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森を西へ進んでいた。ここには農村の住人は立ち入らない。精気が乏しい。獣さえもいない。鬱塞とした心地は、降り出した雨で衣服がじとついているせいなのか。不吉が鼻を突ん裂き、舌が痺れている。この森には毒が多い。
脇に抱えてきた木箱を持ち直した。薄暗い森にあって、白く浮いている円状に開けた草地。中央に一本、葡萄の木が生える。娼家裏で用件を預かった男が言っていた。彼は仲立ちで、依頼主とはここで落ち合える、と。確かに人が立っていた。その男。己は彼を知っている。
木箱をそいつの前に下ろした。此方を上目遣いで窺いながら、男は膝をつき、蓋を開けた。黄金の光沢を放つ杯らしき物が見えたが、知り得たところで価値はない。男は立ち上がると徐に懐を探り出した。衣嚢に収めている物を直しているのか、執拗に胸を掻き回している。手を抜いた拍子に銀貨が零れた。派手に何枚も落としたが平然として、地面を転げる様を見届けていた。悠長に腰を下ろすが億劫がるでもなく金を拾っている。泥のついた銀貨がかち合い、男の掌に重なっていく。
硬い音がひしゃげて、脳天を走った。焦点が揺れ、空足を踏む。うなじを押さえながら振り返る。木片を握った男を認めた。再び、木片をかざした男の姿が止まらずに揺れている。目玉が泳いで、一所に定められない。男の動向を追い回すよりも意識は肩へと引かれた。短剣が刺さっていた。銀貨を拾っていた男の周辺に徒が現れている。各々が手にしている得物が此方を目掛けてきた。
勢いを増した雨が己の顔を打ち、跳ね返る滴としな垂れた前髪で瞼が下がる。足元に捨てた連中の頸の感触がまだ指に残っている。開かれたままの彼らの口腔には雨水が溜まり、唇にこびりついていた唾液は流されていた。葡萄の木を取り巻いて散乱する躯を見回した。銀貨の男と木箱が消えている。何処へ逃げてゆけるというのか。
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