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第1話 "運命"を信じて何が悪い?
『きっとこの世界は生きにくいはずよ』
『どこで血が混ざってしまったのか』
『うちの子に近付かないで欲しいわね』
『…可哀想な子』
物心ついた頃にはもう、俺は「受け入れられない子ども」として扱われていた。可哀想で、不憫で、虐げられるΩの子。
「おれは、おめがだから、かわいそうなの?」
意味もわからず、そんなことを母に何気なく聞いたら、絶句されて抱きしめられたことを覚えてる。
「そんなことない…晴翔は可哀想なんかじゃないわ。大丈夫。きっといつか、あなただけを愛してくれる"運命"の相手が現れるから」
俺の"運命"。
その人はΩの俺を愛してくれる、唯一の存在。
だから俺は、俺の"運命"を信じることにした。そうしたらきっと、「可哀想」だなんて言われなくなるし、正体の分からないこの寂しさも埋まるはずだから。
**
「へぇ、ご両親はβなんだ」
「そうなんですよー、何で俺はΩなんですかね…あ、別に、どっちかの浮気とかじゃないんですよ!」
「はは、そんなこと思ってないよ。統計的には稀にβの間にもΩが産まれることもあるって聞いたことがあるし」
ガヤガヤとうるさい飲み会の席で、先輩は俺の家族の話に耳を傾けながら、にこっと微笑んでくれた。Ωの俺のことを差別しないで優しくしてくれる、大好きな先輩。
先輩がαだって聞いたときは、やっと"運命"に巡り会えたって思った。この胸の高鳴りは、嘘偽りなんかじゃない。こんなにドキドキするんだから、"運命"に決まってる。
「こいつ、"運命の番"ってやつを信じてるんですよ!」
「う、ぐっ…っ!おい!のっかるな!重い!」
先輩との楽しい会話に割り込むように、背中から誰かに押し潰されて変な声が出た。俺に乗っかったサークル仲間は、だいぶ酒が入って出来上がっているようだった。
そいつを引き剥がし、違うテーブルに追いやる。
「"運命の番"か。αとΩの繋がり、だよな」
「あ、はい!その…はは、都市伝説とか言われてますけど」
「ああ。でも、そうだな…俺は信じるよ、その話」
「え」
「俺はαで、晴翔はΩだろ。しかも俺は晴翔のこと見ると可愛いなって思うし…なぁ、これって"運命"かな」
「え、え」
「とりあえず、連絡先交換しない?」
差し出されたスマホが何を意味するのか頭で処理できないまま、俺は数秒呆けてしまった。慌てて自分のスマホを取り出してアプリを起動させる。
にやけそうになる顔を引き締めながら、俺は初めて好きになった人の連絡先を手に入れた。
「ありがとうございます!」
この喜びを誰かに伝えたい。
あ、そうだ。
ふわふわした思考のまま、ポチポチと文章を打ち、送信する。そしてそのままスマホをポケットにしまい、俺は先輩との会話に没頭した。
その間に、何度も電話がかかってきたことなど気付かずに。
**
「おい、晴翔」
「え?賢司?」
酔っ払って足元がおぼつかずにフラフラしながら歩いていたら、駅の改札前で見知った奴が腕を組みながら立っていた。大親友の久永 賢司だ。
「どうしたんだよ」
「電話したんだけど」
「へ…、…、…あ、あれ?ほんとだ。ごめん、気付かなかった」
スマホの履歴を確認すると、ずらりと並ぶ賢司からの着信やらメッセージやらが見えた。
「行くぞ」
「え、あ、ちょ、賢司?」
賢司に引っ張られ、夜道をよろけながら歩く。何でこんなに不機嫌なんだ、こいつ。
そうこうしている内に、一人暮らしにはいささか広い部屋に到着した。ついこの間引っ越しを手伝ったときも思ったけど、とにかく広い。ものすごく広い。俺がすむアパートの部屋と比べ物にならない。
「さすがαの坊っちゃんはスケールがちがうよな…」
「嫌味か。まだ俺の金で借りてるわけじゃねーし」
ムスッとしながら賢司が俺をソファーに座らせた。ぽすん、と座ると、ふかふかと柔らかい感触がダイレクトに伝わってくる。
賢司はキッチンでごそごそと何やら用意して、水の入ったグラスを持ってきた。
「お、サンキュー」
「酔い覚まし」
「んー」
手渡された薬も一緒に飲む。
賢司は隣に座って、じっと俺を見つめてきた。なんだ、何なんだ。
「顔、赤いな」
「うぐ、ひゃめろ、つつくな」
「こんなになるまで飲むなよ」
「いや、だって先輩がさ」
「…。先輩」
「ほら、前に話しただろ?俺が好きになった先輩のこと」
「ああ、あのα」
「そうだ!あのさ!聞いてくれよ賢司!先輩がさ、俺のこと"運命"かもって言ってくれたんだよ!」
「…、…へぇ、それであの文面か」
ウキウキとした気持ちで、賢司を真正面から見る。俺はさっき、簡潔に『俺の"運命"見つけた』とだけ賢司にメッセージを送ったんだ。
「やっぱりさ!本当だったんだよ!"運命の番"の話!都市伝説なんかじゃなくてさ!魂と魂が惹かれあうっていうの、あれ、ずっとずっと信じてたけど、あったんだ!」
「…。」
「周りの人はさ、みんなΩは可哀想とか、それか、嫌なものでも見るような目をしたりとか、そんなのばっかりだけど…でも、でも!Ωは"運命"のαがいるんだしさ、可哀想なんかじゃないよな?」
「…俺は、可哀想だなんて、一度も」
「?え、何?聞こえなかった…、っわ!?」
いきなり足を引っ張られ、体勢が崩れる。
いくら柔らかいといっても、急に倒されると衝撃があるわけで…酔いも加わって、頭が回らないまま、呆けて賢司を見上げることしかできない。
「なん、だよ…ビックリした」
「なぁ、晴翔。そんなに"運命"にこだわって何になるんだ?」
「べ、別にいいだろ。俺は信じてるんだからさ」
「は、ははは…」
「っ、な、なに…」
賢司が目元を押さえながら笑い声をこぼす。
いつもと違う様子に、少し怖くなる。
「"運命"?そんなものあるわけないだろ」
そして目線を俺に合わせた賢司の瞳は、冷ややかなものだった。今まで見たことのないそれに、ゾッとしたものを感じてしまう。
思わず後退り、立ち上がろうとすると、カクン、と力が抜けた。それだけじゃなく、息が上がって苦しい。体が火照る。視界が回る。胸を押さえて、早鐘を打つ心臓に戸惑う。
「え、あ…何、なんで…、え…嘘だ、まだの、はず」
「世の中にはさ、色々な薬があるんだよ、晴翔。いくら俺から渡されたからって、警戒心ゼロで気軽に飲んじゃダメだろ」
「さ、さっきの、薬…? 何、何飲ませたんだ?!」
「発情期誘発剤」
「ゆう…」
力の入らない体が、ソファーの下に転がり落ちる。仰向けにされ、賢司が俺をまたいで体重をかけてきた。
「"運命"なんて無いし、あったとしても無駄だってこと、教えてやるよ」
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