二章

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家は嫌いではなかった。庭に出れば木々もあるし、母と祖母は穏やかで、兄弟でどうするというわけではなかったが兄や姉とも折り合いはよかった 父も寛容で、あと、最高だったのは、父の昔の絵描き仲間の知人が一時毎晩のように飲みに来て 道雄より上の世代の町の話、芸術の話、文学の話をしてくれた 物書きやら物書き崩れやらが少年期青年期を送るには何一つ不自由のない家族だった ただ 一歩家を出ればそこは退屈な田園地帯。いや、そんな田舎としても成立していない無機質な小さな住宅街 映画館も大きな本屋も芝居小屋もない、人が暮らしているだけの町 たまたま戦時中に、地元から或る絵描きが輩出され美術教室を開いたものだから、その人に続いて親父やその友人に数人絵描きが存在したが、今やそれらの人たちもほぼほぼ霧散し、面白そうな肩書きを持つような人もいない町になっていた そして何よりも道雄を退屈にさせたのは 内側から見れば理想の家族だった「阪元家」が理由でもあった 阪元家は、毛色が違う 戦前、造船会社の役員をしていた祖父が軍需工場を作るために何もなかったこの町に降り立ち、町の人たちに工場という仕事を与えた 最期まで運転手を抱えていた町の救世主の一家 いくら時代が変わり、どんな家もどんな職もどんな人間も価値は同じだと言われても 茨城訛りを使いこなすことが出来ない阪元家の者が、他の家の者と「同郷者」だと言われることはなかった そう。阪元家はいつまでたっても、救世主の一家で、同時に余所者であったのだ だから、家への愛着はあったが、町への愛着は全くと言っていいほどなかったし、この町でこれ以上の刺激を受けるものに出会えないだろうと、思春期の道雄は思ったのだ そう、言ってみれば 育ちのいい坊やである自己の立場が、道雄には退屈だったのだ かといって大都会東京にいったところで、当時から小説を書いていて、しかもろくに売れるわけはないという自覚があった道雄としては、ゆくゆくは父親の坊やという立場を意識されることになると予見し 縁もゆかりもない街に一人赴くことを決意したのだ そうして辿り着いた先は 大学以外には丘と森しかないような大阪の南河内の田舎にあった一応芸術を学ぶ大学であった
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