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「こんなところにいたの。探したよ」
悪戯っぽい笑顔を見ながら、桜くん? と思う。
でも違う。黒縁のスクエア眼鏡を掛けている。
「怒ってる? さっきの子は同じ研究室の子だよ。だからそんな顔しないで、ほら」
頬に手を当てられ、大きく息を吸いながら――「本当に?」、わたしは大きく睨む。
「リツに、ベタベタ触ってた」
「ベタベタでもないかな」
「ベタベタだった。普通じゃない気がした」
「普通だよ、全然」
「わたし以外の人にも、リツはいつもベタベタする。ベタベタされる」
「カナは怒った顔も可愛い」
囁きながらわたしの手を引いて、ぎゅっと抱きしめて、おでこにキスをする。周りにはたくさんの人がいて、こっちを見てる人もいるけれど。全然、気にならない。
だってリツのぎゅっは、思考を停止させる。甘い香りがして、絶妙な心地よさで、わたしを包み込む。このまま、ずっと、永遠に……続くんじゃないかと思わせる、時間を止める。でも、今日は。
「可愛くない」
頑張って言ってみる。でも。
「可愛い。誰よりも、何よりも、カナが一番」
甘い甘い眼差しに、負けそうになる。頑張れ、わたし。
「さっきの子、私より全然、可愛かった」
「そう?」
小さく視線を落として。
「カナのほうが可愛いよ」
上がる、黒い瞳に吸い込まれる。
「好きだよ、ずっとぼくのそばにいて」
囁く声に、捕らわれて。
「ぼくだけ見てればいい」
呼吸も鼓動も、支配される。
なのに。
「あ、ごめん。ちょっと待てて」
ポケットで鳴った携帯を手に取り、歩いて行く。それいま、出なきゃならない? 一体、誰? どうして離れるの?
携帯を耳に当て、人混みに紛れるリツを見ながら小さく溜息をつく。
久しぶりに会えたのに、リツは相変わらずだ。こんなんじゃ、益々不安になる。わたしはリツの彼女なの? くだらないことを聞きたくなる。
出会った頃は……お互いまだ学生だった頃は、今より全然良かった。やっぱり忙しそうだったけど――だから数時間のときもあったけど、とりあえず週1は2人っきりで会えた。それ以外にも授業の合間だとか、テラスで待ち合わせてランチを食べたりとか、してくれてたのに。
院生になった途端、忙しい、忙しいに拍車がかかり、電話はもちろん、メールもこの2週間、ほぼなく。
院生ってそんなに忙しいの?
大学院に行った友達に聞きまくり。
どうだろうね、ヒマではないかもね、でもメールくらいはできるよね、と言われ。だいたい最後は、就職しちゃうと色々すれ違っちゃうものだから、と言われる。所詮、相手は学生だから、と。
夢を叶えて、小学校の先生になれたのはいいけれど。
楽しい反面、大変なことも多くて、毎日疲れて。だからこそ繋がっていたい、声を聞きたい、出来ることなら顔を見たい、のに。
リツは、そうじゃないみたいで。
でも昨日、突然メールがきて……私がこのアクアリウムに来たかったことを覚えててくれて、美味しいランチのあと連れてきてくれた、けど。
ココにくるまで、5人の女に話しかけられた。
それはいい、いつものことだから。
電話も、もういい。
いつものことだから。
いつも腹が立って、いつも許してしまう。
それでいい、と思わせる、思ってしまう。そんな自分がたまらなく嫌いで、そんなリツがたまらなく好き。
もう、しょうがない、しょうがない。
だって、そんなの。
初めて会ったときから分かってた。
その手を掴んでしまったときから、きっとこうなると。
こんな気持ちになると、分かってた。
でも、まさか。
小さく息をつきながら――お腹に手を当てたとき、鞄の中でメールの着信音がなる。
知夏からだ。
昨日、ちょっと浮かれて”明日はリツと久しぶりのデートだ”ってメールしてしまった。
メールを見ると予想通り”デート楽しい?”って、きてた。でも、もう一行”愚痴はいつでも聞くからメールして”って.......もはや、メールしたい。溜息をつきながらも、鞄に戻す。
大学で知り合った知夏は、リツとは幼馴染みだから”あー分かる、そういうとこ、あるある”って、全部頷いてくれる。でも同時に、別れた方がいいとも、言われる。そもそもは知夏が、引き合わせたのに。
「諦めの悪い女だ」
低い声に、振り返る。
背の高い短髪の男が、大きくわたしを見下ろしていた。
落ちている切れ長の目はなんだか鋭く、体はガッチリしている。頬から顎へとうっすらと髭があり、黒のレザージャケットにジャージパンツのせいか、それともいかつい雰囲気のせいか、ちょっと犯罪者っぽくも、見えたり……この感じの悪さ、前にも、あった……ような。
「あんた、まだリツに付きまとってるのか」
うんざりしたように軽く落とした瞼を見詰めながら、ああ、そう言えば、何故だかふと、いつだったかの場面を思い出す。
リツと映画を観に行ったとき、会った気がする。彼は1人で、今みたいな感じの服で、目で、じっと私をみてた。リツに誰なのって聞いたら、生意気な後輩、と答えてた。
「あなたは、リツの後輩?」
生意気は省いて、とりあえず確かめてみる。でも。
「後輩じゃない」
怒ったように呟く。だから。
「じゃあ、友達?」
他に浮かばなくて、ありがちな関係で聞いてみた。でもやっぱり。
「友達なんて軽いものじゃない」
予想外の、微妙な返しに、かなり戸惑う。
黙り込んだわたしに「リツは」、強い眼差しを向ける。
「あんたなんか想像できないほどすごい力を持っている。だからこれ以上、リツの邪魔をするな」
少し尋常じゃ無い雰囲気を感じ、小さく身を引く。彼の言葉はいちいち、理解出来ない。軽くない関係って何? 力って何? 少し気味が悪いなと思いながらも「わたしは別に」、とりあえず反論してみる。
「リツの邪魔は、してないけど」
「している」
「してない。全然、無理なことも言ってない、我慢してる。会ったのも2週間ぶりだし、メールも電話も全然、してない」
責められるように見られ、心の中で燻っていた思いが、つい口から出てしまう。ああ、ダメだ、ダメだ。今日は、やっぱり落ち着いていられない。初対面と言っても過言ではない”友達なんて軽いものじゃない”彼に、愚痴っぽい言い方をしてしまうなんて。やっぱり知夏にメールしたほうがいいかも。すぐに反省して「本当に」、声のトーンを落ち着かせる。
「全然、邪魔なんてしてないから」
「している、今も」
指を向けられ、反省が翻り、腹が立ってくる。
「一体なんなの? わたしのこと、知りもしないくせに。いきなり話しかけてきて、邪魔するなとか。すごく失礼」
指をさし返すと、ものすごく不愉快そうな顔をして「あんたは」、私の手を払いのけながら低い声を落とす。
「何も分かってない。あんたが傍にいること自体、リツに迷惑なんだ。あんたの存在が、リツの未来を潰している」
なんだかまるで映画やドラマのようなセリフに、ちょっとぽかんする。もしかして、何かの撮影でもしてる? 巻き込まれてる? 軽く視線を左右に振りながらも、そんなことがあるはずもなく――だから力の抜けた声で「なんなの」、聞き返してしまう。
「未来を潰すって」
「そのままだ」
だからそのままって何? 眉を顰めると「あんたとの」、強い眼差しを向ける。
「未来はないってことだ」
ぎろりと上がった黒目は、鋭くて。少し怖くなったわたしは、思わず――お腹に手を当てながら、背中を向けようとしたのだけれど「あんた」、手首を掴まれる。そのままじっと数秒、見詰めて「今すぐ」、低い声で呟く。
「堕ろせ。あんたの手に負えるものじゃない」
小さく息を吸ったわたしの腕を、ぎゅっと握って。
「リツには、もう結婚が決まってる人がいる。あんたなんかよりキレイで、聡明な方だ。あんたにその未来を奪う権利はない。あんた如きが、リツを貶めるな」
強い眼差しを向けたあと、突きはなすように腕を払い「リツは、あんたを置いて帰る」、にやりと口角を上げた。
「あんたより大事で、守らなきゃならないものがあるからだ」
吐き捨てるように言うと、人混みに紛れていく。
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