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黄昏。
大聖堂の正面に車を待たせて、ジョゼフィーヌがいとまを告げる。
「ごきげんよう。ブノワ助祭」
恭しい彼女の作法。
「リュシアンで結構ですよ。ジョゼフィーヌ嬢」
リュシアンは車の前まで出向き、見送りを果たす。
「ムシュー・ノワールもごきげんよう」
彼女の声が階段の最上部まで届いた。
車が都市を去った頃には星が出ていた。風がない宵の口。さすらう雲が他所を目指せる見込みはない。
この若い助祭は、逃げてゆく雲にさえ慈しみを惜しまずに贈るはずだ。彼の固く結ばれた唇が吐息を押し込めて、漂う者に流れる術を得さすまいとしているのか。
扉口に立ち、往来が乏しくなった通りを見下ろして、共に物言わぬ像を並べていた。
「次の祝典で、また」
彼が唇を解く。星の瞬きが捻じれた。
「きっと、また、お会いできますよね」
もう、斜陽に頬が上気することはない。夕闇が瞳を塗り潰し、心を透過した艶をも消し去った。互いの横顔を突き合わせて、答を時任せにしている。我々が少しでも視線を振ったのならば、ファサードに詰め寄せた審判者達の目に囲まれただろう。
リュシアンの呼吸がかすれていた。
「おまえは、何のために祈る?」
視線が動揺し、星の火が滲んだ。ぼやけた形状が彼に移ると定まる。
「あれは、惨い方だ」
体を向き直し、彼を見据えた。瞼がひくついている。己の声が発せられることを欲したんだとしたら、それは、己自身の意思ではない。リュシアンは目を見開いていた。向き合う相手を他には知らず、彼はただ立ち尽くし、岐路を選ぶことはしない。
「しかし、信じていらっしゃるはずです」
そして、真摯に苦難をも招く。受け入れることをやめない。彼の腕が震えていた。平静とは如何に脆いか。
「期待をするな」
瞳を閉じる。翻す身体にこの場を浚わせて去ろうとしたが、彼が回り込んで、再び、視界を満たす。指を伸べて額を小突き、よろけたところを押し退けた。
今宵、己はこの場での全てを浚い、何一つとして残したりなどしない。
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