ピザ食ってばっか

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ピザ食ってばっか 政治・情報循環 目次 身の回りで起きるピザ食いの具体例創造力とピザ食いピザ食いパーティーの「最後の晩餐」 はじめに 「ピザ」とは? ネット界で言われる「ピザ」とはデブに合わせてつけられる呼称である。 自分にとって楽しみな事だけを求め、PCを前に他人の反応を眺めてニヤニヤ楽しんでいる様子を「"ピザ"食いながらキモいデブが画面に食いついて見ているんじゃないか」とリスナーがネットの向こう側の人を想像した事が始まり。元ネタは海外の映画である。 そこから、ピザばっか食っていてPCの画面に食いついている様子を容易に想像できる人をピザニートと呼ぶようになる。 「ピザばっか食っているデブ」と想像されたりニートと言われても別に本人を詳しく見た訳ではないので、あくまでもリスナーの想像である。 そのようなネット社会からピザにはこんな印象が定着するようになる。 ・クリスマスのような自分に好都合なイベントが好き(賜を授かるなど) ・欲を抑えられない ・課金が頼り ・一応、にわかでも周りの流行りに合わせとけばいいと思う単純な感性 ・何をするのでも失敗を問わずとりあえずネタを出せばいいといういい加減な姿勢 ・インフレが大好き(高価なもの、高価なものへと惹きつけられやすい) ・表面だけで中身のない内容を投稿、発表 ・行動パターンが少ない ・現実逃避 ・必要な作業をサボる このような特徴を持つ者は一般的に多く出回っている。 身の回りで起きるピザ食いの具体例 こちらは海外のピザニート代表格のゲーム制作者アレクソこと、アレックス・クラスノフ。 自身の課金への欲望に啄まれて、身も心もピザに囚われてしまった愚かな人。 インフレに伴うゲームバランス崩壊が大好きで何か追加する度に問題を起こす。大好きなものは課金プレイヤー。 度々、インフレに伴うゲームバランス崩壊を起こし、アップデートを重ねる度に方向性を見定めなくなってROM容量を食うだけのクソゲーにしてしまう。 アップデートが行われる度にプレイヤーはどんどん引退していき、最後にはご丁寧に別れを告げる。そんな様子に見向きもせず、アレクソはのうのうと開発を行う。 さて、いつ自身の無能さに気づいてサービスを終了するかな? もしかしたら、彼は萎えているのかもしれない。 度々、「彼は社内の改革」とか言って社内環境の改善を主張していたが、言葉だけで実際にはあまり変化はしなかった。 あったとしても追加したクソ要素を元に戻したぐらい。でも実際は「0→-1→0」駆け引きゼロ、変化なしである。 このように、日本人から見た海外のピザニートが日本に経済進出する上でどの様な流通を及ぼすか、それがこの論文の趣旨。 まず、第一に海外勢は非常に大きな人脈力を持ち、集まるものの規模がかなり大きくなります、それだけに「数の暴力」で日本人も含まれる人々が影響され、本質と繁栄の矛盾が起きる。その特徴から”予兆だけでは始動しない人”が大多数を占める。 つまり、死に直面するような危機が迫っていても表面で実感できなければネットでは信用されないのだ。 私はこのアレクソことピザアレックソの不況の予兆にいち早く気が付いたが、ネット民を見てみるとその頃はまだあまり周知していなかったようだ。 そうして、どんどんピザ食いがエスカレートしていき今では皆が知るクソゲーと化したのだ。 ピザ食いを止めるにはどうしたらいいのだろう。 運営も流石にコメントからこの不況を察知したが、戸惑いを隠せずにいる。 ここまではよく見る失敗の流れだが、「ピザニート」という観点から見ていただきたい。 ピザニートを砕いて表現するならネットを使う全ての人に対して「画面に食いついてキモいデブが見ているんじゃないか」と想像できる。 ピザニートは、自制心をあまり働かせることができず、己の思うがままに形を表現する、というイメージが一部住民に定着している。この、妄想が過ぎる人や気がおかしな人の挙動をネット用語で「頭が沸く」と言う。 善し悪し関係なく思いつく限り言葉が沸くことから「頭が沸く」と付いた。 もう一度、ピザニートの習性を見てみよう。取り敢えずアップデートを行って利用者への影響を考えない。無益で、いいかげんに提供されるイベント。その原因はバカに着く人もバカだからである。運営もバカなら利用者も大半はバカになり、適切な指摘ができないのだ。 これらはピザニートによく見られる行動または現象の一部である。 どう足掻いても話は「循環」するように社会は成り立っているのだが、プライドや基準性を保ちたいのかは知らないが、その謎の歯止めによって上手く「循環」できずにより良い物に近付けないものもある。 人々が持つ謎の歯止めの感覚は全てを狂わして、必要な物には手を加えず、余計な物だけに盛る。 この習慣もピザニートとしての一環なのだろう。 こうなったら、もはやピザばっか食っていて画面すら見ていないんじゃないか? そう、容易に想像できるほど改善の動きが鈍い。または「そういう問題じゃないだろ」と思わず言いたくなる予想の斜め下の利用者への扱い。 一部の利用者の不満が溜まるばかりである。 この状況で楽観的に利用するにも無理がある。 「ピザ」という言葉は、あらゆるものの代理として使える。 例えば、そのお金をやたら「ピザ」代につぎ込みたがり、止められても問答無用でなぎ払ってピザに喰らいつく。 その様子を会話にしてみると… 「あの、バランスが崩壊してますが…」 「大丈夫、定期ボーナスでどうにかなるっ!」 「とにかくピザ食わせろ」 「えぇ…(困惑)」 「うるせぇ、ピザ食わせないとぶっ○ろすぞ!」 バカが支援→運営がピザを食う→過剰化 する悪循環である。 表向きリア充でも中身はピザを食べたいだけのクズだとはっきりわかんだね そして、運営がピザばっか食っているのに集中していると運営の管理が過疎化して環境が悪化する。 LINEレンジャーというゲームはご存知だろうか?。これは日本を本拠地に運営されているアクションゲームで、日本人だけでなく多くの外国人プレイヤーにも人気が出ている。 基本的には無料で利用できる、謂わばフリーゲームである。しかしそのお陰か、最近ではゲーム自体の運営が迷走しているのではないかと私は疑いをかけている。 時間を掛けてじわじわとインフレを起こし、プレイヤーの物欲を掻き立てる。こんな行為が運営から過剰に提出されるようになり、もはや数字の強弱とは何なのか分からない状態に至っている。それを何とか補おうとガチャによって排出されるキャラクターによってインフレに対する違和感を緩和させようとするが、実際は手の施されずに放置された過去のキャラクターは、インフレによって存在感や性能を失いつつある。 しかし、運営は新しいものを次々と提出し評判を集めるのに必死である。これでは新参のプレイヤーに陳腐化したキャラクターを含めて前面でキャラクターを利用してくれないので運営自体の創作面では損したことになる。 これらの現象の総称を陳腐化と言う、古いものに参照せず、新しいものを執拗に求める。新しい物の物珍しさに人は惹かれるアホの心理を利用した商売方法である。そしてそれを計画的に行う商法を「計画的陳腐化」という。 それはどんな会社でも起こり得る。 単に言って芸術品とは別に、生活に役立つ「機能性」を求めるのならば、販売会社が計画的陳腐化に手を染めているか見定めなくてはならない。要するにどんな事でも全力かどうか、良い点を蔑ろにしていないか見ないといけない。 数ある限りの情報を集めてみるのは勿論だが運営している場所を特定して直談判するぐらいの勢いがないと運営は反応してくれない。 ここだけの話、運営は呆れるほど無愛想である。「お問い合わせ」も「ダイレクトメッセージ」も何ひとつ信用ならない。 もう、このゲームは運営6年(?)になる。過去にキャラクター投票で最初からある選択肢の中から実装してほしいキャラクターを選ぶという企画があったのだが、キャラクターを作って実装させるという権利はプレイヤーには与えられなかった。どういう意図かは知らないが直球で思いついたアンケートをいいかげんに提出しているような感じがする。 よく、ピザと呼ばれる者は同時に「露骨」とも呼ばれる。逆に「露骨」からピザ野郎などとも揶揄できる。 「露骨」は表現が甚だしい事を表す。一般には「露骨に表面などに出ている」などと使われる。 それも、あらゆる宣伝など、それに関連する細かな要素にも「露骨」と言われる場合がある。人の見方によるが、ただ単に「有名だったから」という理由で採用するときにも「露骨」と言われる。 その「露骨」と呼べる人々はその雇用するものの「本質」を理解しないで使う人が多い。 そういった「露骨」なものたちの繁栄がエスカレートしていき、無意識のうちに人と同じことをしていき混乱を巻き起こす。または雇用したものへの知識がないと悟られる。 本当は知りたいものを知って、やりたい事をやるのが世の中なのだが、情報の循環の中で「露骨な勧誘」が行われて、曖昧だった自分の考えがかき消され、無理矢理他人の形に染められるのだ。 まず、彼ら彼女らの住民の性質を見ていただきたい。 それはニコニコ民である。 非常に深い感性を持ち、ニコニコ内で作られたネタやモチベーションを元に人々が動く。 そこらの野良野郎より高いエンタメ知性を持つ。 ニコニコの風習は情報の循環にあたって「意地でも流行らせろ」という意志が存在していて、人の目的も構わず無理矢理、意味不明なネタを横行させる動きがある。 それは、少なからず、視聴者には理解できないものも多いが、中にはカルト的なパロディーネタもあり、「腐女子を泣かそう」とか「キッズを泣かそう」などの天邪鬼的な意志を強行しようとする住民が多くいる。 しかし、ニコニコそのものの歴史は正確に刻まれ、それなりのモラルが築かれていて、例え対立していても、それぞれの存在を尊重して「大百科」などでまとめてあるので混乱が起きにくい社会が築かれている。 変わってYoutube は最近になって、やっとジャンルを分割する「タグ」がつけられて、それぞれの住民たちを隔てる概念が生まれつつあるが、このサービス自体はただ「動画」だけを扱うブラウザなのでニコニコと比べると運営している時間が長くても大して正確な歴史は刻まれていない上に大きなフラグ(掟)も立っていない。皆が自由奔放といったところ。 話せば、ただグローバルなだけに人が集まるだけである。 少しお節介かもしれないが、利用者が多い分、利用者への気配りが重要になってくる。 こうした民度の違いは運営がピザ食っているか食っていないかで別れる。 これまでの話を聞いてなんとなく「ピザ」のイメージが湧いてきただろう。 因みに、ピザは古くからネタ用語として存在していて、勿論、最初はデブを罵倒するために使われていたのだが、様々な関連する要素から別の意味で発展していき、一部住民からはこの形で使われるようになる。 これまでに、多くの人々から「卿」を罵倒するような表現などがされてきたが、その「ピザ食い」を正確に表現する言葉は存在しなかっただろう。 あなたも人が豪遊していると激しく嫉妬しますよね。 「何でこんなキモデブが…」 「もっと社会のために金使えよ」 「表情腹立つ」 など。 でも、まだ「ピザ」という言葉は世間にあまり浸透していないようなので、もし国民一人一人が「ピザ」のネットスラングを知ることになれば「卿」たちの表情も蒼褪め、豪遊する日々も常に緊張感に支配されて行動も厳かになるでしょう。 仕事はピザ食わずに真面目になりますが精神的に追い積まれ金融の循環にも影響を与えると私は考える。 後述にあったゲーム開発者アレックス・クラスノフは「ピザ」や「アレクソ」といった罵倒するような呼び名が似合うのだが、日本で広まった「ピザデブ」は「2ちゃんねる」などを通して広く知られたのとは反対に主にアメリカなどの海外の人には当然ながら違う意味で少なからず存在しているかと思われる。しかし、海外勢には「ピザ」というネットスラングを使うアカウントは殆ど存在しない。 どちらにせよ、アレクソを皆が罵倒している事には変わりないが。 一度、周りのリクエストや改善点などを見てみれば 「ゾンビを配置してその後ろにモンスターを用意したゲームを作ってプリーズ」 などクソつまらなそうなリクエストばかりに人が集まるし。 改善点の指摘も全てが悪いわけではないが、運営のピザ食いを根本から阻止できるような発言はしないし、運営が築き上げたアイデンティティが邪魔しているのかは分からないがコレといった決定的な指摘はないまま、グダグダ開発が行われている。 また、このゲームだけとは限らないが一部、海外には「ハッカー」「プロ」「noob(新米)」などを差別するイデオロギーが構築されていて、多くのプレイヤーから「ハッカー」に対する不満が溜まり、運営もその被害を受け止めている様子。 でも、実際は違った。 ハッカーではないのに、一度負ければ「ハッカー」などと疑いを吹きかける迷惑なプレイヤーが多く蔓延っている。 そもそもこのハッカー問題の発端は「ハッカー」と連呼するお前らじゃねーか!(ブチギレ) そこには必然的にハッカーは存在していないかもしれないのに、そう決定づけて、特に証拠もないのにゲームに対する知識も無い者が「ハッカー」と連呼するからこうなるのだ。 我々は「ハッカーは褒め言葉」としてポジティブに受け止めているが、流石にこのまま「ハッカー」と勘違いされてしまえばハッカー対策をしていても元も子もない。 運営は今まで暴露される事の無かった「ハッカー」対策を今になってやっと公表した。 運営公式の発言によると今まで「ピザばっか食ってんじゃねーよ」とサボる運営は長らく咎められ続けてきたが、実際はハッカー対策のためにゲームのシステムを根本から改善しようとして今まで開発が疎かになっていたんだと。 だったとしても、手が込んでいたか手が込んでいないか、どちらにせよ運営はピザを食っている事には変わりない。何故なら周りからネタパクるし開発内容が一方的でつまらない、全体的にゲームバランスの調整が下手。そんな印象が見受けられる。 それは手が疎かになったからではなく単にバカだからである。一度行動しても、そのアプデ自体が下手であれば、手が疎かになっていようがクソアプデはクソアプデである。頭が回らなかったなどとは言わせない。 それと、武器を強化する「強化システム」は変化の止まりを見せなくて正直イラっとしている。 せっかく、今までの環境に慣れてきたのに不意なタイミングで謎の変更を行うのだ。どういう意図かは知らないが強化の伸びしろを伸ばして課金するプレイヤーを増やす目的があるのかもしれない。しかし、せっかく強化しても次のアップデートで強化システムが変更されれば強化した努力も水の泡である。これで巻き上げられた金銭は正確に返されることはなかった。 やはり、運営公式の発言でどうプライドを保とうがピザばっか食ってる事には変わりはなかったのだ。 この「強化システム」などの金銭を扱うシステムを目まぐるしく変化させて変更前と変更後の課金情報を曖昧にする詐欺商法を「変更詐欺」という。 創造力とピザ食い ある程度、人が集まり周りに誇るべき有名人になれば、誰でもピザ食いが起こり得る。 ピザむしゃむしゃ食いながらテキトーに振る舞い、それだけで人の関心を高める。 ふと、我に返って考えてみよう、そんなの一般人が言っても同じ事だろうと。 政治の専門家と人気アーティスト、どっちが政治の話しに説得力があるか。しかし、人は目の前に映る「フォロー」した政治とは無縁なアーティストのアカウントにしか目をくれないので結局は数の暴力により本来あるべき情報の行き場が狂いつつある。 この現象に参照してるかと思われるアーティストまたはその他何らかの理由で有名になった人たちがリスナーを気にかけて具体的ではなく筒抜けな話し(イキリト)を取る行動もピザ食いと言う。 専門家でもない有名人が難しい話しにツッコンだり、具体的ではない(態々発言する必要もない)話しをして、無駄に人が注目していたら咎めるように意識しよう。 「ああ、またモブ共が湧いてきたよ」 これは、モブ(暴徒)がわんさか湧いてきて、民度の低い民たちが犇めき合って過ごしている様子を揶揄した"お咎めの言葉„である。 お咎めをする人の多くは。 「○○厨はお帰りください」 など、一部信念を元に動く民のお帰りを願う発言が目立つ。 また 「当たり前ダルォ?」 と、楽しさを共有する言葉も存在し、改めて態々言わなくても分かる時に使う言葉。 この発言により、相手に参照しながらスパムメッセージを抑える効果がある。 「スパムメッセージ」を言い換えてみれば、同じような発言を連発するということ。 人々はその同じ発言の数が多いほど、その発言の説得力が高いと捉えてしまう人がいるが、実際は色んな人が同じメッセージを飛ばす「スパム」という迷惑行為なのだ。 このような、数の暴力が発生すると柔軟な対応ができなくなってしまう。 運営、または主などはそれらに対策をつくるべきだと私は考える。 周りでもスパムを抑えるシステムを組むブラウザが存在するのだが、一定のピザ食ってサボっているブラウザはこの対策を行わずに悪業が蔓延っている。 エンターテイメントによるピザ食いは日々過剰なものが提出される。 ピザ食いとは単に「サボってピザばっか食っている」と捉えられるだけでなく、ふざけた対応をするのもピザ食いという。 皆が知る物の基盤となる「カタチ」、それが娯楽にもかかわらず既存のカタチで物を済ませようとする。いわゆるパクりである。 だったら個人一人一人の思いが詰まったラノベの方が楽しいが。 三度目の登場ピザ食いニートことアレクソ(くどいので、もう説明するのは省く) このようなピザ食いをする海外のFPSゲーム制作によって生まれた副産物があるのはご存知だろうか。 そのピザ食いの副産物とは「バトルロワイヤル」の対戦システムである。 誰でもPS(プレイスキル)を磨きさえすれば勝てるという絶対公平のゲームである。 このゲームのシステムに行き着いたのも全て、海外の「ピザ食い」をする運営が影響を与えたからである。 前述にあった通り、海外では「プロ」「noob」「ハッカー」とプレイヤーの特徴を隔てるイデオロギーが深くゞ根付いていて、そのイデオロギーの考えが強過ぎるためか、絶対公平であるこの「バトルロワイヤル」というシステムが誕生した。 ここまでの話だと一見「バトルロワイヤル」と「ピザ食い」は何ら関係ないものだと思えるが、実際は運営がゲーム環境を改善せずにサボってピザばっか食っているからこんな落魄れたものができてしまうのだ。 運営が真面目に取り締めばこんなもの生まれなかったと考えている。 勿論、バトルロワイヤル自体が悪いのではなく、普通にプレイする分には何の問題ないのだが、発展の起点が非常に残念なことを忘れないでいただきたい。 ピザ食いとともに荒廃する運営たちは当然ながら「荒廃」して過疎化が進み、事態を好転させる改善の主張があっても見向きもせず、サービス終了に真っしぐらである。 それは運営が萎えているか萎えていないか精神上の理由で自体が左右されることが殆どである。ぶっちゃけ今何があるかとかは関係ない。 そこで、心改めて利益のある話に耳を傾けることが重要になってくる。ふと我に返れば、意外と周りには運営を底からの仕上げてくれる仲間や利用者が沢山いるのだ。だが、萎えている事は変わらないので、場合によっては事態を好転させることを約束される呼びかけにも一切応じず、結局は何もできずに終わることが大半。 これは萎えとピザ食いがリンクした悪い社会現象である。 人の恐ろしいところは、言葉や文字などの「出力」から伝わる情報と考えが一致しないことがあるということ。それを起こさないためには十分な語彙力と読解力が必要だが、それができない人たちは言葉をリレーしていくうちに最後は全く違う意味で相手に伝わってしまう。 また、聞く人だけでなく、話手も事を簡潔に説明しない人は世の中に意外と沢山存在する。 そんな、一般の利用者から冗長な発言が多数寄せられることにより、取り扱うのが面倒になった運営はピザ食って、利益ある話にも全く関心を示さなくなる。 つまり、民度の低い民たちは利益のある話のある健全な人を巻き込んで、運営のピザ食いを手伝っている始末。というわけ これは批判的実在論のように、一点に要素(発展した何か)があれば必ずそれに取り付く批判が存在する、という仮説に基づいた考えで。批判者とどう共存するかがピザ食いを止めるカギになってくる。 場合によっては前述の通り「バトルロワイヤル」が生まれた発端のように、ピザを食う開発者と開発された創造物の全てが悪いわけではなく、批判したり参照したりデタラメな意見を結果を見据えずに発言する人の影響もあることを忘れてはいけない。 それも、たかが一つの意見だろうと、運営を始めてからそれまでの幾万とあるであろう意見を運営が洗いざらい調べるわけがないので、それぞれの意見の「本質」にたどり着くことは到底できず、間違った解釈で発展する。 ピザは、ただ偏に「悪人」なのではなく、あらゆる中立関係から成り立つ要になる存在であり、ピザ単体ではあまり問題は起きない。 それはピザによって運営される環境に問題があると言える、ピザには直接問題はないにしても間接的に問題が起こることは多々あるのでピザに対する批判が多数寄せられる。 その運営の上でのよくある問題が「ランキング」のシステムである。 これがあるせいで人々は自ら考えて探す能力は失われ、「数の暴力」がますます発展してしまう。まずエンタメとは技術や精度に依存せず、哲学的に楽しみを捉えるのが濃厚になる。そのモチベーションから生まれた概念のもとで物を発展させるのが一番腐れなく楽しめるのだが、大した概念もなくのうのうと発展しているものが世の中には多数ある。 最近目立つのが、既にあった類似物が高い技術発展を遂げているのにもかかわらず、なぜか運営が続けられるもの。類似物であっても、相互性や長い歴史や伝説(ある意味)があるので消えないものは別として、今更現れても存在意義がないゴミコンテンツ。それに負の歴史も多く、築かれた砦も既にボロボロ、それなのにこの期に及んで蔓延り続ける。運営はピザを食いたいだけで「サービス終了」の言葉は頭の片隅にもない。 それに加えて最近、「サービス破壊運動」が多発しているのはご存知だろうか。 今更現れても存在意義がないソーシャルネットは破壊運動により新人を呼び込まないように押さえつけられている。 態と民度の低い行為を蔓延させてそのソーシャルネットの印象を悪くさせ、今いる利用者、または新参を減らすのがこの「サービス破壊運動」の目的である。 では、彼らは一体なぜ利用者を減らそうとするのか。勿論、こちらも一定の感の強い人なら既にご察しだろう。 我ら、自然な状態の民からしては奇抜なこれらのソーシャルネットワークは見ていて大変不快であろう。勿論、我々からはそのソーシャルネットワークが完全に悪いという定義はないが、めりめりと繁栄していくそれを見て不快感を感じた民たちの鬱憤がついに爆発してしまう。 それが「サービス破壊運動」の発端である。 このグラフを見ていただきたい。 これは、何も要素がない「無」と苦しいようす「苦」を早見で見分けるグラフである。 右上に行けば人としての感性が計り知れる状態で、左下が人としての狂気を表す最悪の状態を示す。 最悪の状態を具体的に説明すれば、平たく言えば他人に無理なことを要求、またはせざるを得ない状態にして精神的な負荷をかける。そんなカリキュラムを組む人の様子。 制作のバランス調整や実践を積んで取り組まない人によく見られる「ピザ人間」にあるグラフの最悪点。 この左下におけるものたちは、どんな精神状態に駆られているのかは知らないが、次々と利用者を苦しめるサイコパス的な利用環境を組む。ピザの典型例である。 主に金の暴力で容易にCMなどを行えるピザ共は、常にイキリ倒して非常に不愉快である。 そうしてイキりにイキり倒したピザは視聴者を洗脳し、行く行くは勧誘までに持ち込む。 まぁ、少し言いすぎかもしれないが、一部企業はイキってることは変わりない(主にうんこ林檎) ピザ共のCMにはもはや画面にイキっている醜い様子とピザしか映っていない。 ピザは残念なことに遺伝する性質を持つ。ピザもピザなりの「自我」を持つので当然ながら、周りから注目されたいし、人気になりたい。 そのおかげで、遥々日本から呼び寄せた刺客さえもピザに染まってしまう。 しかし、ピザになったからといい悪いことばかりではない、少なくともピザ也の富が得られる。 俗に言う、「悪魔に魂を売る」ということ。 不思議なまでにその勢力を拡大させ、悠々自適に思う存分楽しめるだろう。 ピザの真実、それは前に乗り出したものの大した知識がないこと、そう呼ぶだけに「露骨」な知識しか知らない。 それを表す映画があるのはご存知だろうか。 シ○ガーラッシュである。 ネットを独自の表現で作ったアニメ映画。 しかし、これも所詮はピザ、「ネット」を舞台にしている時点でピザと瓜二つと言える。 予告シーンで、数あるゲーム実況者の中で唯一「海外進出」した HIKAKIN。彼は作品の一幕で登場するようだ。 これを見て察しのいい人は分かっていただけたと思うが、 「海外進出しただけで露骨に採用する海外のピザの軽率な行動」 このことから、実況界を露骨に表面でしか見ていないことが窺い知れる。今までまとめたピザの特徴と気持ち悪いほどぴったり当てはまる。 厳しいことを言うかもしれないが、「ネット」を舞台にしたいのなら洗いざらい徹底的に他人のネタを調べてから発行するよう申し上げる。 ピザ食ってサボるとこうなる。分かりやすい例えだ。 任天堂のキャラクターが登場する一幕が過去のシリーズ作品にあったようだが、できれば「ギャラクシー」や「スマブラ(亜空の使者)」や「サンシャイン」とかのストーリー性も反映させてほしいわw オタク発言はもういいか… ピザには空気を読む能力はあるのだろうか。 側から見れば金と注目度にしか興味がないように見えるが、長い歴史を経て少しずつ意志が変化しているようにも見える。ただ、事実、私からは志が変わっただけで、実行していることは大して変わらない気がする。 つまり、根本的な何かが改善されてないような気がするのだ。無神経なのか単なるアホなのか、抜本的なピザ食いを止める手立ては未だはっきりしないことが多い。 私はこの真理を知りたくて仕方がない、押しても引いても良くはならなかったピザは、一体どうしたら抜本的に運営を改善できるのか。その答えはピザという存在へのプレッシャーにある。 つまり我々の考えるピザの形をそのままピザ本人に知ってもらい、自身がピザに染まっていた愚かさを改めて思い知り、ピザの存在へのプレッシャーを感じさせて悪業を抑える。 ピザ相手にそんなもの、夢にも起こらないが、 オタクとピザの共存。表面でしか物を知り得ないピザと、気持ち悪いほどに情報を蓄えたオタク。お互いの関係を上手く持てば何の腐れなく物を発展できるが、この繋がりを持つことは非常に困難である。 その理由の一つとして、オタクが持つ「知っている要素の複雑さから得られる利便性」とピザの表面でしか判断できない軽率な人柄。この二つの性質が故に上手く関係を持てないのだ。 果たして、これからの社会発展に貢献する上でこれらの存在を遺憾なく発揮できる時代はやってくるのだろうか? オタクは「陰キャ」がネックになっていることもあり、ピザとの交渉も遠ざかる。 「陰キャ」とは※物理で周りに打ち明けずに内向的になる人。この物理とはネットなど電子系統を中心にコミュニケーションを取るのが容易な代わりに現実での会話を遠慮がちになること。それが「陰キャ」。 そんなオタクは当然ピザとは渡り合えない。 一方ピザは、オタク同様にネットで電子系統の会話に励むことはあるが、どちらかというと物理でのギャンブルに厭わない豪快な性格が多いので、何かと物理で物を見がち。 表面でしか物を見れないピザと、陰鬱で内気なオタク。まるで漫画の題材みたいだ。 最近になって明らかになったが、ピザには広まりを真似て模倣をする性質があることが分かった。 そのおかげか、ピザの効力で広まる力が強過ぎるため、善悪厭わず模倣する大変迷惑なユーザーがたくさん蔓延っている。 最近では「~チャレンジ」などの模倣で危険行為を働いたり、ピザの産物を模倣して罪を犯す模倣犯が現れている。 こうなると、またまたピザの繁栄が世間に悪い影響を及ぼすイメージが高くなる。 それは模倣犯、本人の意思だけに問わず、極端な偏った繁栄を過剰化させるピザにもその罪が問われる。そうなると今後、偏った注目や執着や意識を引き起こすピザの自重が必要になってくる。もしくは、ピザを取り巻く人間全員が意識の向上を目指さなければならない。 やはり、私の考えるピザは以前に記した論文の通り「極端な注目や執着」を取り巻いて繁栄しているせいで、一部、狂った住民が出ている。 因みにこれらのピザは「カルト団体」のようにも見えるが、私は新たにそれらを「ピザ人間」と呼ぼう。 「ピザ人間」と「カルト団体」との違いはピザが思想を持たない某の人、カルトが集団を作る思想を持つ集団。 つまり、「ピザ人間」は集団ではないが、不特定多数ピザの性質を持つ人全てを指す意味を持つ。 例えだが、本人が以上の論文を踏まえて 「お前はピザ人間だ!」 と言われて本人が否定しても、ピザ人間である意義があればピザ人間なのである。 また、ピザを取り巻く「ピザ人間」は考える力が無いため、特に存在意義もないものに集まって巨大な繁栄を起こす性質がある。 「ピザ人間」本人の意思は定かではないが、自身の趣旨や意思に問わず「取り敢えず人が集まってるから楽しそうだから入ろう」といういい加減な決断力によって嗜み、一定のジャンルが固着するのだ。 そんないい加減な意志が過剰化することにより、ついには災いするような事態に陥るのだ。 皆んなもミーハーのようにただ集まりがあるから寄るのではなく、しっかりとした趣旨や意志を持って行動することが大事だよ、気をつけようね。 特にピザは気持ち悪いことに、意味もない集団を作りやすい性質があるので要注意だよ。 自身が知る限りのモラルや感性を持って行動すればこんなことにはならない筈だよ。 また、よく聞く、他人もやってるから自分も模倣して安心感を得る。ネットが繁栄されたこの社会において、リアルと幻想を隔てる意志が益々重要になってくる。 ピザかどうかは知らないが、何もかも鵜呑みにして「現実」で事を起こす。この特性はミーハーにもピザにもどちらにも有り得る失態である。 たとえそれが幻想であっても「現実」での行動力が著しいミーハーなどはあらゆる失敗を犯す。なぜピザもミーハーもなぜ意味もなく「現実」と結びつけて媚びるのだろうか…。 結果、マイナーなものに目もくれない彼ら彼女らだが、自身と身の関わりが深いものには大変よく関心を示す。 現代になり、ネットが繁栄して情報の在処が分散するようになるが、それでも「現実」の事実に媚びる民質は変わらない。 その情報循環の上で、民質が満遍なく広がる情報の需要に最終形態に差し掛かる時代はやってくるのか? ピザ食パーティーの「最後の晩餐」
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