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俺には自慢の兄がいる。 二十才になったばかりの頃、自分で会社を興し、現在もバリバリと仕事をしている。外国との取引もするから、二~三ヵ国語はペラペラだ。 身長もスラリと高くて、きれいな整った顔に、長めで青みがかった黒髪がとても似合っている。兄の母親は日本の人だったと聞いているから、たぶんそのせい。いわゆる、愛人の子というやつ。 俺は本妻の子で、赤く燃える様な髪に筋肉質な体。兄より身長は低いけれど、肩幅が広いので大きく見られる。 今日は、兄の会社にアルバイトとして出勤する初日。 俺が小さい頃は自宅の中の一室をオフィスとしていたが、今では高級オフィス街の一角を借りるほどの業績を納めていた。 そんな兄に、父さんは会社を継がせたいらしいが、兄は頑(がん)としてそれを突っぱねた。愛人の子だからと。 今時そんな古風な事を言うなんてとは思うけれど、俺が産まれる頃まで日本に母親と住んでいたそうで、その影響だろうと父さんは言っていた。 あの国は、礼を重んじるんだ、だって。 なんで父さんが日本に居たかなんて興味はない。けれど、そのおかげで俺には美しい兄がいるわけで・・・グッジョブとか言いようがない。 そして、兄の会社でのアルバイトを取り付けたのも父で、自分の息子をそういう意味で狙っているんじゃないかと勘繰ってしまう。 ま、おかげで兄の仕事をしている姿を目の前で堪能できるのでありがたい。 オフィスの扉の前に立ち、首元のネクタイを確認する。 賢く美しい兄は、俺の憧れであり、恋焦がれる最愛の人だ。 広いオフィスの中に居るのは二人だけ。後は、様々な物で埋まっていた。 特に目を引いたのが、機器の多さだ。部屋の真ん中あたりに建てられたパーテーションにモニタが一面設置されており、その周りにはハードディスクが整然と置かれている。その裏側も同じような造りになっている様だ。 その脇には仕事用のスペースも隣接している。電話やメモが散らかっているので、普段はここで仕事をしているのだろう。 呼び鈴を鳴らしても誰も出てこなかったので、お邪魔しますと声を掛けて中に入り、パーテーションの所で忙しくしている二人を見つけた。 「ルー。チャック」 声を掛けるとチラリと視線だけこちらに向け、ひらりと手を挙げる。しかし、すぐにキーボードに手を戻され、カチャカチャとこ気味良い音を立てる。たまにマイクに向かってぼそぼそと話していて・・・どうやら、重要な取引の最中の様だ。 どうにも終わらなそうなので、その辺にあった椅子に腰かけ、二人の真剣な横顔を見つめる。 手元を一切見ずに複数のモニタに視線をきょろきょろと移す。 (すげ・・・) 何をやっているのかはわからないけれど、本当はもっと大人数でやるんだろうとは想像できた。 この中に入れてもらえるのだと思ったら、なんだかわくわくする。頬が自然と緩み、にやにやが止まらない。 ルイスが一瞬こちらを見て、イラついた様に目を細めたのが視界に入ったので、にかっと笑い返してやった。聞こえはしないが小さくため息をついたのが分かる。なんせ、今まで散々やってきたやり取りなのだから。 「ひゃっほうっ! ざまーみろっ!」 ルイスとモニタを挟んだ向かいで作業をしていたチャックが声を上げ、次いで両手も挙げた。 ルイスもインカムを外し眼鏡をずり上げ、眉間を押さえる。そのルイスの元にチャックはやってきて、ガバリと抱き付いた。 「ルー! やっぱりお前は最高だっ!」 「チャックがいなかったら無理だったよ。ありがとう」 そのなんとも言えない近さに、俺はイラっとする。 立ち上がり、二人の元に向かう。わざと足音を鳴らしながら。 「やあ、チャック。俺からもお祝いを言わせてもらうよ」 「やあ、ザン。それは嬉しいね、ぜひお願いしたいね」 バチリと視線を合わせると、お互い口元だけで笑い合う。 「悪かったな、ザン。出迎えてやれなくて。急遽大きなセリが始まっちゃって。チャックが見つけてくれなかったら、大損する所だった」 機嫌が良いルイスは、未だチャーリーに抱きしめられながら饒舌に話す。 チャーリーが今にも吹き出しそうな顔をしているので、俺に対しての嫌がらせのつもりだったようだ。 「お前なら大丈夫だったよ、ルー」 そう言ってルイスの頬にキスをするチャーリー。 「ははっ、だといいけど」 全く気にした様子もないルイスに、俺は再び苛立ちを感じる。 (この人は・・・っ) 俺の兄は一度心を許すと、とことん壁が無くなる。普段の壁の高さが嘘の様に。そして、どう見てもセクハラだろうという事まで受けれてしまうから困ってしまう。 特にチャーリーの事は心から信頼している様で、俺がしたら嫌がる事にも、全くそんな素振りは見せない。 (俺がキスしようとすると、真っ赤になって嫌がる癖に・・・) ギロリとチャーリーを睨むと、にやりと笑い、べっと舌を出した。 その間も、今回の取引のすごさをルイスは、嬉々として話し続けている。夢中になると周りが見えなくなるのも、この人の悪い癖。 「ルー」 ちょっと声を張り上げてルイスの話を遮ると、小首を傾げ不思議そうな表情を俺に向けてきた。 「俺の仕事の説明してよ。二人で」 「あ、そうだな。こっちおいで」 するとチャーリーの手を解いて立ち上がると、奥の個室に移動した。 チャーリーの横を通る時、ふんと鼻をならしてやると、後ろから尻を蹴られた。 「まずはこれをやってもらう」 出されたのは、大量の名刺。 「・・・なにこれ」 「名刺」 「いや、それは見ればわかるんだけどさ・・・」 ルイスの顔を観て、名刺に視線を戻す。 くすりと笑うと対面で配置された二人掛けソファに腰掛けた。そして、隣に座れと言う様に、空いている右側をポンと叩く。 座るとルイスから距離を詰めてきて太ももをぴったりと合わせ、ルイスの右手が俺の左肩に乗せられる。 左に顔を向けると綺麗な顔が予想以上に近くにあり、驚く。しかし、ルイスは挑戦的な表情をして俺の目を見つめてこう言った。 「ザン。お前にこの名刺の重要性がわかるか?」 ニヤリと笑ったので、同じ様にニヤリと笑い返す。 (なるほど、俺をテストするつもりか) 「やってやるよ」 そう言って顔を近づけ、頬に口づけをしようとするが、するりと離れていってしまう。それと一緒に太ももと左肩の温もりも無くなった。 「終わったら声掛けて。さっきの所に居るから」 じゃと言って、ルイスは振り返る事無く部屋を後にした。
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