0人が本棚に入れています
本棚に追加
3.人ならざる者
「…とういう訳で、藤緒さまは我々九尾の一族の当主であり、こちらにおわすお館様―紅尾さまのご子息様です。」
青年は地面に正座して、生真面目な顔で言った。
「はあ…」
藤香は何とも言えない顔をして、何とも間の抜けた返事を返すしかなかった。
何しろ、この、茶々丸という青年が言うには、祖父は狐の妖で祖母と恋に落ち、この人間の世界に駆け落ちしたというのだ。
信じがたいどころか、目の前の二人が詐欺師かもしくは妄想型精神疾患の患者に思える。
「えっと…」
とにかく、誰か人を呼びたい。
詐欺師なら警察に通報すればいいが、妄想型精神疾患の患者であるならば、下手に逆らうと殺されかねない。
そこで、紅尾が唸るように低く言った。
「そなた、今、無礼なことを考えたであろう?我らが山師か狐憑きなどと…」
狐の妖と自ら言っているのだから、むしろそのまま狐憑きでいいような気がする。
「だって…おじいちゃんが…狐って…」
信じろと言う方が、土台無理な話である。
すると紅尾は、手にしていた杖でごつんと地面を叩いた。
「お、お館様、どうかお静まりを…。信じていただけるくらいならば、我らが闇の世界に籠ることはございませんでしょう。」
茶々丸は紅尾に何か言うたびに、体を震わせて項垂れている。
「ふん!かつては恐れ、あるいは敬った我らのことを知らぬとは…高々数百年の間に人とは無知になったものよ。」
紅尾は憐れむように言った。
「はぁ?」
妖など、この、科学の時代に何を言わんや、である。
「それにしても…」
紅尾は不躾な視線で藤香をまじまじと見つめると、大きく溜息をついた。
「業腹だが、あの娘は確かに美しい女子であった。藤緒も引く手あまたの男前だったのだがのう。なぜにこの娘はこうも十人並みの器量なのかのう…」
「じゅっ…!」
だから、気にしてるのに―
いい加減にしやがれ、このクソババアー
心の叫びを飲み込んで、藤香はこぶしを握り締めた。
「だが、その西洋横笛の音はなかなかに良いものであった。あの、親不孝者が自分の名の一字を与えただけはある。」
不愛想な顔ではあるが、どうやら藤香のフルートを褒めているらしい。
藤香の機嫌はわずかながら上昇し始めた。
が―
「まぁ、十人並みとはいえ、藤緒とあの娘の血を引いているのじゃ、紅をさして髪をきちんと結えば、見られるくらいにはなるであろう。」
「はぁ?」
やはり失礼極まりない。
「楽器は違えど、その腕前ならば、何とかなりそうじゃ。」
「それでは…!」
茶々丸が嬉しそうに言ったが、しかし、藤香には全く話が見えない。
「何を間抜け面しておる。」
紅尾が相変わらずの渋面で藤香に言った。
「間抜けって…」
見ず知らずの、訳の分からぬ、妄想型精神疾患の老婆になぜ、何故そこまで言われなければならないのか―怒りを通り越して、もはや達観するしかない。
しかし、そんな藤香の様子に二人は全く気にすることなく、話を進めて行く。
「稽古は私、自らがつけよう。」
「は?稽古って、何の…」
稽古、と言いかけたが、それは茶々丸によって遮られた。
「装束はすぐに準備いたします。」
「え?ちょっと、装束って…」
意味が分からない、と言いかけたが、それも口を挟むなと言うかのような紅尾の声が遮った。
「他の一門との目通りも必要じゃな。」
「え、ちょっと、ヤダ…」
人外の人たちとの顔合わせなんて、ぜひとも遠慮したい。
「わかりました。」
いや、やめて―と、声に出す間もなくまた、紅尾が言った。
「しかし、何を言うても人の身じゃ。守護が必要であろう。茶々丸のほかに…玉藻よ!」
ふわり、と、目の前に影が浮かび、それが次第にはっきりとした人の形となる。
「御前に。」
銀色の髪を後ろにまとめた青年が、紅尾に向かって跪いて頭を下げている。
「その娘、藤緒の孫娘で藤香と言う。此度の百鬼夜行の竜笛の奏者となる娘じゃ。玉藻よ、藤香の守護を頼む。」
玉藻と呼ばれた青年は立ち上がって藤香に向き直ると、やはり膝をつき頭を下げて言った。
「玉藻と申します。藤香さまの身辺をお守りいたします。」
「…」
護衛が必要なほどの稽古と顔合わせって―藤香はその場に座り込んでいた。
紅尾に呼ばれて現れた青年は、銀色の髪をした、きりりととした顔立ちの目元涼し気なイケメンである。
そして、紅尾は最初から最後まで尊大な老女で、茶々丸は気の弱そうな青年だった。
が、そんなことは、もう、些細なことであった。
きっと彼らは、詐欺師でも妄想型精神疾患患者ではない。
とにかく、非常識な存在である。
そして―
藤香が妄想型精神疾患を発症しているのではないのならば、これは現実で、妖は存在しているのだ。
そう、彼らは確かに存在しているのだ。
そう認めざるを得ないのだ。
じゃないと―
じゃないとー
私が妄想型精神疾患患者ってことになる―
藤香の目の前がふっと暗くなった。
人間とは、本人の許容範囲を超えた信じがたいことがおきたら、気を失うという自己防衛本能が働く生き物なのかもしれない。
最初のコメントを投稿しよう!