第十五章 溢れ落ちるもの

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 「さくらさん……」  それだけいって、新太はさくらをきつく、その胸の中に閉じ込めた。さくらも新太の背中に手を回したかったけれど、朝食用に買ってきたパンの紙袋を持っているから出来ない。ただ静かに目を閉じて、新太の胸に顔を埋めた。  シャワーを浴びたあとなのか、新太からは石鹸の香りがした。久し振りの温もり。大きく息をつく。どれくらいそうしていたのだろう。腕の拘束が弱まったから、そっと顔をあげると、新太もさくらを見つめていた。  前に会ったときより、明らかに頬がこけていた。細められている瞳も、色濃い疲れが滲んでいる。アジア遠征が精神的にも肉体的にも、新太にとって苛酷だったことは一目瞭然だった。けれど弱っているようには見えなかった。  心身を研ぎ澄まして、一番奥深い所にある魂を、静かに殺気だてている試合前のボクサーみたいだった。  勝負事を生業(なりわい)としている人特有の、命を削ってでも勝負に勝ちたい、勝とうとする闘争心。それを見せられたようで苦しくなる。新太が遠くにいってしまいそうな、心許ない気持ちになってしまう。  さくらは新太の頬にそっと手をあてる。彼の疲れやいやなことを全部、すいとることができたらいいのに。本気でそう思う。 「新太くん、痩せたね。疲れた?」  新太は素直にうん、と頷いた。 「めちゃくちゃ、疲れた」  そういって小さく笑った新太に、なんだか胸がいっぱいになってしまう。自分にできることがあれば、なんでもしてあげたい。無意識に彼の顔を引き寄せ、唇を重ねた。
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