ACT 3

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視界いっぱいに、青が広がる。 真っ青な空から、視線を落とした足下には、真っ白な……雲? ふわふわした感覚の中、視線を上げる。 一体、ここは?  ぐるりと視界を巡らせた背後に――久須義さんと、リツさんを見る。 どうしてあんなところに久須義さんが、リツさんが向き合ってるの? そもそもリツさんは、どうしてここに? 久須義さんは、睦月に〈入って〉たんじゃないの? 出たの? じゃあ、睦月は? 松瀬くんは?  桜くんは? 真中は小向は? と言うか、ここはどこなの? かなり混乱しながら、この空間で唯一の存在である2人へ、足を向けようと……したんだけど。 何もないはずの目の前に壁を感じて、どん、ぶつかる。 先に行けない。ガラスでもある?  見えないのに確かにある”ひんやりする透明な何か”に、両手を当てると――まるでスクリーンの中に吸い込まれたような感覚とともに、2人へと視界が近づき「どうしてリツがいる?!」、ぼんやりとした頭の中で声が響き始めた。 「リツは全部、知っていたのか?」 じっと見詰める久須義さんに。 「わたしはただ、たどり着いただけだよ。(ことわり)へと」 リツさんは静かに答える。 「またそれか」 苛立つように吐き捨てた言葉を「力で動かす未来に、何をみる?」、リツさんがゆっくりと拾う。 「〈夢幻寄霊琉〉に〈浸食〉されれば、力を得られると思った?」 黙り込む久須義さんを「でも、怖くなった?」、リツさんはじっと見据える。 「大きな力を目の前にして。その力を望んだはずなのに。だから逃がしちゃった?」 一呼吸おいて「リツは知っていたのに」、探るような眼差しを向けた久須義さんを見る。 「どうして、おれを訴追(そつい)しなかった?」 「問題はそこじゃないからだ」 リツさんは低い声で言うと、じっと久須義さんを見据えた。 「どうして、いつまでも力にこだわる? 〈人ならざるモノ〉の代表にもなったのに。どうして」 「リツには分からない」 切るような声で(さえぎ)り「〈人ならざるモノ〉の代表になっても」、言葉を繋げる。 「いくつになろうとも――どれだけ上を目指そうとも。目指せば、目指すほど満たされない。おれのことを認めないヤツらがいる。”純血”でありながら天賦(てんぷ)(さい)などなく、死ぬほど努力しなければ地に落ちる、クズだってことを」 「認めないなら、相手にしなければいい」 静かな声に。 「リツはいつも、簡単に言う」 視線を落として「あの日」、上げる。 「リツに会って、おれは変わった、変われた。リツの言葉は、おれを強くし、動かす。リツは高いところにいるはずなのに、いつもおれに視線を合わせて、手を差し出してくれた」 見詰めるリツさんに「ついていきたいと思った」、ぽつりと言葉を落とす。 「リツが目指す場所へ。見たいと思った、リツと同じものを。リツには、どんな理想も現実に変える力がある、そう思った。でも」 ふと、久須義さんの眼差しが強くなる。 「あの女が、すべてをぶち壊した。おれたちを、リツを!」 リツさんは気持ちを抑えるように、大きく息を吸って。 「壊したのは、兼嗣だ」 静かに答える。でも久須義さんは「おれじゃない!」、低く叫ぶ。 「あの女がリツを壊し、今も壊れている! あの女の子供を本家に引き入れ、あの女の子供に”孤高の〈霊奏至〉”を、〈夢幻寄霊琉〉を〈昇奏(しょうそう)〉させた! (おとし)めた! 挙げ句に、あろうことかその”混血”を――あの女の子供を、次期総代にしようとするとは! おれが正しい道へと導いたのに! リツはまだ、(うつつ)を抜かしている!」 どん、と胸を押され「わたしに黙って」、リツさんの眼差しが強くなる。 「彼女を傷つけ、そのことを何年も隠していたのに、”正しい道”だって言うのか」 でも久須義さんは「正しい道だ」、引かない。歯がゆげに「リツはただ」、眉を顰める。 「逃げようとしていただけだ。あの女を使って、〈霊奏至〉から、運命から。誰もが羨む力がありながら持て余し、その力に群がるモノたちに嫌気がさしてた。でもその力からは、運命からは逃げられない。分かっているはずなのに、逃げようとした。だから、おれが」 「力なんて、無意味だ」 リツさんは低い声で遮って、呟く。 「その先に、わたしの欲しいものなんてない」 「それはリツが求めないからだ、望まないからだ。求めれば、望めば――見つかる、手にはいる。リツ自身のことでも、総代としてでも」 「わたしは総代になることを、望んだわけじゃない。たどり着いただけだ」 責めるように見たリツさんに。 「望まなくとも、そうあるべきだ」 言葉を押しつける。 「誰もがリツを求めている、望んでいる。リツが目の前に立てば、誰もが感服(かんぷく)し、その足下に(ひざまづ)く」 「そんなものに何の意味がある? 兼嗣は欲しいものを、私の手で掴もうとしていただけだ」 ぐっと口元を結んだ久須義さんに「あげるよ、こんなもの」、リツさんは言葉を投げる。 「こそこそしなくても、わたしに直接言えばいい。総代になりたいと。すぐに受理する」 「戯れたことばかり! リツはただ、恐れているだけだ!」 「そうだよ、わたしは怖い。私が望むものはすべて壊れる。だからわたしは(ことわり)を待つ、待っている」 「待ってなど、いないだろ」 久須義さんは声を低くして、大きくリツさんを睨む。 「(ことわり)を待つとか、たどり着いたらとか、面倒なことを言ってるが。結局はその(ことわり)を、人を、物事を、動かしてる。リツが嫌っている、その力で。全部を見透かし、(てのひら)にのせて、楽しんでる。リツの言う”(ことわり)”とやらが、()のままに動くことを!」 小さく黒目を上げたリツさんから「結局リツも、バカにしてる。おれだけじゃなく、自分以外のすべてを(さげす)んでいる」、大きく一歩下がる。 「信じられるのは、依流智だけだ。おれにはもう、依流智しかいない。依流智たちとともに〈夢幻寄霊琉〉のような、それを超えるような、大きな力を持つ。持って、すべてを手に入れる」 大きく一歩下がった久須義さんを見て、リツさんは歯がゆげに「だから、そんなもの」、言葉を繋げる。 「持たなくていいと言っている」 大きく息を吐いたあと。 「力で動かす未来に、意義はない」 静かに、でも言い聞かせるように見詰めながら、ゆっくりと手を伸ばす。 「わたしが教える」 久須義さんはその手に視線を落とし「何故」、ぽつり、呟く。 「今なんだ。おれを突きはなしたくせに」 「いいから、手を」 「おれはずっと待ってたのに」 「手を、わたしに」 「もうおれは、堕ちてる」 「まだ、大丈夫だ。わたしが、なんとかする」 「堕ちたおれを、救えるのか?」 「救えるよ」 「禁忌(きんき)だ。堕ちたモノは〈封霊(ふうりょう)〉しなければならない。おれを救えばリツも堕ちてしまう」 「堕ちない。わたしを信じて」 「信じれば、救われるのか?」 「救われる」 「また簡単に言う。テストで1番になるのとは、ワケが違う」 「同じだよ」 「あれはリツが根気強く、教えてくれたからだ」 「今も、同じこと。だから手を」 ぼんやり見詰めていた手から「そこまで言うのなら」、眼差しを上げる。 「リツが来ればいい。1つになって、力を共有して。教えてくれればいい。力で動かす未来に、意義などないと」 「堕ちてしまったら、意味がないんだ」 悲しげに言ったリツさんに「なんだ、意味とは」、久須義さんは眼差しを強くする、声を低くする。 「もはやおれ自身に価値など、意味など見いだせないというのに。力を手に入れられるのなら、バカにされないのなら、見返せるのなら、喜んで堕ちる」 「でも依流智たちが、悲しんでいる」 リツさんの静かな声に、久須義さんの表情が一瞬、切なげに歪む。でも「今更、もう遅い」、自分に言い聞かせるように強く言葉を重ねる。 「おれはもう、戻らない。〈夢幻寄霊琉〉を超える力を、依流智たちと手に入れる! それでも救える、教えるというのなら! リツが、おれと来ればいい!」 紅蓮に瞳を瞬かせながら、リツさんに手を伸ばす。でも。 「いかないよ……ぼくは」 リツさんは、ぽつりと呟きながら手を引き戻し――色が落ちて行く、青い空に目を向ける。 「だって、もう」 紺色になった空から、浅く(まぶた)を落としたのと同時に、伸ばしていた久須義さんの腕がボトッと落ちる。 「〈六角(むすみ)〉に、入ってる」 力のないリツさんの声と共に、久須義さんが――頭から、どろどろ、溶けていく。 ――瞬間、視界が、意識が引き戻り。 何があったのか考える間もなく――手を当てていた透明な膜が、ぐにゃりと揺れ、前のめりに倒れ込んだ。 そのままぐるんと視界が回り、透明な膜が私の体を包み込みながら丸くなったかと思うと、一気に上昇していく。 そのスピードに戸惑いながらも――頭上に小さな光を感じて、目を向ける。 その光はどんどん大きく、近くなっていく。 まぶしさに目を細めながらも、見上げていると。 膜がその光に触れた瞬間。 ばんっ! 弾けて、(まぶた)が落ちる。
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