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「おまえなあ、ここまで来て言うなよ。水なんかあるわけないだろ。そういうのは先に済ませて来いよ。」
「うん。忘れてた。」
引き返すのか、と、彼は僕を立たせながら自分も立ち上がって問いかける。
「ううん、銀河を見るのが先。」
星々が満ちた川の水はどんな味がするのだろう。ライムネードに似ていそうな気がする。まだまだ遠いのかなと塔の終点を見上げると眩暈がした。
「馬ッ……鹿‼」
さっきより焦った声で彼が腕を掴み、すぐさま浮遊感は終わった。
「何回も同じことさせんな。」
ぐいと僕の肩を抱いて彼は叱りつける。
「天国に行ったら天使の羽根が生えるかな?」
「いい加減にしろって。」
今度は怒った口調だった。
「ごめんなさい。」
ほんとは、彼が何に憤るのかわからなかったから口先だけの『ごめんなさい』だ。ラウルフはそれに気づかなかったみたいで、
「別にいいけどさ。」
と、決まり悪そうにした後、僕に背中を向けてその場に屈みこんだ。
「負ぶってやる。ほら、さっさと腕貸せ。」
トントン、と彼は自分の肩を叩く。僕は言われた通り、彼の両肩に腕を乗せ、首の辺りに巻き付けた。よっこいしょ、と彼は僕の両膝を抱えて立ち上がる。浮いた背骨が胸に当たってちょっと痛いけれど、あったかくて気持ちいい。僕の体重を支えて強張った肩に頬を預けて、僕はまた瞼を閉ざした。
壁を手探りすることもできなくなったラウルフは、見えない革靴の先で確かめながら一段一段、慎重に登ってゆく。
幾らか揺れの大きな揺りかごに揺られて僕がうとうとし始める頃、彼はぽつと呟いた。
「もし、本当に天国への階段があるんなら――」
やめろと言った話題を自分から振る。まどろみの中で僕はそれを聞いていた。それほど登ったのか、彼の声は塔の暗闇をすうっと落下していくみたいだ。呟きを落とす、という表現があるけれど、まさに彼の呟きは滑走するように落ちてゆく。
「キディには無理だな。日が沈んじまうくらい長いんだろ。これよりずっと長いぜ。おまえには登れっこない。」
それは確かにそうかもしれない。肩に額を擦りつけて、僕は同意を示す。だけどそれじゃあ、僕は天国に行けないのだろうか。
「ラウルフがおんぶしてくれないの?」
寝ぼけ気味の覚束ない声で訊ねた。
「おまえを負ぶってやるためだけに俺まで死ななきゃなんないのかよ。冗談じゃないぜ。」
からからと笑う声が円柱の内部をこだまする。上昇しながら落下してフッとその音が消え去ると、彼は「でも」と続けた。
「もしも……、もし、どうしても寂しいって言うんだったら、付き合ってやってもいいさ。ただし、俺がヨボヨボのジジイになって死ぬ時が来たらだぜ。それまでおまえも待ってろよ。」
それはちょっと難しいような気がする。
お医者さまは僕がいつ死んでしまうとは言ってなかったけれど、少なくともラウルフがお年寄りになるよりは前のはずだ。僕の死ぬのがそんな何十年も先のことなら、薬も医者も必要ない。父さんはベッドに横たわるようになって半年足らずで天に召された。
それに。
「おじいさんになっても僕をおんぶできる?」
その頃には僕だっておじいさんだから、少しの歳の差なんて無いも同然のはずだ。背丈だって彼と同じくらいに違いない。
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