかやろ。お前が気張りすぎなんだよ」  今まで背中を丸めて縮こまっていたコウタロウは、大きくひとつ伸びをするなりアキラの髪をくしゃりと優しく乱し、食べていた甘いクルミをアキラの口にも一粒押し込むとニッコリ笑った。 「これでアキラの気が済んだ? 皆勤賞狙いの優等生ちゃん」  低い位置から、アキラの顔色を覗き込む。その黒目がちな丸い瞳にはいじめられっ子の卑屈さは微塵もなく、むしろ虐める側の嗤い方だ。 「大変だな、出来のいい優等生キャラを演じるのも。今、この学校で、実はお前がオメガだったって知られたら、確実に"追われる身"だもんな」  オメガだと知られたら……。ケモノ特有の漆黒の瞳に捉えられたアキラの額にヒヤリと嫌な汗が滲み、同時に頭の芯が痺れた。  教頭が置いていったいじめのプリント手にしたコウタロウは、アキラに見せつけるようにゆっくりとそれを咥えると前歯を立てる。コウタロウの口元で、無機質な文字列が端から順に綺麗に細長く裂かれていく様が、覆面芸術家バンクシーが、オークションに出された自分の作品を予め仕掛けておいたシュレッダーで刻んだ時の映像に重なって見えた。  抹消のためではなく、いつでも切り刻めると見せつけることで所有権を主張する。おもちゃを独り占めしたい子供と同じ本能に起因するんじゃなかろうか。  数ヶ月前、登校途中に起きた他校の生徒とのトラブル……なんて真っ赤な嘘だ。ハムスター獣人のアルファを多く輩出する家系のコウタロウは、その優れた嗅覚で、アキラ本人すら気付いていなかったオメガ性露見前の香りをキャッチして中てられてしまい、ついには登校できなくなった。これが真実。  コウタロウは双方の母親に予めこのことを打ち明けた。明らかに発情臭がすること、アキラ本人は全く自覚していないこと、そして、これに気付いて反応しているのがコウタロウだけらしいこと……。勘の良い母親達はすぐに察した。  そして十日前、学校から預かったプリントを届けに立ち寄ったコウタロウの部屋で、アキラはとうとう初めての発作的な発情期を迎える。何の知識もなくパニックを起こしたアキラはコウタロウに縋り付いた。 「なに? これ、たすけて、コウ! 熱い、立って……いられな……」 「まったく。無自覚め。だから距離を置いていたのにさ、なんで本人だけ気づかないんだよ。  悪いけど、お前の親にも報告済み。お前のママは『運命の番だなんて素敵!アキラが良いっていうなら番っちゃって良いわよー!これからは親戚ね、末永くよろしくねー』って、うちの親と握手してたよ。さすがこの街で暮らせるだけあって理解あるよな。  どうする? 俺、奪っちゃっても良い?  お前が良ければ俺は全然オッケーなんだけど?」  コウタロウは、アキラの本能の望むまま首筋に番の証を立て、嵐が去るまでの7日間と回復期の3日間を共に過ごした。  コウタロウは鼻歌交じりに湯飲み茶わんを煽り、すっかり冷めたくなった残りの緑茶を飲み干した。 「抑制剤が効かなかったら、また俺が引き篭もって、お前が説得していることにすればいいよ。  心配しなくても、卒業までちゃんとお芝居してやるって。可愛い奥さんのプライドを守るためだからな」  アキラは焦って、らしくなく襟元を緩める。 「あ! ダメだよ、ほら、詰襟のホックは上までちゃんと締めて。  ……見えるぞ、噛み跡。」 「いっ! 言うなそんなこと!!」 「だってほんとだもーん。  良いんだぜ? 学校中に触れ回ったって。  もう俺のモノになったんだ、本当は自慢して歩きたいくらいだよ。  ああ、そうか! 他の奴が近づくと拒否反応が出るんだよな、番のいるオメガって。そうかそうか、もう『モテ期到来だー!』なんて偉そうに自慢されることもないんだな♪」 「うるさいよ齧歯目! 余計なことを言うな!  あ! なんだその顔。ハムスターがどんなに睨んでも可愛いだけなんだよばーか。  公太郎の"公"の字はハムだハム! や〜いハム太郎ーぉ」 「……面白い。  そんなこと言うなら、処方された発情抑制剤、頬袋に全部隠してやる!  間違いなく無遅刻無欠席は台無し。定期的に1週間ずつ休んだら、オメガだって噂が勝手に立つだろ。  それどころか卒業の前に出産か! 育休は学生には無いだろうなあ。  キャラの崩落〜ぅ♪ さあ、どうする? モテモテ優等生くん」 「………くそぅ、腹黒ハム太郎めッ」  手の内どころか腹の内側まで知られてしまったこの獣人にはもう逆らえない。全身真っ赤になったアキラは、教室に入る前にどうにかしてこの可愛らしい減らず口を封じてしまおうと、目の前のミックスナッツを片っ端からコウタロウの口に詰め込んだ。  ありったけのナッツを右の頬袋に全部受け止め、なお余裕のある左の頬袋を引き上げてコウタロウが笑う。 「心配すんな、俺がお前を守ってやるから」  形勢はすでに逆転済みだった。 <おしまい>
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