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 ジョエルはメイが全ての資料に目を通すまで、黙って横でドーナツを食べていた。ドーナツの友はまたも紅茶だ。アメリカ人も紅茶を飲まないわけではないが、なぜかメイは気になった。 「……もしかして、ご親戚はイギリス人ですか?」  メイがジョエルの左手の紙コップを見て聞くと、ジョエルは初めて笑った。先ほど見た満足の微笑みとは違う、リラックスした表情だった。もしかしたら自分からあの忌まわしい記憶を聞き出すため、彼は彼で緊張していたのかもしれない。メイは今頃気づいた。 「いや。だが祖父母が中国人でイギリス統治下の香港で暮らしていたから、三時のお茶の習慣があったのかもしれない。で、私も自然に……」  中国系アメリカ人か。風貌からは白人の血も混じっている気がした。メイはつかの間、そのオリエンタルな美しい横顔に見とれた。  それからストローに口をつける。手にしたダイエットコーラはジョエルが紅茶と一緒に買ってきてくれたものだ。普段は甘いものを飲まないが、メイは自然とソーダを頼んでいた。悲惨な方ではないものの、遺体の写真を何十枚と見れば、やはり胸はむかつく。 「先ほど模倣犯と言ったことの根拠は?」 「……ここ数年で起きた五件は、それ以前の十件の事件を真似たものに見えます。……単純に、何らかの原因で犯行方法を変えただけかもしれませんが」  メイの言葉にジョエルはチョコドーナツの残りを放り込んだ口をもぐもぐ言わせながら、首を横に振った。そして紅茶で流し込むと、口を開いた。 「二〇〇一年に二件、事件が起こっているのだが、ターニングポイント……というより、もう一人の犯人にとっての始まりではないかと私は考えている。その二件の現場(げんじょう)の写真は見たか?」 「カリフォルニア州とバーモント州の事件のことですか?」  メイはフォルダから二件の資料を取り出すと、現場の写真数枚を見比べた。 「たしかにカリフォルニア州サンタモニカの被害者レイの部屋とバーモント州ソールズベリの被害者ハリーの部屋は全く違いますね」  整然としている。レイの部屋は小奇麗で清潔感があった。レイは同性愛者で女装趣味もあったようだが、児童絡みの逮捕歴はなく、薬物や銃の不法所持等のトラブルで四年ほど服役していた。それも当時つきあっていた恋人に巻き込まれただけで、彼自身は直接犯罪に手を染めていなかった。しかし出所後、不思議なことに生活に窮した様子もなく、それでいて今までの交友関係をばっさり断っている。捜査報告書に書かれていたのはそこまでだった。  一方ハリーの部屋は……アンディと似ていた。ハリーは一九九九年に公然猥褻の罪で収監されていたが、二〇〇一年に保釈され、実家へ戻った。実は少年への性犯罪の容疑があったのだが、立証できなかったらしい。  唯一の身内だった母親はハリーが逮捕された直後、自殺していた。彼は一人きりの生活を続けてわずか三ヶ月で、何者かに殺された。 「ハリーの部屋は雑然としている。……アンディの家もこんな感じでした。問題を抱えた者は、部屋も散らかるものなのでしょうか。物に執着しないというか……コレクションは別みたいですが」  メイはアンディの家を母親のように掃除した日々を思い出した。とにかくゴミが多かった。ゴミを捨てるというのは一見簡単なことに思えるが、取捨選択が必要だ。アンディは犯行以外の日常の雑事はひたすら先送りにする性格で、そのせいか仕事でもトラブルを抱える事が多かった。修理工場から帰って来るとたいていイライラしており、メイは腫れ物を触るように接した気がする。 「レイの部屋との……違いがわかるだろうか?」  違い?  問われて、メイはレイの遺体が発見された自宅リビングの写真を見直す。  わずかのヨレもない白いシーツが敷かれたベッド。その脇でミイラのように干からびた男の異様な死体が床に横たわっていた。仰向いた顔はまるで眠っているかのように穏やかで、身体はまっすぐに伸ばされている。  とにかく抵抗した跡がなかった。遺体のすぐ横にあるテーブルに音楽雑誌が角を揃えた状態で発行月順に三冊、積み上げられていた。普通、殺人事件の現場は家具が倒れていたり、被害者が抵抗して投げた物が散らばっていたりする。もっとも顔見知りの犯行ならば、話は変わってくるが。 「あれ?」  メイはテーブルの横に立つ、電気スタンドに目がいった。綺麗な深緑のガラス製の笠に真鍮(しんちゅう)らしき、細く優雅な脚がついている。灯りをつけると、笠の部分にある黄色いマグノリアみたいな花模様が美しく浮き上がるに違いない。その様子が目に浮かぶほどだ。 「この電気スタンドだけ……周囲から浮いてる感じがします」  メイの答えが正解だったのか、横から伸びたジョエルの手が五枚の写真を選り抜き、彼女に見せた。どれも違う現場の写真だが、過去十件の事件の方だ。被害者の家の屋内を撮ったものらしい。その中で、メイはレイの部屋と同じ違和感を見つけた。  木製の枠組みが優美な曲線を描く大きな鏡。女性の横顔が模様のように連続して並ぶ、ガラス製の花瓶。電気スタンド同様、ほかの家具と調和が取れていない。ある写真は、額装された白黒の不気味な表紙絵の本が壁に飾られていた。 「この絵は見たことがある気がします」 「オーブリー・ビアズリー『サロメ』。一九五〇年代に発行された初版本だそうだ」 「……アール・ヌーボー。被害者の趣味ですか?」  ジョエルは首を横に振った。 「被害者じゃない。おそらく犯人の趣味だ。すべて被害者の名で購入されてはいたが、高級なアンティークがほとんど。(ヤク)中や出所したばかりの前科者に買える代物じゃない」  ジョエルの言いたいことにメイは驚きを隠せなかった。 「……犯人と被害者は一緒に暮らしていたということですか?」 「そう。だからこんな奇妙な犯行現場が出来上がるというわけだ」  だから抵抗した跡がないと……だがメイは首を振った。 「望んで暮らしてたって……犯人の言うことを聞く被害者って」  遺体の状態から、全て同一犯だと思っていた今までの仮説が崩れていく。  身内か、あるいは親しい知人かもしれないということか。  メイが混乱したが、ジョエルは涼しい目を向けて言った。 「資料の最後に添付した入出金記録は見た?」 「被害者の銀行口座のですか?」  ジョエルはうなづいた。 「念のため調べてみたのだが、思わぬ発見があった。過去五人……模倣犯を除外すると被害者の約半数にあたる……彼らの口座にクレディ・スイス(スイス銀行)のトマス・クレアモントなる人物から、およそ九十万ドル(約一億円)もの大金が振り込まれている。一九六〇年から数えて、だいたい十年間隔だ」  初めて目にする、被害者の明確な共通点だ。 「十二月一日……ですね、毎回」 「そう。銀行の営業日で前後しているが、大金が振り込まれるのはだいたい十二月一日。そして当日か翌日には引き出される……被害者自身によって」 「銀行には問い合わせましたか? そんな大金が現金で引き出されれば、覚えているはずでしょう?」 「もちろん当時の支店長にも会った。被害者はクレアモントからの手紙を持って現れたそうだ。たしかに被害者宛に送金したと書かれており、彼の署名(サイン)をクレディ・スイスに確認すると、クレアモントのもので間違いないと言われた……それ以上、彼らに出金を拒む理由はなかった。銀行側も念のため、警察には連絡したらしいが……」 「その頃には被害者は遺体となって発見され、金は消えていた?」  ジョエルはうなづいた。  メイは全身が総毛立つのを感じた。  なんだかわからないが恐ろしかった。クレアモントなる人物とは……いったい何者なのか。 「もしかして……この件は誰かから引き継いだものではありませんか?」  メイがそう訊いたのは、各資料の中に変色した紙が数枚あったからだった。六一年の新聞記事などはあきらかに当時の切り抜きである。しかも捜査資料にそれが含まれていることじたい、不自然に感じた。  ジョエルは視線を落とした。長い睫毛の下の目に陰ができる。 「……実を言うと、途中までは私の……上司が調べていたものだ。彼もスイス銀行から捜査しようとしたが、当時はあまりうまくいかなかったらしい。ガードが固くてね。だがある日突然……」  そこでジョエルは一度言葉を切った。メイには嫌な予感がした。 「グレイ……上司の名だが……彼はポーランドの山中で遺体で見つかった」  ジョエルはしかめた眉間を押さえると、ゆっくり揉んだ。 「……被害者たちと同じく、血を抜かれた姿で」  メイは前腕に浮いた鳥肌を無意識にさすっていた。 「……話を戻そう。この事件にとって十二月一日が重要な日付だというのはわかっただろうか?」  メイはうなづく。 「で、カリフォルニアのレイに戻るが、レイも金を引き出した二日後遺体となった。レイは殺される数日前、レンタル倉庫を借りていた。中身はどうでもいいガラクタがほとんどだった。私は当時の店長に会った。彼はレイの倉庫のことが印象に残っていたのだ。なぜ覚えていたかというと……当時、女の子を見たと言うんだ。それも夜中に」 「女の子?」  メイが問い返すと、ジョエルはうなづいた。 「当時の防犯カメラの録画テープは残っていなかったが、よく覚えていた。どうしたって異様だからだ。夜中の三時に幼い少女があんなところに来るなんて」  少女?  彼は一体何の話をしようとしているのだろう。メイはすっかり困惑していた。 「最初は幽霊かと思ったらしい。今なら動画検索でたくさん見られるカメラに映りこんだ何かかと。でもその幽霊は倉庫の鍵を開け、旅行用のトランクを引っぱりながら……画面から消えた」 「消えた?」 「ああ、失礼。誤解を招く言い方だった。見切れたんだよ。画面の外へ消えたという意味だ」  ジョエルが何を言いたいのか、メイには未だに掴めなかった。  少女はいったい何者なのか、実在するのかも怪しい。 「すまない。何を言いたいのかわからないだろう。少女の件については……耳に入れる程度にしておいてもらえれば。シカゴ(ここ)に来るまで私が何をどう調べたかは、今回の君にとってあまり重要ではない。どちらかというと君からは模倣犯の心理状態についての見解を得たかった」 「……心理状態? どういう意味ですか?」  メイはますます混乱した。 「模倣犯と仮にオリジナルとしようか……二人は似ているようで違う」 「違う?」 「動機。殺す理由だ。……君にはわかると思ったが」  ふたたび試すような目つきで見られて、メイに緊張感が戻ってきた。今まで比較して見ていた写真を思い出す。 「……被害者の表情」 「そう。模倣犯の方はあきらかに被害者を苦しめている」 「相手を……憎んでいる?」  その時、メイは先ほどジョエルによって白状させられた昏い真意を思い出した。  もしかして、この犯人は…… 「通りの向こう……緑の屋根の賃貸物件が並んでいるだろう。目の前の家、あそこに住んでいるのは、ヒューバート・モリスン。先日、つまり十二月一日にチェース銀行の彼名義の口座に百万ドルの入金があり、レイと同様に今日、引き出された」  ジョエルが急に話を変えたのでメイは戸惑ったが、入金の話が出て、驚いた。彼が座る助手席側ウインドウ越しに見える家に目を凝らす。  その家は、前庭の手入れもされておらず、荒れ果てていた。家の中も暗く、外からは中の様子がわからない。 「モリスンはカリフォルニア州で二十二歳の時、少女の誘拐未遂事件を起こし、四年服役している。レイの知人……とも言えなかったが、唯一接点がありそうな関係者だった。シカゴに来ているのを突き止めるのに時間がかかってしまった……」  そう言うジョエルはわずかに悔しさを滲ませていた。メイは彼が膝の上で握りしめている拳を見つめた。  もう陽も傾き、薄暗くなりはじめていた。シカゴ特有の冷たい風(ウィンドチル)が吹いている。車外を通り過ぎた主婦らしき女性が顔の半分をマフラーに埋めている様子からわかる。夜半には雪が降るのかもしれない。 「しかし……相手はまだ我々に気づいてない……はずだ」  ジョエルの言う「相手」とは誰のことを言っているのか、メイにはわからなかった。  とにかくこれから自分たちはあの家を訪ねるのだ。  ヒューバート・モリスンを。
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