一章

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車に乗るのなんて20年ぶりだったので、キーレス車のドアの開け方すら分からずに、いきなり警告音を鳴らしたりしながらも、なんとか借りた車を走らせることができた ただ、一度覚えたものはその身にこびりついていたままのようで、発車さえしてしまえば、もう何年も車を運転しているような雰囲気を自他に与えることが可能だった 今思えば贅沢なものではあるが、アルバイト一つせずに大学に四年間通い、車を毎日運転するような暮らしを父に与えられた 子供の頃からそうだった 日曜日に親と出掛けるときは車で銀座に行き、就学前から自由行動を言い渡された 子供がぶらぶらして面白い町ではなかったが、大きな文房具屋にいったり、玩具屋をうろついて、まだ親や姉が到着していない風月堂に一人で入ってオレンジジュースを飲んだりしていた 近所の子と遊ぶときは、大きな家の庭で遊んだ 登れる大樹、夏になれば虫が集まる樹、秘密基地も庭の中に作れたし、樹の根元にいる地蜘蛛をとったりもした。少し大きくなって庭で遊ばなくなっても、近所の小川や沼で釣ってきた魚を放すのは庭の池だった 祖父の代に住み着いたその大きな庭と家を維持しながら、道雄たち三兄弟に田舎にしては贅沢な暮らしをさせるため、父は広告代理店をしていた 恐らくは、道雄のような小説家ではなくても、彼も表現者として気ままに生きることを旨とした存在だったはずだが、父は道雄たちに贅沢をさせてくれる道を選んだ 道雄達が生まれる前、父は絵描きをしていた それで大成しなかったのか、売れなくて挫折したのか、息子としては分からない ただ、不安定な暮らしとなる自由人・表現者を辞め、社会人に、そう、道雄の知るところとなる父になった 末っ子である道雄が、自称が取れたのか取れないのか分からない小説家となり、二十年が経過した後、その責務から解き放たれたと感じたのか、父は会社を引退し、再び絵を描こうと家にイーゼルやら画材やらを準備した しかし 再び絵を描いているという話も聞かないまま 父は認知症を患った
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