ACT 3

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車は、一番奥の駐車場に止めてあった。 有川さんは「ちょっと遠くてごめん」、謝りながらもCHーRというエンブレムがついた白い車に近づき「どうぞ」、助手席のドアを開けてくれた。 あまりされたことがなくて。と言うより、されたことがなくて。少し緊張しながら助手席に乗り込むと、ドアを閉めてくれる。それから運転席に回り込んで隣に座ると、エンジンを掛けた。 聞いたことのある洋楽が流れ、真中みたいなサプライズがなくて良かった、ほっとしながら――車を走らせた有川さんの横顔を、チラリと見る。 やっぱり、師長さんとの話しが聞きたい。でも元気がなさそうに見えて、ちょっと怖い。いやでも、待つべき? 待つべきだろうな。1人で自問自答しながら見詰めていると「芽愛里ちゃんは」、目が合ってしまう。 「どんなケーキが好き?」 「え、ケーキですか?」 師長さんの話しは? 思いながらも、視線を前に戻した有川さんに「好きなケーキは」、言葉を繋げる。 「ミルフィーユ、かな」 「いいね」 「有川さんは?」 「チーズケーキ。レアじゃないほう」 「スフレ、美味しいですよね」 「そうだね。ベイクドもいい」 「レアはダメですか?」 「べたっとしてるから、苦手。しっとり、ふわっとしてるほうが……好みかな」 また視線が流れて、目が合って、跳ねた鼓動にうんざりしながらも「ですね」、逸れた視線に、ほっと息をつく。 そこからまた洋楽だけが流れる車内に、ちょっと戸惑う。 だって、なんか緊張する。真中とは比べものにならないくらい緊張する。何が、どうと聞かれても分からないけど。すごく緊張するから。 「師長さんとの話し、どうだったんですか?」 もはや聞いてしまった。 すると有川さんは一呼吸あけたあと「師長さんとの話しは」、前を向いたまま言葉を繋げる。 「そんなに長くなかった」 「長くないって、どういう意味ですか?」 「……俺さえ良ければ、続けて欲しいってことかな」 言葉の割にはトーンが低くて「有川さんは」、かなり不安になって聞く。 「どう答えたんですか?」 じっと見詰めると、一呼吸おいたあと「考えさせて欲しいって、言った」、呟いた。 「彼女は専門の頃からこっちで一人暮らししてたみたいだけど。退院したら親のところに戻って、そこでまた看護士やるって。でも俺は」 そこで言葉を一度止めて、小さく息を吐いて、繋げる。 「正直、自信がないんだ。このまま看護士を続けることが。彼女を自殺にまで追い込んでしまった自分が……許せない」 はがゆげに顔を歪めた有川さんを見て、胸が痛くなる。有川さんが責任を感じるのはーーそういう人だってことは、分かってる。でも、だからこそ「有川さんが、そんな風に考える必要、全くないんです」、力を込めて言ってしまう。 「だって彼女があんなことしたのは……その……霊のせいなんです。彼女は、その、悪い霊に……悪霊に、取り憑かれちゃって、だから」 一生懸命話してるのに有川さんは「悪霊?」、小さく笑う。だから。 「ほ、本当なんです。全部、その霊のせいだから」 「でもその霊に取り憑かれちゃったのは、俺のせいだよね?」 黙り込むと「嬉しいよ」、なんだか悲しげに、口角を上げてみせる。 「ちょっと予想外な言葉だったけど、俺を庇ってくれて」 前を向いたまま呟いた有川さんに「庇ってなんか、ないです」、低い声を投げる。 「私は……許して欲しいって、言ってるんです。自分自身を」 赤信号でブレーキを踏んだ有川さんの視線が、こちらに流れる。その視線を「確かに、有川さんは」、強く捕まえる。 「彼女は自分を傷つけてしまったけど……有川さんは救ったじゃないですか。この病院は離れてしまうけど、また別の場所で看護士をしようって思えるくらい。だから有川さんも、いいんです。看護士を続けても……自分を許しても……いいと、思います」 見詰めるだけの有川さんの心に届くよう「この先も」、願いながら、言葉を重ねる。 「有川さんは、たくさんの命を救います。絶対、断言できます。だから……迷っているなら、看護士を続けてください! お願いします!」 頭を下げたのと同時にクラクションが響き、有川さんは慌てたように青信号に目を向けるとアクセルを踏んだ。 それから、真っ直ぐ前を向いたまま黙り込んでしまう。かなり不安になって視線を向けたけど、全然こっちを見ない。 少し……かなり、言葉を押しつけすぎただろうか? 悪霊とか言ったのも、良くなかったかも。ぐるぐる、戻せない言葉を巡らせているうちに――N美術館前に着いてしまう。 有名な庭園やお城とともに大通り沿いに並ぶN美術館は、ガラスで縁取られた円形状の外観で、その周りを囲むように芝生が広がっている。空のトーンは落ちてはいるものの、散策する観光客や親子連れの姿が多く見えた。 楽し気な人たちを横目に、大通りから芝生沿いにある脇道に、車を止めてくれたけど。有川さんは黙り込んだまま、視線を落としてしまう。少し悩みながらも、これ以上重ねる言葉も見つからず「すいません、ありがとうございます」ーー車を降りようとしたとき「芽愛里ちゃん」、腕を掴まれる。 「松瀬くんに、会うの?」 目を向けると、小さく息を吸ったあと「ごめん」、手を離す。 それでも見詰めるから、鼓動が跳ねて早くなる、顔が熱くなる。マズい、ヤバい。マズい、ヤバい。2回、思って「あ、会うのは」、妙なトーンで声が出てしまう。 「松瀬くんじゃなくて……友達なんです」 「そう、なんだ」 有川さんはほっとしたように息をつく。それを見て、どうせウソつくなら松瀬くんだと言えば良かったんじゃないの? 思う。だってこれじゃ、まるで――小さく息を止めて、思考を止めて――なのにまた鼓動が早くなるから、聞こえるんじゃないかと思うから「さ、さっきは!」、今度は少し大きな声を出してしまう。 「なんか色々、言ってすみませんでした! 決めるのは、有川さんだし、だから」 「看護士、続けるよ」 静かな声に「え?」、声が掠れる。 「ほ、本当……ですか?」 「本当。だからまた、よろしく」 小さく口角を上げながら、右手を差し出す。今までの沈黙はなんだったのか、若干気になりながらも、それ以上に嬉しくて「全然、全然!」、差し出された右手を両手で握る。 「私のほうこそ、よろしくお願いします!」 笑顔を向けると、ぐっと手を引っ張られ――抱きしめられた。突然のことに熱くなった私の耳元で「ありがとう、芽愛里ちゃん」、優しく囁くと、体を離す。 やっぱりマズい。鼓動がヤバイ! 熱い顔で有川さんの笑顔を見ながら「全然。私こそ、ありがとうございます」、早口で言ったあと車を降りる。 有川さんはそんな私を見て小さく笑いながら窓を開けて「またね」、軽く手を振ると車を走らせた。 遠くなる車を見詰めながら、大きく息をつく。 看護士を続けてくれると決めてくれて、本当に良かった、でも。 まだ少し早い胸に手を当てて、うんざりする。何をやってるんだろう、自分に呆れる。 松瀬くんが、好きなのに――もう記憶は戻ってるのに。どうしていちいち、意識してしまったのか。 ぱちぱち、頬を弾いて、今から久須義さんに会うんだ、しっかりしなきゃ――美術館へと目を向ける。
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