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 翌日の昼過ぎ、奏はスマホの着信で目が覚めた。出ると、相手は水城だった。 「……水城? どした?」  体を起こし、あくび混じりに聞くと、起こして悪いな、と電話の向こうで水城が小さく笑う。 『今日なんだけど、休みが欲しい。ちょっと調子悪くて』 「風邪か?」 『多分』  その声はいつもとなんら変わりなくて、本当に具合が悪いのか疑わしい。そもそも、この五年、水城は一度も風邪らしい風邪をひいたことがない。ベッドの縁に腰掛けた奏は机に置かれたカレンダーに目をやった。 「明日定休日だけど、今日一日くらい頑張る元気ないか?」 『悪い。ちょっと無理かも』 「外山、サポートに入れても?」 『ごめん』  ここまで頑なな水城は滅多にない。よほど具合悪いのかもしれない。または、何かよほど外せない用事が出来たのか。 「……わかった。葛城となんとか廻してみるから」 『悪い。頼むな』 「了解。お前は休んでろ、いいな。――店終わったら寄ってやるから」 『ありがとう』  水城はそう言うと電話を切った。 「……とりあえず従業員の言葉を信じますか」  なんだか具合悪いというにはほど遠い声をしていたし、そもそも水城は具合が悪くても出てきてキッチンで倒れるタイプのような気がする。奏は、まあいいか、と軽く頭を掻きながらスマホをベッドに放り投げた。  「計画的犯行だな」 「――ですね。こっちにはソースも作ってあります」  キッチンに立った外山と奏は、冷蔵庫で発見した鍋やボウルを作業台に並べて軽くため息を吐いた。今日のメニューの材料は全て揃ってるし、下ごしらえも完璧だった。そして何気なく放置されたような盛り付けメモが書かれたノートもある。 「シェフ、昨日一人で残業してて。聞いたら新メニューの試作だって言ってたのに、実は今日の下準備してたんですね」 「アイツ……何考えてんだか。――まあ、いい。外山、キッチン頼めるか?」 「これだけ準備してあれば、やれます」  少し大きめのコックコートを着た外山が微笑む。奏は、じゃあよろしく、とその笑顔に頷いてキッチンを出た。ホールでは忙しく葛城が動いている。 「葛城、昨日の水城に何か変わったことは?」  葛城の手からモップを取り上げ、奏が聞く。一瞬驚いた葛城だったが、すぐに手元にある布巾に手を伸ばしてテーブルを拭きながら、昨日ですか、と首を傾げた。 「特になかったと思います。あえて言うならずっとキッチンに居たことくらいですかね」  いつもは気づくと事務所でサボってるから、と笑う葛城に奏は、そうか、と短く返した。 「キッチンに、か……ていうか、それ自体が変じゃん」 「ですね。電話もキッチンでしてましたよ」 「電話? 誰と?」 「さあ、そこまでは。でも大事な電話みたいでした」 「大事な、ねえ……。わかった、ありがと。今日、外山キッチンに入れたからワイン関係は一人で頼むな。フードはおれがさばくから」 「はい。お願いします」  忙しくなりそうな一日と、訳のわからない水城の行動に大きくため息を吐きながら、奏は開店準備を始めた。  忙しかった一日を終え、店を出た奏はそこからタクシーで水城の住むマンションへと向かった。傍らにはスーパーの袋が置かれている。なにはともあれ、これは『見舞い』なのだから、手ぶらで行くわけにはいかない――そう考えてのことだった。中にはうどんの材料とリンゴ、はちみつにヨーグルトと、風邪の時に重宝するものばかりが入っている。  水城の部屋の前に着くと、ドアの隙間から元気そうな水城が顔を出した。 「奏……こんな遅くに、どうした?」 「どうしたもなにも。朝、寄るって言っただろ」 「ああ、そういえば……」  そう言いながらも、水城はドアを開けようとしない。むっとした奏がドアに手を掛ける。 「入れろよ。一人暮らしの病気は困るだろ、色々」 「――わかった。ちょっと待ってろ」  水城は一旦ドアを閉めた。中で足音が響いて、それはすぐにまた戻ってくる。今度は大きくドアを開けて奏を通した。 「メシ、まだだろ? 風邪なら」 「え、あ、ああ……」  不敵に笑う奏に対し、水城は曖昧に返事をする。 「うどん作ってやるよ。おれも腹減ったし」 「だったら、俺が」 「何言ってんだよ。病人は休んでろ」  邪魔だと言わんばかりに水城を手で払うと、奏はキッチンの前に立った。さすが本職、家のキッチンまでキレイにしている。 「お前、家のキッチンは適度に散らかしておいた方がいいぞ?」  作業台に袋を載せて、中から材料を取り出しながら奏が声を張る。ベッドに腰掛けた水城が、どうして、と返す。 「狙った子が家に来た時、こんなキレイなキッチンじゃ、他に女が居るって思われるだろ」 「シェフが自宅のキッチンすらまともに片付けられない方が困る。大体、女なんか連れてくることないし」 「おれは店の金はきっちり数えるけど、自分の金は曖昧だぞ。使途不明金の嵐だ。オーナーとして問題か?」 「お前の場合、額が違うから人としても大問題だ」 「ひどいな、水城」  笑いながら、奏はうどん作りを始めた。麺の袋に書いている作り方を熟読し、不器用に作業をする。料理なんか作ることのない奏にとって、うどん一つでさえも、フルコース並みの難しさだ。 「奏、手伝おうか?」  あまりに危なっかしく見えたのか、水城が後ろで不安そうに奏の手元を見つめる。 「いいから、休んどけ! このくらい、一人で作れる」 「そうか? ホントに? ネギ、繋がってるけどいいのか?」  小口切りにしたつもりのネギを水城がつまみあげる。切ったはずのネギがずらずらと持ち上がっていく。それを見た奏は水城の手をぴしゃりと叩いた。 「こういうふうに切ったの! アートだよ、アート! いいから、向こう行っとけ」  ほらほら、と水城の背中を押し出していると、後ろから、しゅわわ、と嫌な音が聞こえた。 「あ、鍋!」  慌てて奏はコンロの火を消す。ほっとしてから、水城を見上げると、可笑しそうに笑っていた。 「何だよ!」 「別に。そこまで強情になるなら、もう言わない。もし、うどんが出来たら呼んで」 「出来るに決まってるだろうが!」  何が何でも絶対美味いもん作ってやる、と奏は拳を握り締めた。  その十五分後、多少伸び気味のうどんがなんとか完成した。どうだ、といわんばかりに水城に食べさせると、水城は酷く驚いた顔をした。 「どうだ? 美味くない?」  小さなダイニングテーブルを挟み座る水城の顔を窺い奏が聞く。 「……びっくりした。美味いよ、これ」 「びっくりすんな。おれが作ったんだから当然だ」 「見た目は最悪なんだけど、出汁はいい味してるな」 「だから、おれが作ったんだから当然だろ」  きちんと鰹節からとった出汁は、自分でも納得する味になった――工程はさっぱり覚えてないけれど。 「お前は味覚だけはいいからな」 「うるせえな」 「……ありがと、奏。助かったよ」 「ん」  水城から聞く素直な感謝の言葉と笑顔に、奏は短く答えた。そんなふうに改めて言われてしまうと、少し面映い。 「そういえば外山が、下準備してくれたのは助かりましたけど、サボるのは事務所までにしてくださいって言ってたよ」  奏が、帰りがけに聞いた外山の言葉をそのまま伝えると、向かい側で水城が大きく咽る。 「……ばれてる?」 「そりゃあれだけ大層に準備してればね。おれは、外山のコックコート姿が可愛くて客にも好評だったから結果オーライかなとは思ったけど、外山としては葛城について学びたいこともあっただろうな」  以前、葛城からは学ぶことが多くて時間が足りない、と外山が零していたのを思い出し、奏が言葉にする。水城は、そうか、と小さく呟いた。 「まあ、どんな用事があって休んだかなんてことは聞かないけど、今回きりな」 「ああ……わかった」  水城が深く頷くのを見て奏は、伸びるぞ、と笑って食事を再開した。 「もう伸びてる。出来た時から」 「うるせえよ、さっさと食え」  ようやくいつもの顔で笑った水城を見て、奏は安心して麺を啜り上げた。
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