第一話 異世界からの帰還。帰ってきました、我が祖国

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第一話 異世界からの帰還。帰ってきました、我が祖国

目を開くと、真っ白な天井が視界に入った。しかし、それにしては微妙な違和感を感じ、上半身を起こしてあたりをきょろきょろと見回した。 「……俺の、部屋だ」 使い慣れた勉強机。漫画や小説、それに教科書なんかが並んでいる本棚。クローゼット。そこは紛れもない、十七年間過ごしてきた俺の部屋だった。 「よっしゃぁぁぁ!帰ってきたぞぉぉぉぉぉ!!!」 「ちょっと、優馬、うるさいんだけど!」 大声を張り上げて両手をバンザイすると、凄まじい剣幕で雪菜が部屋のドアを開けた。しかし、久々に見る「実の妹」の姿に、俺は耐えきれずに雪菜に飛びつこうとしてしまう。 「ゆ……ゆきっ……雪菜ぁぁぁ!」 「ぎゃぁぁぁ! 襲ってくんな! ハゲ優馬!」 「ぶふぉ!」 けれど、俺は雪菜の回し蹴りを腹に食らってしまい、倒れてうずくまってしまう。それから冷静になって、ふと思い出す。俺は、魔王リオンと魔業核を倒し、「神の娘」ティナによる時の魔術によって、雪菜が通り魔に襲われて、俺が彼女を守って死んでしまう前の地球へと戻ってきたのだ。俺は、念のために雪菜に尋ねる。 「雪菜って、夜道で通り魔に襲われたりしてないよな?」 「襲われたわよ」 「え?」 「たった今、大声出されてびっくりして、危うく死ぬところだったんだからね。優馬の存在が、通り魔みたいなもんよ」 俺の存在が通り魔……。その言葉を聞いただけでは何だか悲しくなってきてしまうが、とりあえずあの事件はなかったことになっているみたいだ。それだけでもひと安心だ。 「ああ、そうか。良かった」 「人の勉強の邪魔しといて『良かった』って、最悪ね。明日、英単語の小テストあるんだから、絶対邪魔しないでよ! いい? わかった? 次、大声出したら、マジで殺すから」 そう言い残してドアを閉めると、俺は再び一人ぼっちになってしまった。そして、俺は今までの出来事をもう一度振り返ってみた。 それは日曜日の夜のことだった。雪菜が友達と遊びに街へ行ったはいいが、帰りが遅いのが心配していると、「カラオケが盛り上がっちゃって。帰るときにまたメールするから、すみれお姉ちゃんに言っておいてね。どうせ暇でしょ」とメールが送られてきたのだ。「迎えに行く」なんて言うと怒るから、俺は「今バスに乗ったところだから、すみれお姉ちゃんによろしくー」という次のメールの後、時間を計算してバス停まで迎えに行った。すると、人気の少ない住宅街の道路で、雪菜が向こうから必死な形相で駆けてくるのが見えた。雪菜は追われていた。男は、その手にナイフを持って雪菜を追いかけていた。反射的に体が動き、俺はその男に飛びかかっていったものの、結局はナイフで滅多刺しにされて死んでしまったのだ。 それから、俺は異世界ビルヴェンシアで、エデル・アーリストという別の人間として生まれ変わった。 捨て子のエデルは、妹のティナとともに孤児院で育った。俺は生れながらにして「桜井優馬」としての記憶を持ちつつも、エデルとして新たな人生を歩むことに決めた。しかし剣や魔術の才能を開花させたエデルは、十七歳になる年にティナから奇妙なことを告げられる。 「私、実はこの世界の神様なの」 ティナはそう言うと、「あなたが地球で『桜井優馬』として生きていたことも知ってるよ」と続けた。彼女はもともと天界から地上を見下ろす「神の娘」であったが、神の王国が魔王に乗っ取られ、偶然によって一人だけ天界から逃げ出したところ、ちょうど死んだ俺の魂に取り付き、そのまま異世界ビルヴェンシアで「人間」として生まれ変わったのだと言う。 ティナは、さらに懇願する。 「私と一緒に、魔王を倒してほしいの。そうすれば、私が神に戻ったら、あなたを元の世界に帰してあげられるから。少し力を使わなければいけないけど、あなたが死ぬ少し前の状態に戻すことができるの」 また地球に戻ることができるのだと思い(それも桜井優馬の姿で!)、俺はティナに協力することに決めた。長い旅の中で様々な苦労や死闘を経験したが、その中で数々の仲間たちと出会い、俺たちは魔王リオンと魔業核を無事倒すことができたのだ。 「そうか。もうこの世界には、ティナもミーシャも、それにゴルトンさんもいないのか。それから、それから……」 かつての仲間たちの顔を思い出すと、やはり物悲しさがこみ上げてくる。「迷惑を押し付けやがって」と不満に思ったこともあったが、いざいなくなってみると寂しいものだ。しかし、俺はその寂しさを押し殺した。ティナたちは、もうこの世界にはいないのだ。 俺は彼女たちのことを忘れるために、ビルヴェンシアにいた頃から楽しみにしていた漫画を読み始めた。 「そう来たか! ああ、生きてて良かった……」 そして、すぐに忘れた。エンターテイメントとは、あらゆる悲しみを吹き飛ばす最強の魔法だと思う。 俺は、落ち着いたときにじっくり読もうと楽しみにしていた「ヴェネツィアの死神」を手に取り、ベッドの上で横たわりながら読書に耽っていた。 なにしろ、もうこの続きが読めなくなると思うと、心の底からショックだったのだ。とにかくそれだけがショックだったのだ。十七年ぶりとはいえ、この続きを読めるんだと思うと本当に感動する。魔王を倒したときの1.2倍くらいは感動してる。いや、それはないか。魔王を倒したときの方が感動したはずだ。だって、魔王だぜ? いや、でも「ヴェネツィアの死神」にしても、十七年待ってるんだよなあ。 「優馬くーん、雪菜ちゃーん、お父さーん、ご飯よー」 ちょうど単行本を読み終わった頃に、一階からすみれちゃんの呼ぶ声がする。夕食の時間だった。約十七年に及ぶ長い昼寝から目覚めた俺は、すみれちゃんの久々の手料理を目にして感動する。 「うおおおお! 今日、唐揚げかよぉ!」 「あら、優馬くん、今日はいつにない喜びようね。そんなに唐揚げ好きだったっけ?」とすみれちゃんは言う。 「ああ、ああ……。だって、十七年ぶりだぜ……」 「十七年ぶり?」 「中二病をこじらせた高校生によくあることだ。ここまで来ると、おそらく大人になっても引きずるだろうな」と親父が言った。 「あら、それは大変ねえ」 現役の中二病患者でラノベ作家でもある親父が言うのだから間違いはないだろう。それは俺にも自覚がある。 「けど、あんたにだけは言われたくねえよ」 「お前には、いずれ俺の作品の続きを書いてもらうことを期待しているんだ」 「そんなに早死にするつもりなのかよ」 「後継者とかいた方が、格好良いだろう?」 「たしかに。それは間違いないな」 「あー、だるっ。うちって、いつから精神病院になったの?」 疲れたようなため息を吐いて、二階から雪菜が降りてきた。 「それにしても、不思議だよな。すみれちゃんは抜きにしても、お前もアニメが好きなはずなのに、どうして現実と虚構の区別ができているんだ?」 「それが『普通』だっつうの!」 「それより、早くご飯を食べるぞ。せっかくすみれが作ってくれたおいしいご飯が、冷めてしまうではないか」 十七年のブランクを感じさせない家族の食卓だった。と言っても、ブランクがあるのは俺だけだけど。俺と親父と雪菜は最後に残った唐揚げの取り合いをするし、三人で唐揚げを箸で突きあっていると、「三人とも、お行儀が悪いわよ」と笑顔だが圧のあるすみれちゃんの注意に慄きながら、平等にじゃんけんで決める。結果は雪菜が勝った。雪菜はなぜか、いつもじゃんけんが強いのだ。 たしかに、異世界での冒険は楽しいこともあったけれど、魔物やら何やらと戦わされたり、常に食べる物に困っていたり、大変なことの方が多かった。それよりも、家でごろごろして、すみれちゃんの唐揚げを食べる方が絶対良いに決まっている。異世界なんて、ラノベを読めば充分だ。 現実世界、万歳! その日、俺は人生で一番とも言える安眠に就いた。 ××× 翌日、俺はいつものように目を覚ます。この世界では、もう魔物に襲われることなんてない。 さて、着替えて顔を洗って、すみれちゃんの作るおいしい朝ご飯を食べよう。そう思って立ち上がろうとすると、俺は右手に違和感を感じる。何だか柔らかいような、気持ちの良いようなこの感触。 「……ん?」 眉根を寄せ、俺はそちらの方を向く。その瞬間、俺は大声を上げた。 「ティナァァァァァァァァァァ!?!?!?」 十七年間ずっと傍にいたそいつの顔を忘れるはずがない。長い金髪のハーフアップに白い肌、かつて装備していたローブや杖の代わりに身につけていたのは、純白のワンピースだった。そして今俺が触れていたのは、否、揉んでいたのは、細身だが大きなティナの胸だった。 「ねえ、ちょっと、朝からうるさいんだけど。まったく、昨日から……」  雪菜は、すやすや眠るティナに視線を止めたまま、凍りついてしまう。そして、叫んだ。 「ぎゃぁぁぁぁぁ!! 優馬が、女を連れ込んでるぅぅぅ!?」  どうした、どうした、と親父にすみれちゃんが俺の部屋へ駆けつけてくる。 「優馬、お前……」と親父の時間が止まってしまう。 「あら、まあ……」とすみれちゃんは口元に手を当て、笑みを押し殺そうとする。 「いや、違っ……違うんです! あれ、これ、違うんです!」 「人はピンチを言い訳で切り抜けようとするとき、急に礼儀正しくなると言うけれど……」と雪菜が引き気味に言った。 「いや、マジで……その、信じて? ねえ、信じて? お願い。何もないから。僕、何もしてませんから。お願い。ねえ、ホントお願い」 「ちゃらちゃらした男の子の言う『先っぽだけ』と同じくらい信用のできない言葉ね」とすみれちゃんが困ったように言った。 「ちょぉぉぉっと、二人だけにさせてくれるかなぁ?」  俺は部屋のドアを閉め、ティナの肩を揺さぶって起こそうとした。 「おい、ティナ。てめえ、どうしてこんなところで眠っていやがる。おい、起きろ。ティナ」 「ん……んん……」  かなり眠りが深かったみたいで、ティナはなかなか目を覚ましてくれなかった。しかしさらに揺さぶり続けると、ティナはようやく目を開いた。 「エデ……ル……。ああ。今は、優馬なのか」俺と目が合うと、彼女は破顔する。「優馬、約束だよ! 私たち、結婚するんだよ!」  言うが早いか、ティナは俺の首に巻きついてくる。 「わぁぁぁ! なんだっ! 離れろ! 離れやがれっ!」  俺は必死でティナを体から話す。 「やい、てめえ、どういうことだ。どうしてここにいやがる」  怒りながら言うと、ティナも不満そうに膨れっ面をする。 「だって、約束じゃん。魔王を倒したら、私たち、結婚するって」 「はぁ? してねえよ」 「はぁ? したじゃん。最後のときだって指切りしたじゃん」 「指切り?」  俺は思い出してしまった。  魔業核を倒した後、力を失って倒れる俺にティナが駆け寄ってきた。そして、何だかんだ言う内に指切りさせられたことを思い出した。あのときは「まあ、どうせ口だけだろう。大体、地球に家も家族も歴史も持たないティナが、どうやって地球で俺と結婚するんだよ(笑)」と思って適当なことをかましていたのだ。  約束は約束だ。約束を守らない男なんて男じゃない。だから、俺は諦め、ティナに言った。 「いや、絶対にしてない」  約束なんて絶対にしていない。少なくとも、俺は絶対に覚えていない。「思い出した」なんて言ったら終わりだ。それは、俺がティナと約束をしたことを意味する。ティナが、美しい容姿をしつつも若干面倒臭いところがあることは、十七年の歳月をかけて理解している。こんな奴に生涯付きまとわれるなんて、たまったものじゃない。 「はぁ、絶対したし。絶対したからね。嘘吐いたら、針千本呑ますって」 「え?」  すると、ティナの手の平の上に赤い飴玉が魔法みたいに現れた。そして、ティナはその飴玉を俺の口に突っ込んできた。 「必殺、〈針千本〉!」 「わぁちゅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」  とにかく辛かった。口の中を突き刺すほどに辛かった。それはまさしく針千本。しかも、辛味はなかなか引いてくれなかった。 「針千本を実際に呑ませるわけにはいかないからね。でも、その飴は特別性だから、私が魔術を解かない限り、一生辛いままだよ。ちなみに、辛さも調節できるんだけど」  ティナがくいっと人差し指を上に向けると、飴玉がさらに辛くなった。 「思い出した! 今思い出した! マジで今思い出したからやめろ! やめてください、お願いします!」 「よろしい」  ぴゅっと人差し指をスライドさせるようにすると、辛みは一瞬にして引いてしまった。俺は大汗と呼吸を荒げながら、部屋の床に倒れていた。 「竜魔人ドラニゴスと戦って、私が死にかけたときのこと、覚えてるよね」 「覚えてるっつうか、それを思い出したのはマジで今」  だって、本当に地球までついてくるとは思ってなかったんだもーん。  それは、神の王国へ入るための秘宝探しをしていたときのことだった。秘宝にはそれぞれ番人が配置されており、竜魔人ドラニゴスとは、その番人の中の一体だ。戦いの途中、ティナは俺を庇ってドラニゴスの毒霧を食らってしまい、やむなく魔物の出てこない場所まで一度引き上げたのだ。
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