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1.序
「…今年の竜笛は滝夜叉姫に、との声が上がっておりまして…」
二股に分かれた尾を項垂れて、年若い狐が身を小さくして言った。
面は床に擦り付けたままである。
「竜笛はこれまで通り、私が奏でる。」
赤い目をギラリと輝かせ、九本の尾を背後にざわりと揺らめかせながら一人の老婆が背筋をしゃんと伸ばしていった。
「しかし、御館様ももう、お年であろうと言う者がおりまして…」
「誰がじゃ!」
九本の尾が老婆の陰から這い出て、目の前にひれ伏す狐にと覆いかぶさる。
「わ、私では、ございませんぬ。その…大入道さまが…」
「あの禿じじいがっ!!勝手を抜かしおって!!」
九尾の一族の当主である紅尾は齢二千年になる。
つまりは、『ばばあ』が『じじい』呼ばわりである。
「そもそも、滝夜叉の代わりに誰が舞うと言うのじゃ!!」
「ええっっと、山女が舞うと…」
「あのような山育ちの田舎娘に何が舞える!祭りの舞かっ!!」
山娘は美しく若い娘の姿をしているが、山育ちであり、雅楽や舞には疎い。
「ですが、御館さま、先の葵さまの嫁入りではしばらくお伏せになりました故、皆が心配しておりまする。」
若い狐はひれ伏したまま、恐る恐る言った。
「それこそ、大きなお世話じゃ!たかが、20年程前の話であろう。少々風邪気味だっただけじゃ!」
葵と言うのは鵺の一族に嫁いだ、九尾の一族の雌狐だ。
大層美しい狐で、紅尾の後継者とも言われていたが、ぜひにと請われ、また、葵も鵺の若者に一目で惹かれ、涙ながらに紅尾に許しを得たのだった。
「ああ、藤緒様がいらしたら…」
激高する紅尾を小さくなりながら見ていた傍仕えの狐がぽつりと呟くと、二股の若い狐が一層その身を床にひれ伏した。
「申し訳…」
今にも消え入りそうな声であるが、それを老婆とは思えぬほどの張りのある声が遮った。
「藤緒の名など、出すなっ!あの、親不孝者が!」
だんっ、と九つの尾が激しく床を打ち鳴らした、その瞬間―
「コン!!!」
大きな叫び声が響き渡った。
「御館さま!!」
「紅尾様!!」
若い狐と傍仕えの狐が駆け寄る。
「く…不覚じゃ…」
紅尾が声を絞り出すように呻いた。
「御館さま?」
「紅尾様?」
普段ならぴんと立ち上がり、扇のように広がっている九つの尾が見事に垂れ下がり、床に力なく伸びている。
「こ、腰が…」
紅尾はそう呟くと、その身をじっと伏せた。
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