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疑問と当てつけ
長らくの冥暗を越えてきた沈黙が、安らかな呼気に引き戻される。
開いた眼には薄くぼやけた象形。アンクル液と羊皮紙の匂いがしていた。自身が横たわっている場所を手で探り、己の身体の感触も確かめた。肩の傷が手当てされていた。施療院の一室ではない。多様な物品で埋め尽くされていて壁が見えない。書物の山だ。
彼がいた。若い助祭。寝台脇に控え、椅子の背もたれに頭を乗せて眠っていた。袖を捲って腕を組んでいる。蝋のような蒼白さで憔悴していた。此方が起き上がると咄嗟に目覚めて跳ね上がった。是非もなく飛びついて、全身全霊の重みで押さえ込んできた。
「誰にも話していません。医者にも他言無用であると、念を押してから帰しました」
声は弱々しく、鼓動の強さの方が懐で響いている。
「ここは、僕が泊まり込んで使っている勉強部屋ですから、訪ねて出入りする人もありません。ですから、構うことなく休めます」
引き剥がそうと肩を掴んだが、力を込めることなく手を放した。
「僕も、何も尋ねませんから」
彼が恐れる理由は分からない。己を頼りにしようとする理由も。
「リュシアン」
彼が己の体から離れた。乱れた頭髪も直さずに神妙な面持ちで膝に手を置いた。彼の瞳を覗く。己の暗い瞳に、彼の姿は映るだろうか。ただ、頷いてみせた。彼を捉えて、己の瞳の中の彼が見つけられるように。リュシアンは俯いた。両手で口元を覆い、指の隙間から漏れているのは溜め息、それとも、鼻を啜っている音か。
「その、嬉しくて」
彼は頬を緩ませて前髪を掻き分ける。
「ようやく、思いが果たせました」
華奢な声を立てて笑いながら、鼻先を撫でている。瞳が湛えていたのは安堵とは異なる、深い郷愁に似た色だった。
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