大聖堂の御使い

6/8
前へ
/50ページ
次へ
リュシアンが教会堂の扉を開く。射光の帯が祭壇まで伸びた。招き入れた後は堂内に満ちる影に託して、彼はさっさと、柱をぬって消えていった。 カテドラルに棲む気配。帰還を受け入れようと広がる巨大な腕。影とはそもそも穏やかだ。己が抱かれた覚えはないが、これは、人々にとっての、かつて在った場所であり、帰るべき場所。 扉を閉めると、床に散らばるヴィトロの彩が浮き上がった。窓から落ちてきた、色から色へと渡りながら進む。内陣に到って、祭壇へ近づく。祈る者がいた。身なりの綺麗な娘。質素に装ってはあるが、平民が仕立てられる代物ではない。神を仰いでいたが瞳が映していたものは終焉。 「もし」 ゴブレを差し出すリュシアンが隣に立っていた。注がれた液体から上る湯気を嗅いだ。葡萄酒の酸味が鼻の奥を潤す。 「彼女は足繁く通われていて。ご家族共に、敬虔な方です」 リュシアンは、祭壇の前で跪く娘を見ている。 「十字軍の戦いに赴かれている、父君と兄君を案じていらっしゃるのでしょう」 彼は僅かに眉をひそめて微笑む。この場の者からは顔を逸らしているように首を傾げ、別の何かをなだめるための表情をしている。娘が立ち上がり、振り返った。リュシアンが進み出て、彼女を促しながら戻る。 「こちらはジョゼフィーヌ嬢。南の森の伯爵、ピエル・ルヴィエ殿のご息女です」 会釈を終えて、娘が此方を見上げた。彼女の笑顔を凝視した。己の記憶の穴へと手引きされる。 「彼の名は」 リュシアンの声で引き上げられた。まごついている彼に向けて、娘は首を振る。 「黒い御髪。黒い瞳。ムシュー・ノワール」 彼女の瞳に入った己の姿を確かめようと覗く。水晶の内部の混沌で煌めく赤や青の泡沫。幾つの色を、その中に収めているのか。 「はじめまして。どうぞ、お見知りおきを」 彼女は挨拶を求めて手を差し出した。側めた視線を彼女へ落とす。指先で弾くように、その手に触れて返した。
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加