ここにいても

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ここにいても

ふかふかのクッションを尻に敷いて、背もたれに身を預け、ここで咳混じりの呼吸をする権利がわたしにあるのだろうか。なにものとも触れ合わず、ふわふわと膨れ上がり、わたしひとりを納得させればそれでしゅるしゅるとしぼんでいく孤独な対話。顔を上げれば花金の大人たちが頬を上気させて言葉をやり取りしているのが見える。 ここは居心地がいい。今晩はなんだか人恋しくて、家からバスに乗った。しかし行く当てがない。よく通った店にはもちろんよく知った人がいるはずで、彼らに会って、よく知られたわたしを想起されながら会話をする気分ではなかった。映画も気分ではなかった。頭に他人の事情を持つ余裕はなかったから。喫茶店に行こうかと思った。だがわたしは喫茶店で時間をつぶすことがとても苦手だった。そもそも人恋しさがわたしを繁華街に連れ出したはずだ。後ろから2列目の赤いソファーで揺られながら、わたしは完全に数分後の未来を見失い、泣きそうな気分になっていた。そして気付けば結局のところ大橋のたもとの喫茶店に腰を下ろしていた。目の奥を刺激していた悪意のない寂しさは、見慣れた暖色の店内と紳士的な音楽にゆるゆると溶かされ、わたしの思考は10分ぶりに再度脈打ち始めた。 居心地の良い空間に素敵な会話、空間の共有。それをわたしは持ち得ない、だっていまひとりだから。わたしがここに添えられるのは、卑屈にまみれた美味しくない思考作業の結果だけ。つまり可愛くない24歳の眉間の皺。 「すみません、今日はいっぱいなんですよ」 また一組客が帰っていく。店の一番奥の一番いい席で、咳混じりの呼吸をする権利がわたしにあるのだろうか。あるかもしれない。いや、あっていいはずだ。客だから?いや、孤独じゃない対話だってわたしの咳混じりの呼吸と同じだろう、という論法。
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