ⅩⅣ

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ⅩⅣ

 あれから二週間、ローレンスの周囲もようやく落ち着いてきた。  CNNのニュースでFBI捜査官と一緒の映像が何度も流れたこともあり、ミズーリに住んでいる母親の家にまで近所の人が押しかけてきたらしい。もっとも故郷には十年以上帰っていないのもあり、すぐに騒ぎは治ったらしいが。  創作講座も年末休暇を前に残り3コマとなっていた。気を遣っているのか生徒たちは何も尋ねてこなかったが、好奇心を必死に押さえているのは伝わってくる。そこでローレンスの方から、すでに報道されている内容がほとんどだが、何があったのかを簡単に伝えた。事件の当事者が目の前にいれば話を聞きだしたいのは作家の大切な気質だと思うので、質問も受け付けることにした。  彼らが知りたがったのは、主にリンとの関係だった。  だがローレンスが語れることは本当に何もなかった。モリスンを探るのが目的で自分は利用されただけだと言うほかない。 「彼女を愛していましたか?」  そう質問してきた生徒がいた。リンと同じ年頃の女性だ。ローレンスは宙を仰ぎ、答えた。 「……知り合ったばかりで、あんなことになってしまったから。正直に言うとそういう感情はない」 「では彼女の死は辛くありませんでしたか?」 「……悲しいよ。ただ、友人を亡くした時みたいな悲しさだ。友人を亡くしたのは初めてだけど」  女性はあまり納得していない様子だったが、それ以上問うことが見つからないのか、口をつぐんだ。 「作家としてはどうですか〜? 貴重な経験をしたと思いません?」  若い男性だ。  パンクロックバンドのヴォーカルみたいな服装だ。鼻はもちろん、唇にもピアスがはまっている。ブロックバスターの店員にいそうな感じといえばいいのだろうか。家族か恋人に養ってもらってそうだ。ローレンスは彼が書いた作品を思い出す。見た目通りのパンクでスプラッタな内容だった。 「いつか作品に反映させるとか?」 「そう……だね」  それが作家の(さが)だとローレンスも思う。 「不謹慎(ふきんしん)ですわ!」  声高に主張し、立ち上がった中年女性は……専業主婦だったか。  子供が大きくなり手が離れたのを機に、書きはじめるパターンだ。ご都合主義な甘いロマンス小説を書いていた気がする。しかしローレンスの好みは別として、ロマンス小説は常に一定数の需要があるので、売れれば今の彼よりよっぽど稼ぐだろう。 「彼女の痛みや辛さを真摯(しんし)に受け止めるべきです。ネタにするなんて」 「……もちろん真剣に考えましたよ。ただ、他人の苦悩を完全に理解できるなんて(おご)りだと思いますよね」  そう返されるとは思っていなかったのか、彼女は顔を赤らめると、ぶつぶつ言いながらも座りなおした。  ほとんど授業にならなかった講義が終わり、ローレンスはそのまま事務局へ向かった。職員長のグリッジは前回リンのことを尋ねた時と全く同じ服装と髪型に見えた。ローレンスが今月で大学の仕事を辞めたい旨を告げるとグリッジは『今度は彼女のネタで稼ぐつもりかしら?』と言いたげな表情を見せたが、口には出さないつつましさはあるようだった。もともと創作講座は金の目途(めど)さえつけば辞めたいと思っていた。それに人々の好奇の視線からしばらく逃れたいのもある。  ここ数日で急に寒さが厳しくなった。今は降っていないが、昨晩積もった雪が歩道にはまだ残っている。車道の端には除雪され汚れた雪が積みあがり、固まっていた。見慣れた冬の光景だ。ローレンスは足をすべらせないように歩く術を身につけていた。シカゴに来て、もう十年近くになる。  携帯電話に着信が入った。アレックスからだ。 「やあ、アレックス。作品読んでくれた?」 『もちろん。だから電話したの! 最高よ! デュランをあんな形で(よみがえ)らせるなんて!』  アレックスの声音は興奮を隠しきれないようだった。  三作目となる『デュランを殺せ』はローレンスが本当に書きたかった作品ではなかったが、書いている間は楽しかった。特に肖像画を燃やしたことで消えたはずのパーカー・デュランを復活させた真相を前作とすり合わせ書き上げた時は興奮した。連続殺人鬼の正体は、精神科医のジョシュにした。  ガイは最初のガールフレンド殺しの後、自分の精神状態の危機に怯え、ジョシュの自宅へ駆けつけた。ガイの話を聞くうちに、封印していたジョシュの中のデュランが蘇り、ガイを殺す。以降ガイになりすましたデュランが後の殺人を重ねていた。叙述トリックというほどではないが、途中まで読者を欺けていると思う。  ガイはデュランが本当に存在すると思っていたようだが、ヤツはジョシュの第二の人格だった。不気味な肖像画を描いたのも青年時代のジョシュである。ジョシュは孤独な幼少期を送ってはいたが、裕福な家庭で両親には愛されていた。頭も非常に良い。ローレンスは彼を「悪の種子(ナチュラル・ボーン・キラー)」にしたのだった。  そして、この大胆な続編が出来上がるのに、リンが全く影響していないと言えば嘘になった。それはローレンスも素直に認める。リンドレイ・キルギスの心には、別人格クレアがいたに違いないとローレンスは思っていた。クレアとリンの二人で、六人もの児童性愛者を殺害したのだ。  あの晩、辛そうに泣いていたのはどちらなのだろう?  ローレンスはあれから何度も考えたが、わかることは一生ないと思った。  彼女に聞くこともできない。 『ローレンス?』 「ああ、ごめん。考え事してた。それで……あの件は考えてくれた?」 『あ? ええ。アドバンス(前払いの印税)のことね。もちろん上に掛け合ってみた。トムも一作目と合わせて売れば、映画化もいけるんじゃないかって気に入ってたわ。ねえ、興奮しない? 映画化よ!』 「……まあ、そうなったら嬉しいけど。それよりも、まとまったお金が欲しいんだ」 『……わかったわ。あなたの提示した額になるかは断定できないけど、近々契約書を取り交わしましょう。でも……なぜ、そんなに急ぐの? 何か入用(いりよう)とか?』  ローレンスは思いきって言うことにした。いずれ言わなければいけないことだ。 「しばらくの間、ヨーロッパに住むつもりなんだ。具体的にどこの国にするかはまだ決めていないけど」 『……まあ、驚いた。あの話を書きたいの? デュラン二作が売れれば、それも夢じゃないけど』  長いつきあいとはいえ、アレックスの洞察力にローレンスは舌を巻いた。 「肌で感じたいんだ。歴史と空気を」 『空気か~。あの時代じゃ衛生状態も悪かったと聞くし、相当匂ったでしょうね、たぶん』 「だから名香が次々誕生したんだろうね」  彼女の冗談にローレンスも乗った。  それから二言三言交わし、ローレンスは電話を切った。  直後に電話が入ったので驚いた。  見知らぬ番号。  出てみると、メイ・ラペル警部補だった。 「また電話をもらうとは思いませんでした。何か?」  事件の晩以降、彼らが訪ねてくることはなかったが、ローレンスも報道からリンのことを知ったので、自分に用がなくなっただけだと特に気にはしてなかった。 『……いいえ、大したことじゃないんです。ラグの染みは大丈夫かと』  ローレンスはなおざりに笑った。  まさかそんなことでかけてきたんじゃあるまい。 「大丈夫ですよ。気にしないで」 『……本当は違うんです。この電話……警察ではなくて、私個人がかけてきたものと思ってください』 「ええ」 『リンが……亡くなったのは残念です。私たちがもう少し注意深く近づけば……』 「それは……関係ないと思いますよ」  リンの苦しみはローレンスにはとうてい理解し得ないものだが、あの涙は一生忘れることはないだろう。 『アリス……あの少女をあれからどこかで見かけていませんか?』  モリスン、リンと死んだ今、アリスの姿を知るのはローレンスだけだった。 「いえ。もし見かけたならすぐに連絡しますよ」 『……変なことを聞きますが、アリスは……人に見えましたか?』  メイの言葉にローレンスは一瞬返事に詰まったが、気づかれぬ程度だったと思う。とっさに笑った。 「どういう意味ですか? 顔色は悪かったけれど、普通の女の子に見えましたよ。あなたは……アリスを人間ではないと?」 『その……すみません……変なことを言いました。ただ、あなたはアリスと唯一、会って話をした』 「そうですね」 『その……ランバート、あの時私といた捜査官ですが……彼もアリスの行方を気にしています』 「今、彼は?」 『ランバートは引き続きモリスンの事件を追っています』  リンが(あが)(たてまつ)り、模倣した1960年代から確認されている失血死事件。それらは各州を跨いで行われているのと、事件と事件の間隔が十年ほど空いていることもあり、今までつなげて考えられてこなかった。  しかし今回のモリスンの件がリンの犯行ではないと断定され、別件の未解決連続殺人事件として浮上してきた。ただリンの件と違い、「神の恵み」と関わっている被害者は直近の二人のみで、互いの共通点も皆無だった。くわえて指揮を執るFBIが全てを伏せているため、現状はマスコミを中心に様々な憶測が飛び交っているだけだ。 『私みたいな職業の者が言うことではないのでしょうけど……人間には触れてはならない領域がある気がするんです。その、あなたはホラー作家だとうかがったので……』 「……ええ、わかりますよ。私もアリスのことは幻だったのかと思う時もあります。でも、彼女は人でした。私も……リンも、この手で触れた。ただ、あれらの事件に人ならざるものの気配を感じ、恐れるのはわかります」 『いえ、すみません。忘れて下さい。妄言でした。……もうお電話する事はないと思います』  メイの声に何か言いよどんでいるのを感じたが、彼女は自分の職業を思い出したのか、それ以上言うことなく電話を切った。  メイとの電話を終えた頃、ローレンスは家にたどり着いた。車はとうに修理を終えガレージに戻っていたのだが、ローレンスは忘れがちで、ちょうどいい運動にもなるしと歩いて大学へ通っていた。  隣家はまだ進入禁止の黄色いテープが貼られたままだったが、事件発覚から半月近く経つ今、張り付くマスコミの数もまばらになってきた。そのわずかな記者たちに声をかけられる前に中へ入り、鍵をかけた。  上着やマフラーを廊下のフックにひっかけ、居間のファンヒーターのスイッチを入れる。大学へ行く前には温まっていたはずの家も今は冷え込んでいた。手を洗い、湯を沸かし、コーヒーを入れる準備をすると、自分用と客用のマグカップを並べた。深緑の上薬の仕上がりが気に入って買った客用マグにはバンホーテンのココアを入れる。  二つのマグカップを両手に階段を慎重に上がると、二階の廊下を奥へ進んだ。一番奥の客用寝室のドアを軽く足先でノックした。 「僕だよ、ローレンスだ」 「どうぞ」  ローレンスは肩でドアを押し、中へ入った。  彼女はベッドの上でうつぶせに寝転んだ姿勢のまま、こちらに背を向けていた。ローレンスのノートパソコンを見ているのだ。わずかに(へた)ってきた髪を背中の辺りで無造作にゴムで留めてある。 「ココアを持ってきたけど飲むかい?」 「……ウィリアム、私を子供扱いしないでって、何度言ったらわかってもらえるの?」  振り返った少女、アリスは呆れたようにローレンスへ青い瞳を向けた。
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