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出会い
昔から土曜日の午後は苦手だった。
気の抜けたような町、歩行者はカップルが多く皆華やいだ顔つきだ。
僻みかもしれないが、ずっと一人だった私はどこか後ろめたさを感じる和やかさだ。
だから、という訳でもないが土曜になると私はいたたまれなくなってわざと町の中に繰り出してしまう。
その中に身を置けば案外平気なのだ。そういう天邪鬼な性格が私にはあった。
品川の駅前のビル。京浜品川駅を出て信号を渡ったビルの二階に、通りを見下ろせる喫茶店がある。
メイドのような制服姿が可愛い評判の店。何故だかここが好きでよく来ていた。
その日もそうだった。特にすることもないけれど、メモやノートを持参して時間を潰そうと思った。
20分もいた所ですることも尽きた。帰り支度をしようとノートを鞄にしまっている時に、後ろから自分を呼ぶ声がした。
高い声で笑いながら話しかける女性に心当たりはなかった。不審な顔をする私に、女性は声色を変えて名乗った。
「高校時代の、同級生よ。山口光代って覚えてる?」
少し考えて電光石火のごとく閃いた。
「あー、あの…みっちゃん」
「そぅーそうそう」
私たちは笑いながら肩を叩き合った。
とりあえずそこを出て、別の場所で昼食を食べながら話をした。近況報告というものだろう。
山口光代は、進学校である都内の私立女子高のクラスメイトだった。
彼女は生え抜きの優等生、しかも生徒会副会長と弁論部でも活躍していた。
誰からも一目置かれていた生徒だった。
一方私と来たら学業は低空飛行で目立たなく、一年中小説に読みふけっているオタクな子だった。
それが卒業後20年経って都会の片隅で出会い、意気投合するなんて、これは奇遇というより奇跡に近いものだ。
勿論、近況報告なんて言っても事実を話すわけがない。
今の私を率直に話したら、相手を怖じ気づかせてしまうだけだ。いや、大げさではなく。
私は、この年になるまで幾つか仕事を変え、定着出来た職は無かった。
飽きっぽさが災いしているのか、それともまだ何か自分には未知の領域があると思い込んでいるのか。
今の私は、美容と芸能の小ネタを扱うライターだ。
それとつい最近まで、食品会社のパートをしていた。簡単な作業だ。仲間以外誰にも会わないし、自分の事を知られることもない。
主婦のパートのような仕事。気楽で案外気に入っていた。それも止めてしまった。そのことを自分から人に打ち明ける気にはなれない。
光代はずっと明るく淀みなく喋っていた。まるで躁になった人みたいだった。
私は元々の疑り深さから、ずっと彼女を観察していた。
光代の明るさはどうも怪しいと睨んでいた。
大体、視線をこちらに合わせない。ずっと宙を彷徨っている。
それは考えながら喋っているということだ。つまり創作しながら話してるということ。
私は、彼女が何かを隠していると感じていた。
とりあえず連絡先とメールアドレスを交換して別れたものの、それ以後光代からの連絡は無かった。
私もそれきり忘れてしまっていた。
しかし数か月後、ある日買い物に訪れた量販店で、私は立ちすくんだ。
多くの画面が並ぶテレビコーナーに、この間見た光代が映っていたからである。
日中の長たらしいワイドショーだ。
光代はこの間と全く同じ顔つきで、何か喋っている。聞いているとどうやら、政治家の不祥事についてらしい。
眉間に皺をよせ、きつい言葉で非難している。先日の穏やかさとは大違いだ。
一体どうしてそこに彼女が居るのか、理解出来なかった。
だが見ている内になんとなく光代の立場が分かってきた。
光代は建築家と紹介されていた。何か大きな仕事をして、有名な賞でも取って名が知られているのだろうか。
確か先日の話だと、彼女は小さな建築会社で見習いをしていると言っていた。
私の中からフツフツと怒りとも屈辱とも名指しがたいものがわき出してきた。
一体何故光代は、私にあんな嘘をついたのか。
検索すればすぐ出てくる。便利な世の中だ。
山口光代の経歴も過去も。ウィキなんてどこまで正しいか証拠がないが、まぁないよりましというものだ。
彼女の経歴は華々しかった。海外のコンペで賞を貰っている。様々な施設の建築。続々と画像が現れる。
いやいや、私に価値など分かりはしない。どの建物を見ても差が分からない。
残念ながら素人なんてそんなものだ。それで海外の長たらしい名前の賞を有り難がるという訳なのだ。
私が不思議に思ったのは、ワイドショーなどで建築家の彼女がなぜコメンテーターに選ばれているかだ。
普通は弁護士か医者かエッセイストだろう。生活と直結した職業ばかりだ。
私は考え込んだ。芸能ライターとしては、やはりこう思うしかない。
制作関係者に、何か強いコネがあるのだろう。
そして断り切れない弱みで仕方なく光代は出演してるのかもしれない、と。
幸い、私は自分の身を明かしていなかった。ライターなどという胡散臭い仕事。
こういう職に警戒感を持つ人は多い。
だから光代にも言っていなかった。私は婚約者のプロポーズを待ちながら、食品会社でアルバイトをしていると伝えたのだ。
そして、少しずつ光代の評判や仕事を調べながら、もしかしたらこれは記事になるかもしれないと、一人ほくそ笑んだ。
調べてみると、光代は思いの外マスコミに露出が多かった。そして結構失言もしていてアンチも多いようだったのである。
私は決心した。これは調べてみる価値がある。
自分を明かさず取材してみて、いずれ本にでも出来たら。
何しろ、彼女は私に好意を抱いている。何故か知らないが。
どんな本になるか分からないけれど、それが世間に出た時のことを考えると無性にワクワクした。久しく覚えがなかった心の動きだった。
そこからの私の行動は素晴らしかった。自分で言うのも何だが、目的があると自分はこんなに迷いなく動けるのだと実感した。
光代の設計した建物、施設を幾つか回り、自分の目で確かめた。怪しまれない程度に取材もした。
もしかしたら何かの拍子で私が取材しているのが本人の耳に入るかもしれない。
だが、そんな心配は無用だった。彼女は日々多忙で、自分の会社とテレビ局や雑誌社の間を飛び回っていたのである。
数ヶ月経った。
調べれば調べるほど何も出てこず、彼女の仕事も熱意も本物だった。
芸能関係の薄いコネクションでライターの知り合いに尋ねてみても、何もない。
素っ気ないほどのクリーンさ。
私は拍子抜けしていた。
では一体、あの異様な明るさは何だったのだろう?
ジリジリした私はついに連絡をした。光代に電話をしたのである。
直ぐに電話に出た光代は驚くほどのんびりしていた。
「あらー、お久しぶり。この間はどうもね。どうした、何かあった?」
やはり仕事人だわ、と私は思った。電話は用を果たすためと心得ている。暇人とは違う。一分一秒が貴重なのだ。
「ごめんなさいね、仕事で忙しそうなのに。どうしてるかなと思って」
動揺を隠しながら言った。私が光代について知りすぎていると感づかれてはならない。
「うーん、別に~。暇よ、そうね。今度会おうか?あなたはどうなの?忙しいの」
私は前のめりになりそうになる気持ちを抑えながら言った。
「いいえ、さっぱり。毎日余裕ですわ。光代さんお休みはいつなの?今度はお酒でも飲みに行きます?」
フフ…という含み笑いが聞こえた。その意味を考える暇もなく、光代は言葉を返す。
「じゃあ今度は新宿でどう?落ち着かないかな。新宿はよく行くのよ。何かと便利でさ」
頭の中に光代の会社の位置が閃いた。私は会う場所と日時を約束していた。
翌週、新宿で待ち合わせした私はなぜか光代のハイな気分に釣られて、またもや彼女のペースに乗ってしまった。
その夜は何軒もはしごし、一軒ごとに小さな店に移動し、隣の客と膝つき合わせる狭い店で初めて会う人たちと話が弾んだ。
騒ぎ笑い、私たちはどこまでも呑んだ。
理性の垣根を取り壊したような馬鹿騒ぎだった。夜が深まるにつれて何故かもうどうでも良くなってきた。
その日に光代としようとしていた話は全く出来ず、かろうじて帰宅した時は朝だった。
翌日考えると、光代と喋った記憶は完全に消えていた。
頭痛が酷かったが、不思議と気分は爽快だった。沢山の人と話をしたせいか、ストレスが消えたかのようだった。
思い出してみると、光代は今までと変わらず、明るい会社員を装っていた。
派手な花柄のワンピースを着て、サングラスをかけていた。
有名な建築家と気づく人はいなかった。夜の世界なんて他人のことなど気にかけないのが普通なのか。まるで完全犯罪みたいだ。
翌週、光代からメールが来た。今度は二人だけである所へ行きたいと言うのだった。
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