第6話 ただ近くにいることすら

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第6話 ただ近くにいることすら

「おはよう、晴翔」 「お、おはよう…」 今まで何度も賢司の家に泊まったけど、こんな風に甘い声と笑顔で起こされたことはない。 「俺は、今日は午後にしか講義入ってないけど、晴翔は朝からだろ?」 「あ、ああ、そうだな、もう起きる…」 昨日は確かに体を求められることはなかったものの、一人用にしては大きいベッドに一緒に寝ることになった。だから、身の置き所に困って熟睡できなかった気がする。 「朝飯、どうする?」 「あー…っと、空きコマのところで何か食うから、大丈夫」 「分かった。じゃあ、軽く食べられるように包んだやつがあるから、持っていけよ」 にこりと笑いつつ、有無を言わせない圧を含んだ言葉を添えて、賢司は机の上に弁当袋を置いた。たぶん中身はサンドイッチだ。泊まったときは大体賢司が作ってくれる。 (…つーか、今考えると…泊まった次の日に弁当持たせる友だちとか…いないよな…) 弁当を持たされても、「いい奴だな」くらいにしか思っていなかった俺にも問題ありだ。 賢司に貸してもらった服に着替えつつ、リュックに必要なものを詰め込む。準備ができて玄関に向かうと、賢司も後ろから付いてきた。 何だかとても緊張してしまう。 「じゃ、じゃあな」 「ああ。気をつけてな」 靴を履いて振り向いたとき、あ、と思った瞬間には、腕を引かれ、額に軽く口付けられていた。 「な、なん、何、す…っ」 「はは、可愛い」 柔らかく微笑まれ、どうしたらいいか分からないまま、俺は逃げるように賢司の家から立ち去った。 ** 正直、一限目の講義は頭に入ってこなかった。講義が終わったあと、ぼんやりとしたままアプリを起動させると、休講のお知らせが入った。 突然できた空白に、少しだけ救われた気分になる。ちょうど頭を整理したかったところだ。 「俺と賢司の関係って、何だろう…」 賢司が作ってくれたサンドイッチを食べつつ、自分達の今の関係について考える。 確かに番になった。体も重ねる。賢司は俺のことをすごく甘やかしてくれるし、優しく接してくれる。でも、俺としては…親友だって感覚が抜けなくて、番と言われてもいまいちピンとこない。 俺の賢司に対するこの気持ちは何だろう。 こんな苦くて締め付けられるような気持ちなんて、知らない。 「晴翔?」 「え」 ぐるぐると悩んでいると、不意に声をかけられた。顔を上げると、見知った顔がひとつ。 「せ、先輩…?!」 「久しぶりだな。体調悪いって聞いてたけど…大丈夫か?」 「は、はい。すいません、連絡くれたのに返せなくて」 「はは、気にしないでいいよ」 先輩は爽やかな笑顔のまま、俺の隣に腰かけた。ドキドキと心臓が早鐘を打つ。 「まぁでも、困ったときは遠慮なく言ってくれよな。飲み会で言ったあれ、酒の勢いで言ったわけじゃないし」 「あれ、って…なんですか?」 「"運命"ってやつ」 「…!」 いつも熱弁していたその言葉を聞いても、今は苦しい気持ちにしかならない。だって運命だろうとなんだろうと、もう俺は先輩とは番になることができないんだから。 「あ、あれ、はは…、俺…今さらなんですけど、勘違いだったかなって」 「…勘違い?」 「だから、先輩も…きっと、気のせいですよ」 目を合わすことができず、曖昧に笑って誤魔化すしかできない。 「んー、気のせいじゃないんだけどな」 「…。」 困ってしまって黙りこんでいると、髪をわしゃわしゃとかき混ぜられた。 「そんな顔すんなよ。困らせたいわけじゃないんだ。…なぁ、じゃあさ、晴翔のこと好きでいてもいい?」 「…ダ、ダメです」 「それもダメなのか。厳しいな」 「だって…俺は…」 「晴翔に振り向いてもらえるように頑張らせてよ」 「…先輩…」 苦しい。どうしたらいいのか分からない。 俺はただ、俯くしかできなかった。
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