ACT 3

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血液浄化室に入り朝の準備を進め、申し送りを聞いたあと――患者さんが入ってくる少しの合間に、水口さんが「聞いた?」、話しかけてきた。 「史希くん。今日、師長と話すらしいよ」 昨日、有川さんから聞いたけど。言うとまた、話しが広がりそうなので「そうなんですね」、答える。 「……上手くいくと、いいです」 「だよね。皆も、そう思ってる」 水口さんが小さく口角を上げたとき、体重や血圧を測定した患者さん達が入ってきた。私たちはベットへと案内し、透析の準備を始める。 担当している年配の男性患者さんの腕に穿刺(せんし)をしていると、誰も来ない隣のベッドに目を向けて「また梶谷(かじたに)さん」、言葉を繋げる。 「遅刻か。また味噌汁のことで、娘に文句でも言ったんだろ」 確かに、たまに遅れることはあったけど……明るい声を聞きながら、私は「あの」、少し神妙な顔つきで目を向ける。 彼は梶谷さんと仲が良く、透析もほぼ同時期だったこともあり、この5年間、いつも隣同士でお喋りを楽しんでいた、らしいのだけど。さっきの申し送りで、梶谷さんは昨夜遅く、心不全で亡くなったと聞いた。 「実は、梶谷さん……」 少し眉を顰めてみせると、察したように視線を落とし「……元気だったのに」、黙り込んだ。この報告が、一番辛い。でもこういうときは言葉を重ねないほうがいいことも、この数ヶ月で知っている。それからは無言で準備を進め、透析を見守った。 とは言え、他の患者さんにも梶谷さんのことを聞かれ、いつもより重い空気を感じながらも――なんとか透析を終える。それからは、気持ちを切り替えながら後片付けをしていると看護士に「花江さん」、声を掛けられた。 「弟さんが来てるけど」 「はい?」 今まで一度も言われたことのない言葉に、変な声が出た。でも聞こえなかったのだと思われ「弟さん、廊下に来てる」、もう一度、言葉を重ねながら出入り口の自動ドアを指さして行ってしまう。 弟なんて、いないんだけど……。不審に思いながらも、とりあえず近くにいたMEに「すいません。少し離れます」、声をかけて廊下に出ると――。 「花江芽愛里、花江芽愛里、花江芽愛里!」 ピンクと白の大きめボーダーシャツに黒のスタジャン、そしてルーズなサルエルジーンズを穿いた2人が嬉しそうに、駆け寄ってきた。 「理亜都が我慢出来なくて、会いに来た、会いに来た、会いに来た! まだ1日しか経ってないのに、ないのに、ないのに。 【よ、よけいなこと言わなくていいから】だって、本当のこと、本当のこと、本当のこと!」 揉めだした2人に困りながらも、笑ってしまう。するとまた「【弟なんて、ひどい】ボクは童顔、童顔、童顔【だからって、弟とか】」、揉め始めた2人を見ながら――ふと、シューのことを思い出し「あの」、少し大きな声を投げて、2人の視線を引き寄せる。 「犬の飼い主って、探せるかな?」 「【犬の飼い主?】探せる、探せる、探せる!」 「良かった。飼い主を探して欲しい犬がいるんだけど」 「【拾ったの?】」 「まあ、拾ったって言うか、ついてくるって言うか」 歯切れ悪く言う私に首を傾げながらも「写真を送って、送って、送って」、來亜が言葉を繋げる。 「掲示板がある、ある、ある。とりあえずそこに載せる、載せる、載せる。冬璃とも探す、探す、探す。任せて、任せて、任せて!」 「ありがとう。じゃあ、写真撮って送るね」 親指を立てた來亜に笑顔を向けていると――「すいま、せん」、後ろからの声に振り返る。 目が合った途端、頭を下げたのは、透析を受けていた梶谷さんの娘……千香さんだ。 「……このたびは」 それ以上、言葉が続かなくて。とりあえず頭を下げると、千香さんも再び頭を下げ「色々……ありがとうございました」、言葉を繋げる。 「あの……水口さん、いますか」 梶谷さんの担当は、水口さんだった。 「はい、お待ち下さい」 私はじっと千香さんを見詰めている2人に軽く目を向けながらも室内へと戻り、片付けをしていた水口さんに声をかける。 「梶谷さんの娘さん、来てます。廊下に」 「千香さん? そっか……」 水口さんは手を止めて小さく息をついたあと「ありがとう」、口角を上げて走っていく。 担当していた患者さんが亡くなると、家族が挨拶に来ることはよくある。長い間、透析でお世話になるのだから、それなりに距離は近くなるものだけど。 その中でも千香さんはお父さんの送迎はもちろん、透析の間もラウンジでずっと待っていたから、担当の水口さんは話すことも多かった。 「【あの人のお父さん、亡くなった?】」 理亜都の声に、ものすごく驚きながら目を向けると、少し不安そうな顔をしながら私の顔を覗き込んでいた。もしかして梶谷さん、いるの? 思いながらも、とりあえず。 「入って来ちゃダメ」 2人の背中を押しながら、廊下へと出る。 少し離れた廊下の端っこで、泣いている千香さんと水口さんが話しているのが見えた。大丈夫かな……ふと、頭に手を当てた水口さんを見ていると「【殴ってるよ、お父さん】」、理亜都が言葉を繋げる。 「【看護士さんの頭】」 いきなりの言葉に「え、何?」、2人を見詰める。 「やっぱり梶谷さん、いるの?」 「【梶谷さんかは知らないけど。あの女の人のお父さんがすごく怒ってて、慰めてる看護士さんに文句言ってる】」 「文句?」 「【わしは娘に殺された! こんなヤツの話、まともに聞くなって】」 「え、殺されたの?!」 驚きながらも小さな声で聞き返すと、2人はじっとの千香さんたちのほうへと目を向けながら「【”記憶のリボン”を……見てるけど】」、ゆっくり言葉を繋げる。 「【あの人は殺してない、と思うよ。でも……あんまり、良い娘でもなさそうだけれど】」 「……そう? いつもお父さんに付き添って、すごく献身的だったけど」 「【付き添ってたのは、いつも話してる患者さんに、自分の悪口を言ったかどうかに確かめるためだよ】」 理亜都の声を聞きながら「【聞いてたことは内緒にしてたみたいだけど】」、いつも隣同士でお喋りを楽しんでいた年配の男性患者さんを思い出す。あの人に、聞いてたんだろうか。 「【つい最近、その患者さんがうっかりお父さんに話しちゃって。娘にすごく不信感が募ったみたい】」 「え、そうなの?!」 「【まあ、でも。あのお父さんも元々、かなり頑固だからね。”記憶のリボン”を見る限り……どっちもどっちって感じかな】」 いつも不機嫌そうだった梶谷さんを思い出しながら――千香さんのほうを見詰めて「【突然、倒れたんだ】」、再び口を開いた、理亜都の声を聞く。 「【他の持病もあったみたいだけど……お父さんは、娘がそうなるように仕向けたと思ってるみたい。悪口事件で、相当不信感募ってるからね。味付けが濃かったとか、なんとか】」 そう言えば、男性患者さんが、お味噌汁の味付けがどうとか、言ってた気がする。 確かに、人工透析を受けている患者さんは、食事療法もかなり重要。その中でも特に気をつけたいのは、塩分。水分の過剰摂取を防ぐために、控えなければいけない。透析のとき、体に負担を掛けてしまうからだ。高血圧にもなるし……体にいいことは1つも無い。それは透析患者さんや家族にとっては、基本中の基本、なのだけど。 「意図的にしてたなら、良くないよ」 深刻な気持ちで言ったのに。 「それを知るためには、あの女の人の”記憶のリボン”を見なきゃ、見なきゃ、見なきゃ」 來亜は、くすくす笑う。 いや、それ。死なないと見えないでしょ? 來亜って、たまに毒舌……過ぎるよね? 軽く睨みながら腕を肘で(つつ)いたあと「梶谷さんは」、気がかりなことを口にする。 「大丈夫なの?」 「【成仏できるかってこと?】」 「まあ、そういうこと」 「【どうかな。あの人次第、なんじゃない?】」 冷たく聞こえて眉を顰めると、少し考えるように視線を落として「【ぼくは最初から、霊と向き合ってたワケじゃないんだ。ほんの少し前までは、君と同じだった】」、上げる。 切り替わった言葉に首を(かし)げながらも「【中学のとき、死んじゃって】」続く言葉を聞く。 「【來亜と一緒に”生きて”きたけど。ずっと霊を無視してた。嫌なことを言ってきたり、みせたりするから。霊が怖くて、怖くて、たまらなかった】理亜都も死んでるのに、死んでるのに、死んでるのに!」 ブラックな來亜の茶化しに、理亜都は嫌な顔をしたあと「【でも、あるとき】」、瞼を浅く落とす。 「【声を、聞いてしまったんだ。來亜が高校を卒業して、施設を出たまではいいけれど。働いてた工場を辞めちゃって、家賃もどうしようって……って悩んでるとき。その声を、聞き入れてしまった】気持ちが弱ってると、つけ込まれる、つけ込まれる、つけ込まれる」 理亜都はまた、嫌な顔をしたあと「【病気で亡くなった、女の人だった】」、言葉を繋げる。 「【五歳の男の子を残して亡くなっちゃったみたいで。すごく心配してた。その子に会いたいって、会わせてくれって、頼まれた。だからぼくは彼女と一緒に……彼女の言われるがままに、彼女の言葉を信じて探したんだ。君と、同じだね】」 少し自嘲気味に口角を上げたあと「【一生懸命、探して。見つかったよ】」、言葉の割にはトーンが落ちる。 「【子供はお父さんらしき人と、女性と、3人でいた。途端、その女の人は、男の人に……しがみついて、離れなくなった。ものすごい形相で、不快な声で唸り始めた。一気に豹変して本当に、怖かったよ】」 「それって……」 言葉を濁していると「【仲良く、なっちゃったんだよ】」、理亜都は視線を落として、呟く。 「【病気になって、入院してる間に。他の、女の人と。でもその頃のぼくは霊と向き合ってなかったから、上手く”記憶のリボン”をみることも出来なかった。きっとその女の人は気付いてて……だからぼくにウソをついて、探して欲しいと頼んだんだ。裏切った旦那さんに、復讐するために】利用された、利用された、利用された」 小さく息をついたあと「【でも、そんなとき】」、声のトーンを上げる。 「【冬璃に声をかけられて。仕事も住むところもくれて。だから霊のことも、どうにか出来ないかと頼んだんだ。ぼくのせいで、大変なことになったって。そしたらね、りっちゃんが来た。そのときが、初対面】」 視線を上げた理亜都と「リツさんは」、目を合わせる。 「……どうしたの?」 「【何にもしてくれなかった。ぼくが関わっていても、いなくても。いずれ、そうなってたって。だから自分を責めることは、しなくていいし……彼女たちで解決させるべきだって。りっちゃんたちは、そういう個々のことには干渉しないんだって】」 「でも解決なんて出来るの? 子供は? 巻き込まれなかった?」 思わず聞くと「【実は、ぼく知ってるんだ】」、小さく口角を上げる。 「【りっちゃんは、何もしないと言ったけど。ぼくの言う通り、対処してくれたんだ。きっと、ね】」 「そう、なの?」 「【きっと、だよ。りっちゃんに言われて、納得しようと思ったけど。やっぱり、出来なくて。見に行ったんだ。そしたら、あの女の人はいなくなってて……3人、すごく幸せそうだった】」 見詰める私に「【もちろん、確信はないよ。りっちゃんは聞いても、答えてはくれなかった】絶対、りっちゃん、りっちゃん、りっちゃん」、來亜も参戦して、言葉を繋げる。 「【でもね、女の人はいなくなったけど。やっぱりぼくは納得出来なかったんだ。あの女の人は病気と闘ってたのに、裏切る旦那さんも、悪いんじゃないかって。もしかしたら、病気になる前から、そういう関係だったのかもしれない、とか。確かに旦那さんも子供を抱えて大変だったとは思うけど。その心中は純然としたものじゃない気がしたんだ……同時に、ぼくは間違っていたんじゃないかとも思い始めて……悩んだよ】難しい、難しい、難しい」 顔をしかめたあと「でも、でも、でも」、來亜は不敵の口角を上げた。 「”そういうの”は必ず、返ってくる、返ってくる、返ってくる【そうだね。來亜にそう言われて……因果応報はあると、気持ちを静めた】絶対、ある、ある、ある!」 元気に言った來亜に続いて「【だから、というか。なんて、言うか】」、理亜都は真っ直ぐ、私へと視線を向ける。 「【そのことでぼくは、色々考えるようになった。ちゃんと”記憶のリボン”を理解しようと頑張ったし……すぐにりっちゃんに頼るんじゃなくて、もっと相手を……と言うか、霊を知って、向き合っていかなきゃとも思った】理亜都、頑張った、頑張った、頑張った【來亜も協力してくれてるからだよ。ありがとう】」 大きく口角を上げた2人を見て、ぎゅっとした胸を抱えながらも――ふと、考える。 リツさんは何だかつかみどころがなくて、少し冷たく感じることもあって。まあそれは、私が嫌われているせいもあるのかもしれないけど。 理亜都や來亜に対するリツさんの態度は、毅然(きぜん)としている。 女の人を落としたのは、2人の言う通り……きっと、リツさんだ。理亜都の話しを聞き、現実を教えながらも女の人を落として、考えさせたかったのかもしれない。 そして――桜くんのことにしても、厳しいけれど、こうあって欲しいという想いや願いを感じる。まあ少し厳しすぎるかな、とは思うけど。 とにかく、2人から聞くリツさんは大人で理性的で、厳しいけれど……どこか、思いやりを感じる。 現に理亜都や來亜は霊と向き合う覚悟ができたし……悪い霊たちに騙されて命さえ危うかった桜くんも、立派な〈霊奏至〉になった。でも。 今、リツさんが〈霊奏至〉として――総代として、していることは。理性的でも、毅然ともしていない。 危険なあやかし〈夢幻寄霊琉(むげんきれいりゅう)〉を桜くんに〈寄生〉させたり、勝手な想いで松瀬くんを総代にするとか、理不尽な”()”や”(めい)”を放ったり。まるで人が変わったみたいで――。 『(ことわり)は、どちらに傾いている?』 何故だろう。 いきなり、いつだったかの言葉が脳裏を巡る。同時に、急にモヤモヤ、ソワソワした胸に、手を当てる。 なんだろう、これ。何だか、分からないけど。やっぱり意味なんて分からないけど。 ものすごく、この言葉が気に掛かる。そして、思う。 もしかしたら私もリツさんに、何か考えさせられてるんだろうか? 『やっぱり、キミが嫌いだ』 まだまだ――隠された、願いや想いが。 『でも、期待してる』 あるんだろうか?
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