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 ウィリアム・ローレンスは、このところ、隣家が気になっていた。  前住人パーキンス家とは親友というわけではないが、住んでいた頃は夕食に誘われたりもした。  ところが次の住人は越してきたにもかかわらず、今まで一言の挨拶もない。たしかに、そういう人もいるだろう。ローレンス自身も社交的だと胸を張って言えない。  しかし、この三ヶ月、隣の住人の影すら見たことがないのはどういうわけなのか。  どうにも気になった。  ローレンスの職業もあるかもしれない。彼は作家だった。  作家というものは普段、人が気にも留めないようなことが気になるものである。  それでも売れっ子作家なら、自分の作品を書くため寸暇を惜しみ、隣のことなど気に留めることもなかったかもしれない。彼は適度に暇だった。  デビュー作は地元新聞の書評欄に載ったこともあり、初版はそこそこ売れた。だが二作目は、はっきり聞けなかったが、(かんば)しくなかったようだ。  ローレンスは今、三作目を執筆中である。そして認めたくはなかったが、面白いものになりそうになかった。  たぶんデビュー作のように暴力的で残虐な描写を入れれば、売れるかもしれない。エージェントのアレックスも先日会った時、そういう方向を考えてみたらと(ほの)めかしていた気がする。  そういうわけでローレンスは食い扶持(ぶち)を稼がねばならず、地元短大で住民向けの創作講座を受け持っていた。創作講座は意外と人気で、週に三日もある。  「てにをは」等の文法の基礎からはじまり、読むべき古典作品の紹介(これはローレンスも楽しんでやっている)、作品の構成について等々を講義するのだ。大したベストセラーもない自分が「講義」なるものをしているのは今でも不思議だった。  講義以外で思いのほか時間を取られているのが、生徒の創作物を添削する作業だ。それでもこちらが嫉妬するほど可能性を感じさせる作品があればいい。たいていがDCコミックの影響を受けた超能力ヒーロー物か、アイドル映画みたいなラブストーリーばかり。しかも目を見張る展開もなければ、投げやりに終わっているものも。それ以前に誤字脱字も多い。副職とはいえ、真面目に読んでいるので、疲れる。  しかし売れるかどうかわからない作品を書いていても家賃は払えない。今のところ、大切な収入源だ。  その日は朝から寒かった。  ローレンスは二限目の創作講座へ歩いて向かうため、一張羅(いっちょうら)のコートを羽織り、外へ出た。車がないので、一時間近く歩いて大学へ向かわなければならない。バスも走っているが、時間があてにならなかった。  車を持っていないわけではない。事情があって修理に出していた。その事情を語ると、リン・キルギスのことから語らねばならない。彼女は短大の事務員で、先日、突然夕食(ディナー)に誘われた。ブルネットの髪が魅力的な彼女は、自分から積極的に話をする方で、人見知り気味のローレンスも楽しんだ。  だが、帰り道でやらかしてしまった。  リンが助手席で急に「暑い」と革のジャケットを脱ぎ出したのに気をとられた瞬間、向かってくるピックアップトラックをよけ、歩道の外灯に突っ込んだ。  バンパーやらフロントガラスの取替えやらで、100ドルはかかるらしい。痛い出費だったが、僥倖(ぎょうこう)がくっついてきた。  ローレンスはリンが首を痛めてないか心配だったが、彼女は事故を自分のせいだと言い、車は持ってないので、これからローレンスが大学に出勤する時はランチをおごらせて欲しいと言ってきた。リンの提案は充分魅力的で、彼に断る理由はなかった。  隣が引っ越してきた日、ローレンスは大学にいた。  帰宅時、隣の門扉にかかっていた『FOR RENT(借家)』の札が外れ、窓の厚いカーテンが開いていたので、誰か越してきたのだと気づいた程度だ。  隣家の新しい住民は静かな生活を好むのか、ここ三ヶ月ほどだが、誰かが訪ねてくる様子もなかった。  しょっちゅう誰かが訪ねてきて賑やかだったパーキンス家とはえらい違いだが、ローレンス自身はそういう人物を理解できなくもなかった。彼も親しいと言える人物は片手で数えるほどしかいない。  その朝、隣家の前を通りかかった時、荒れ果てた前庭に少女がこちらに背を向けて立っていた。  初めてまともに隣の住人を見かけたローレンスは思わず足を止めた。  子供だけに、もしかして誤って入り込んだのではと思った。 「やあ、こんにちは」  ローレンスが声をかけると、少女が振り返った。  腕にかかる長さの、くすんだブロンドの髪は上の方でやや(もつ)れていた。ブラシをかけてくれる母親がいないのか。  歳は十歳前後というところか。もっともこの年頃の女の子は成長が早いから、もしかするとそれより幼いかもしれない。血管が透けて見えそうな白い肌だった。  十一月だというのに袖なしの白いサマードレスのようなものを着ている。 「隣に住んでいるんだ。僕はウィリアム・ローレンス。ご両親は?」  少女が口を開かないので、警戒しているのかと思い、ローレンスは自ら名乗った。 「……お父さんもお母さんもいない。ヒューと住んでるの。……アリスよ」  少女が右手を差し出してきたので、ローレンスはホッとして、指先を軽く握った。そのとたん、氷のような冷たさに身震いした。 「アリス、何か着た方がいいんじゃないかな。手がすごく冷たいよ」  ローレンスが驚いて言うと、アリスはゆっくり首を横に振った。 「……あ、ヒューが呼んでる。行かないと」  ローレンスには何も聞こえなかったが、アリスは家の方に向き直ると駆け出して行った。白い夏用のサンダルが、アリスの(かかと)から離れてはひっつき、ペタペタと音をたてた。  少女が緑色の玄関扉を小さな手で押し開け、暗い室内へ消えてからも、ローレンスはしばらくそこを見つめていた。何度かパーキンス夫妻に夕食に誘われ、あの家の中に入ったことがあるにもかかわらず、今見ている緑のドアはなぜか全く別の物に見えた。  今朝の空気のせいか、ローレンスは急に背筋が寒くなり、首をすくめた。
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