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俺には家族が居ない。
中学の頃、両親と妹が交通事故で一度に亡くなった。
居眠り運転の車が正面衝突してきたのだ。
相手も即死だった。
過重労働が続いた上での業務上過失致死で、全てが行き場の無い悲しさで塗りこめられた出来事だった。
父は元々体が弱く、若くこの世を去る事になった時、遺された家族の為にと、高額の生命保険に入っていた。
未成年だった俺に、多額の保険金が入るのを聞き付けた親戚達は、急に気遣わしげな顔をして関わりを持とうと擦り寄って来た。
他人を信じられなくなり、何事にも疑心暗鬼に成るには充分だった。
塞ぎ込み、引き籠りがちに成っていた俺に「ウチの工場で働け」と言って来た祖父。
何か言いたげな親戚達に有無を言わさず、俺を引き取った。
*****
数年前に病気で祖母を亡くした祖父は、新宿区の江戸川の側で製本工場を営んでおり、古い工場の二階を住まいにして一人で暮らしていた。
工場は、従業員が2人だけの零細企業ではあるが、丁寧な仕事と、柔軟な対応や確実な仕上がりに定評があり、少部数の冊子や変則折のパンフレットなど安定した受注があった。
紙の匂いとインクの匂いに満たされた工場と、いつも製本機の音が聴こえる部屋は、最初こそは煩わしく感じたものの、朴訥とした祖父そのものに感じられて次第に居心地の良い空間に変わっていった。
祖父は本当に中学生の俺に仕事を与えた。
最初は梱包作業。
その後は、伝票の整理、機械の操作や調整・手入れ、高校を卒業する頃には、経理を手伝い、契約や銀行との接渉にまで同行させられる様になり、祖父は俺に工場を継がせるつもりなのだろうと、漠然と思っていた。
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