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第16話 蓋をした思い
賢司は俺にとって"憧れ"だった。
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「…入りにくいな…」
目の前にそびえ立つ高いビルを仰ぎ見ながら、俺は大きなため息を吐いた。
賢司から連絡が途絶えて数日。
気晴らしに少し足を伸ばして、隣町に来た。
そこで見覚えのある後ろ姿を見つけたんだ。普段着てないスーツ姿で、髪も若干セットしてあったから最初は気付かなかったけど、よく見るとそれは…賢司だった。
「あいつ、何でこんなところに?」
俺は自然と賢司を追いかけていた。
そしてこっそり着いてきて辿り着いたのが、この大きなビルだ。見るからに高級そうだし、警備員も立ってるし、車もどんどん入ってくるし…そういえば、子どもの頃に親に連れてこられた結婚式場の建物にも似てる気がした。
「…、あ。見合い?」
賢司の格好や、この前言っていた言葉から推測すると、それがしっくりきた。賢司はこれからここで見合いをするのかもしれない。
「…。何やってんだろ、俺」
目線を落とし、足元を見つめる。
俺にとって賢司は、中学からの大親友だ。それは今も変わらない。今まで散々支えてもらったし、楽しかった記憶もたくさんある。それは嘘じゃない。
言葉にできない思いを持ってるのも事実だ。賢司が悲しい顔をするのは嫌だ。辛い思いもしてほしくない。
この気持ちが何なのか、分からない。分からないから、見ない振りをした。「番にしてきた賢司が悪い」とすべて賢司のせいにして、俺は見なくてはいけないことに目を背け続けた。明確な言葉にして、賢司が離れていくことが嫌だったから。
だって俺にとって賢司は"憧れ"だったんだ。
中学で出会ってから、その賢さも、努力を惜しまないところも、優しさも、「すごいな」って尊敬していた。
「Ωだから」という理由で親族から延々と嫌なことを言われていて、「こんな性に産まれなきゃよかった」と感じていた俺のことを対等に扱ってくれた。
中3の時、俺がΩ性であることをからかわれた場面で…賢司が相手のクラスメイトを殴り飛ばしてくれて、ますますその気持ちは強くなった。
だから、美那に言われたような"そういう対象"に見てはいけないと思った。うっかりすると、賢司はα性だから俺の"運命"なんじゃないかと思ってしまいそうだったから。それは性別に関係なく接してくれる賢司に失礼だと思った。それに、
『あいつらさ…言っていいことと悪いことがあるよな』
『まぁ、でも…いいよ。賢司が代わりに殴ってくれたし』
『…もう2、3発食らわせてやりたかった』
『いやもう充分だって』
『友だちに欲情するとかあり得ないよな。ごめんな、もっと早く止めてれば晴翔も気持ち悪い思いなんてしなかったのに』
その時、ひゅ、っと息が詰まったような気がした。何故かは分からない。でもひやりとした手で心の内を撫でられたような気がして、背中を冷や汗が滑り落ちた。
とにかく、この時から俺にとって賢司は、恋愛対象に「してはいけない」奴になった。
(…なんて、全部言い訳だ)
賢司の心が見えなくて怖かった。
急にΩ性として見られて、どうしたらいいか分からなかった
自分の中にある、得体の知れない賢司への気持ちが怖かった。
だから他の人に逃げた。
賢司にも、先輩にも、今まで好きになった人にも…全員に対して申し訳ない気持ちになった。
だって俺は、いつだって逃げてばかりだ。
ぐ、と両手を握りしめ、ビルの扉をくぐる。
少し歩くと、つまらなそうに外を見ている賢司が目に入った。止まってしまいそうな足を叱咤しながら、賢司のそばに近付く。
「け、賢司っ」
「…え、晴翔?」
俺の姿を見るなり、賢司は驚いたように目を見開いた。そりゃそうだ、まさか会うなんて思わないよな。
「何で、ここに?」
訝しげに問われ、狼狽えてしまう。
でも、ここで逃げるわけにはいかない。
そんなことをしたら、もう二度と賢司に会えないような気がした。
「お…、俺に…」
「…?」
まっすぐ賢司を見つめる。
「俺に、お前と向き合う時間とチャンスをくれ!」
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