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「バカヤロー」
運転手の怒鳴り声を背中に聞きながらも、綾香は逃げるようにペダルをこぎ続けた。自転車を自宅の駐車場の横に入れ、玄関に入る。みんな寝てしまったのか家は静まっていた。階段を上がって自分の部屋に入り、ようやく一息つく。しかし、胸の高鳴りはまだ続いている。迫りくる車のライト、鳴り響くクラクションの音、運転手の怒鳴り声が、いつまでも綾香から離れない。
本当に危なかった。もしかしたら自分は大事故にあっていたかもしれない。そう思うとぞっとする。今になって恐怖が訪れている。しばらくの間綾香はうずくまっていた。ようやく少し落ち着いたところで、晴久に電話することにした。晴久は何時でもいいと言っていたが、いつまでも待たせるわけにはいかない。
「もしもし晴久? 綾香」
「ああ、結構遅かったね」
「ごめん、いろいろあって」
「いろいろ?」
「こっちの話」
「声が沈んでいるけど、何があった?」
今は先ほどのことを話す気力が湧かない。
「何でもない。大丈夫。それより、大事な話って何?」
「うん。実はさあ、今日部長に呼ばれてニューヨーク行きを打診されたんだ。本当は会って話そうと思ったんだけど、綾香は今日送迎会って聞いていたんで、電話で話すことにした。俺としてはまず綾香の気持ちを訊きたいと思って」
「なんだ。そんなことだったの」
綾香はいい話だとしても、悪い話だとしても、もっと深刻な話を想像していた。
「なんだ、そんなことって何だよ。俺にとっては大事なことだし、綾香にとっても大事なことなんだぞ」
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