第一章 もしかしたら

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「増渕さん、この近くにある公園の桜が満開らしいんです。せっかくだから、見て行きません」  まだ午後3時半だった。今日の夕食の下準備はしてきていたので、時間はあった。 「いいですね」  大通りから一本奥に入った道沿いに、その公園はあった。それほど大きな公園ではなかったが、まさしく満開だった。桜の木の下にビニールシートを敷いてお花見をしている家族の姿が目に入る。ああ、今日は土曜日だったんだと改めて思い出す。二人は公園内の道をゆっくり歩きながら桜を愛でる。 「きれいですね」  綾香にとっては、今年初めてのお花見である。 「そうですね。ところで、今日のパーティどうでした?」 「ああいうパーティに参加したのは初めてなので楽しかったです」 「そう。それは良かった。また機会があれば招待しますよ」 「ありがとうございます」 「そう言えば、増渕さんのところのお子さんは何人でしたっけ?」  わざとらしく話を転回させた店長のわかりやすい言葉の軽さ。 「うちは二人です。店長のお宅は?」 「3人です。それも男ばかり」 「うちと逆ですね。うちは二人とも娘ですから」 「そうだったんですね」  ふっと会話が途切れた。当たり前だけど、考えて見れば自分は店長のことを何も知らない。だけど、ここで根掘り葉掘り訊くのも躊躇われた。かといって、この場で仕事の話はしたくなかった。  二人の間に気まずい空気が流れたというわけではなく、満開の桜が作り出す幻想的な世界が二人を無言にさせていたといってよい。 「突然ですけど。増渕さんにとって一番大切なものって何ですか?」  どうやら、ここからが本題のようだ。 「本当に突然ですね」 「すみません」 「う~ん、そうですね。やっぱり家族でしょうか」
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