3.人ならざる者

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3.人ならざる者

 「…とういう訳で、藤緒さまは我々九尾の一族の当主であり、こちらにおわすお館様―紅尾さまのご子息様です。」  青年は地面に正座して、生真面目な顔で言った。  「はあ…」  藤香は何とも言えない顔をして、何とも間の抜けた返事を返すしかなかった。  何しろ、この、茶々丸という青年が言うには、祖父は狐の妖で祖母と恋に落ち、この人間の世界に駆け落ちしたというのだ。  信じがたいどころか、目の前の二人が詐欺師かもしくは妄想型精神疾患の患者に思える。  「えっと…」  とにかく、誰か人を呼びたい。  詐欺師なら警察に通報すればいいが、妄想型精神疾患の患者であるならば、下手に逆らうと殺されかねない。  そこで、紅尾が唸るように低く言った。  「そなた、今、無礼なことを考えたであろう?我らが山師か狐憑きなどと…」  狐の妖と自ら言っているのだから、むしろそのまま狐憑きでいいような気がする。  「だって…おじいちゃんが…狐って…」  信じろと言う方が、土台無理な話である。  すると紅尾は、手にしていた杖でごつんと地面を叩いた。  「お、お館様、どうかお静まりを…。信じていただけるくらいならば、我らが闇の世界に籠ることはございませんでしょう。」  茶々丸は紅尾に何か言うたびに、体を震わせて項垂れている。  「ふん!かつては恐れ、あるいは敬った我らのことを知らぬとは…高々数百年の間に人とは無知になったものよ。」  紅尾は憐れむように言った。  「はぁ?」  妖など、この、科学の時代に何を言わんや、である。  「それにしても…」  紅尾は不躾な視線で藤香をまじまじと見つめると、大きく溜息をついた。  「業腹だが、あの娘は確かに美しい女子であった。藤緒も引く手あまたの男前だったのだがのう。なぜにこの娘はこうも十人並みの器量なのかのう…」  「じゅっ…!」  だから、気にしてるのに―  いい加減にしやがれ、このクソババアー  心の叫びを飲み込んで、藤香はこぶしを握り締めた。    「だが、その西洋横笛の音はなかなかに良いものであった。あの、親不孝者が自分の名の一字を与えただけはある。」  不愛想な顔ではあるが、どうやら藤香のフルートを褒めているらしい。  藤香の機嫌はわずかながら上昇し始めた。  が―  「まぁ、十人並みとはいえ、藤緒とあの娘の血を引いているのじゃ、紅をさして髪をきちんと結えば、見られるくらいにはなるであろう。」  「はぁ?」  やはり失礼極まりない。  「楽器は違えど、その腕前ならば、何とかなりそうじゃ。」  「それでは…!」  茶々丸が嬉しそうに言ったが、しかし、藤香には全く話が見えない。  「何を間抜け面しておる。」  紅尾が相変わらずの渋面で藤香に言った。  「間抜けって…」  見ず知らずの、訳の分からぬ、妄想型精神疾患の老婆になぜ、何故そこまで言われなければならないのか―怒りを通り越して、もはや達観するしかない。  しかし、そんな藤香の様子に二人は全く気にすることなく、話を進めて行く。  「稽古は私、自らがつけよう。」  「は?稽古って、何の…」  稽古、と言いかけたが、それは茶々丸によって遮られた。  「装束はすぐに準備いたします。」  「え?ちょっと、装束って…」  意味が分からない、と言いかけたが、それも口を挟むなと言うかのような紅尾の声が遮った。  「他の一門との目通りも必要じゃな。」  「え、ちょっと、ヤダ…」  人外の人たちとの顔合わせなんて、ぜひとも遠慮したい。  「わかりました。」  いや、やめて―と、声に出す間もなくまた、紅尾が言った。  「しかし、何を言うても人の身じゃ。守護が必要であろう。茶々丸のほかに…玉藻よ!」  ふわり、と、目の前に影が浮かび、それが次第にはっきりとした人の形となる。  「御前に。」  銀色の髪を後ろにまとめた青年が、紅尾に向かって跪いて頭を下げている。  「その娘、藤緒の孫娘で藤香と言う。此度の百鬼夜行の竜笛の奏者となる娘じゃ。玉藻よ、藤香の守護を頼む。」  玉藻と呼ばれた青年は立ち上がって藤香に向き直ると、やはり膝をつき頭を下げて言った。  「玉藻と申します。藤香さまの身辺をお守りいたします。」  「…」  護衛が必要なほどの稽古と顔合わせって―藤香はその場に座り込んでいた。  紅尾に呼ばれて現れた青年は、銀色の髪をした、きりりととした顔立ちの目元涼し気なイケメンである。  そして、紅尾は最初から最後まで尊大な老女で、茶々丸は気の弱そうな青年だった。  が、そんなことは、もう、些細なことであった。  きっと彼らは、詐欺師でも妄想型精神疾患患者ではない。  とにかく、非常識な存在である。  そして―  藤香が妄想型精神疾患を発症しているのではないのならば、これは現実で、妖は存在しているのだ。  そう、彼らは確かに存在しているのだ。  そう認めざるを得ないのだ。  じゃないと―  じゃないとー  私が妄想型精神疾患患者ってことになる―    藤香の目の前がふっと暗くなった。  人間とは、本人の許容範囲を超えた信じがたいことがおきたら、気を失うという自己防衛本能が働く生き物なのかもしれない。        
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