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「……それは気になる子ね」  リンはアリスの話を聞くと、そう言った。  二人はリンおすすめのメキシコ料理店で昼食をとっていた。  正直言うとローレンスはメキシコ料理はあまり得意ではないのだが、彼女がおごってくれる初日に文句を言うほど厚かましくはない。  リンにアリスの話をしたのも、ローレンスにとって料理が運ばれるまでの何気ない会話のタネに過ぎなかった。 「この寒い時期に薄着って……しかも下着みたいなのでしょう?」 「サマードレスだと思うよ。夏なら変じゃないし」  リンは自分のエンチラーダをほおばると、首を横に振り、ローレンスの言葉を否定した。 「はいたい(大体)、両親と住んでいないなんて、どういうことなの? ヒューって人にはあなた、会った?」 「いや。三ヶ月前には越してきたはずだけど、一度もね。たまたま活動時間帯が合わないのかもしれないし」  ローレンスは無難にタコスにした。飲み物のカフェ・メヒカーノ(コーヒー)はおいしかった。向かいのリンは慣れたように黒糖を(かじ)りながら、同じく濃いコーヒーを飲んでいる。 「それに、その子の歳なら、学校に行ってる時間じゃない?」 「なんか事情があって行ってないだけかも。通信教育だって珍しいことじゃないし」  リンがこんなにアリスのことを気にするとは思わず、ローレンスは内心、驚いていた。 「ねぇ、もう少し注意して見ていた方がいいわ、その子のこと」 「どういう意味?」  ローレンスが純粋に問うと、リンは「なんでわからないの?」という苛立(いらだ)った表情になった。 「……私の考えすぎかもしれないけど、その子、誘拐されてきたのかも」  思わぬ意見にローレンスは言葉が出なかった。リンの矢継ぎ早な質問が続く。 「汚れていなかった? お風呂もろくに入れられていないような……」 「一人で外にいたんだよ。非常事態なら、僕に助けを求めるはずだろう?」 「バカねぇ……あ、ごめんなさい。そういう意味じゃないの」  リンは口を押さえて謝ったが、この追求に対して謝っているのではないことはすぐにわかった。 「あのね。誘拐ってたいてい洗脳から始まるらしいわ。飴と鞭を交互に与えて……もう逃げないってわかったら、ようやく自由にするの。TVで見たことない?」  たしかにそのテの番組は見たことはあるが、少女にそのような悲惨な印象は感じなかったので、ローレンスはリンの勢いに内心引いていた。 「そうだ、今度、あなたの家で夕食を食べるのはどうかしら?」  突拍子もない提案にローレンスはタコスを喉に詰まらせそうになった。胸を叩いて、コーヒーで流し込む。 「一緒にお隣さんも夕食へ招待するのよ。何かわかるかもしれない」  なぜリンがこんなにアリスのことを気にするのかわからなかったが、リンが家に来るのは悪い話ではないのでローレンスは承知した。  その理由を知るのは、後日、あの話を聞かされてからである。 「ローレンス……ミスター・デュランの続編を書いてみたらどうかしら?」  三ヶ月間は何も言わず原稿を読んでくれたアレックス・ドーソンだったが、ついにはっきり言ってきた。  アレックスは山のような応募原稿の中から彼を拾い上げてくれた四十代半ばの女神である。もちろんローレンスだけの女神ではなく、中堅どころの出版社R&Fでは彼を含め、数人担当しているようだ。なので彼女は離婚して独り者とはいえ、忙しい。そんな彼女がわざわざN.Y.からはるばるやってきて、直接原稿を見せてくれと言った時、ローレンスは何か示唆されるのを半ば覚悟していた。  デビュー作の『デュランを追わないで』は、肖像画からよみがえった殺人鬼パーカー・デュランの正体に一人気づいた少年が彼を追いかけ、ふたたび、絵に封印しようとする物語だ。  むろんローレンス自身も臨時の国語教師のかたわら、睡眠時間を削って書いたこの作品は自分の子供のように愛していた。  だが、本当に彼が書きたかった世界ではない。  ローレンスが今書いている小説は200年ほど昔のヨーロッパが舞台のゴシックホラーだ。アレックスは当時の風俗の資料をいくつか用意はしてくれたが、あまり納得していないのはローレンスにも伝わっていた。デビュー作のような残虐描写が連続する作品をファンは望んでいる……初めて三作目のプロットを話した時点で言われていたのだ。 「……あのね、アン・ライスみたいな本物も中にはいるわ。でも後はみんな彼女の二番煎じ」  それを言うなら、デビュー作もキングかクーンツの真似とも言えなくもない。 「あなたは……こう言っちゃなんだけど、残虐描写で冴えを見せる人だわ」  ローレンスは苦笑いでアレックスから返された原稿を受け取った。 「二作目を読んだ時、なんとなくあなたの好みには気づいたけど、ここまではっきり舞台を移されちゃうと……あの時代と同じ時間の流れは、あなたの読者には受け入れ難い……んじゃないかしら」  アレックスは、クリームやらチョコスプレーにファッジと色々盛られた、もはや飲み物ではなくデザートみたいなコーヒーを飲んでいた。そのせいかわからないが、初めて会った時よりだいぶ横に大きくなった気がする。 「ようするに……かったるいってことだよね。あなたの言いたいことはわかる」  ローレンスはいっそアレックスのアドバイスを受け入れ、臓物飛び散るゾンビや死霊の跋扈(ばっこ)する世界でも書いてやろうかと思いはじめた。  今手元にある原稿は……実際難航していた。あの時代の風俗描写がうまく書けない。もっと売れてから、腰を据えて書き上げたい。出来れば現地を取材して……  ふとアリスの青白い、そばかすの浮いた顔が脳裏に浮かび上がった。  ローレンスの想像のアリスは子供ではなかった。  貴婦人のように膨らんだ袖、長い薔薇色のサテンリボンが細い腰に巻きついた若草色のドレスに身を包み、羽飾りのついた小さな帽子を結い上げた頭に乗せていた。  空想とはいえ、なぜ大人の女性の服装だったのかはローレンス自身にもわからなかった。 「それも悪くない。でも今のあなたは名前を売ることを考えないと……」  ただ、しばらくは頭の隅に彼女の姿が残り、アレックスの声が遠く聞こえたのだった。  ローレンスが「ヒュー」なる人物に会ったのは、それから三日後の夜間クラスからの帰り道だった。
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