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通夜の会場は精鋭塾から程近いセレモニーホールで行われていた。セレモニーホールの周りには夏服の中学生が焼香の列を作っていた。ちらほらとではあるが高校生も混じっていた、塾の卒業生だろうか。
「人望はあったか」
精鋭塾はもう40年近く経営している高校受験の為の塾だった。塾長が大学を卒業した後にベンチャー企業のように講師を集めて開塾したのが始まりだった。これだけ歴史が長ければ卒業生も多いし、いいところに進学出来ていればある程度の社会的地位もある人間もいるだろう。現に届いた花輪の中にはどこかの会社の重役の名前がいくつかあった。
会場に入るとすすり泣く女性が二人受付をしていた。被害者の妻尚子と娘水輝であった。一礼をされる刹那、岡田俊行は警察手帳を見せた。
「本日よりこの事件の担当をさせて頂く事になりました岡田です」
「ああ、警察の……」そう言うと東野尚子は受付の裏の少し開いた場所に岡田俊行を通した。
「水輝ちゃん、受付よろしくね。お母さんちょっと刑事さんとお話があるから」
東野水輝は一人で受付をすることになった。
「まず、今回はご愁傷(ゴニョゴニョ)」
こういう場合ははっきり言っちゃいけない忌み礼儀と言うものがあるらしいが、警察の場合はどうなのだろうか。どうしたらいいか分からないので忌み礼儀だけは守っておいた。
「何か、分かりましたか?」
「私も本日より事件を担当する事になりましたのでまだ何も……」
「そうですよね」
「旦那さんの事について伺います」
「どうぞ」
「誰かに強い恨みを買うということは」
「あるでしょうね」
普通なら「主人が誰かに恨みを買うことはありません」のテンプレートのセリフが飛んでくるのだがそれが無いことに岡田俊行は驚いた。
「40年も塾を経営しておりますもので…… その40年の中で変わらないものは厳しく接することです、問題が解けなければ罵倒や暴力なんて事もありました、この罵倒で辞める子は決して少なくはありませんでした」
「どのレベルの罵倒でしょうか?」
「問題を間違えると「死ね」は日常茶飯事でした」
「多くのお子さんの前で言うと傷害罪ですね」
「授業を聞かずに他事をやっている子には平手打ちなんて事もありましたね」
「塾に来てまで授業中やっているような他事やる事自体がありえません。でも、殴るのは良くないですね」
「夫は大変気性の荒い人間でして…… 多分ですがここでの立ち話では語り切れないぐらいのことをしています」
「肯定的には取りません。これでもやめなかった生き残りは成績良かったんでしょうね」
「愛の鞭だと言うことを分かってくれた生徒だと思っています」
暴力を愛の鞭と肯定するこの態度に岡田俊行は怒りを覚えた。
「慣れただけでしょうね」
岡田俊行に出来る最大限の皮肉であった。
「確かにそうかも知れません…… でも分かってくれた生徒さんもいるはずです」
あくまで愛の鞭と言う態度を変えないこの態度を見て、話し合いは無駄だと言うことを岡田俊行は悟った。
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