1話 転移(春菜)

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1話 転移(春菜)

 いつからか、私は薄い膜に覆われていた。  視界はうっすらと濁り、周囲の音が遠くに聞こえる。目の前の世界と自分を隔てる見えない膜。  大学を出て、就職して、普通のOLの生活を手に入れたけれど、要領が悪く人付き合いが苦手な私は、上司からいびられ同僚からはつまはじき。  この場からいなくなりたいとぼんやり考えながら、日々が過ぎていく。  不自由ばかりが目に付く毎日。悩みを相談できる相手すらろくにいない孤独。  体のどこかに電源を切るスイッチがついていたなら、いつだって押せる。  たった一つ、この世界に留まっていようと思える理由は、大好きな漫画があるからだった。 「……アレク様」  ため息混じりにつぶやいて、ポケットの中のキーホルダーを握り締める。  最愛のキャラクターのイメージカラーが際立つ、魔方陣を模したものだ。お守りがわりに肌身離さず持ち歩いている。  駅前のコンビニに入ると、まず向かうのは雑誌コーナー。  今日が発売日の週間少年チャンプを手にとり、パラパラとめくりながら最終ページの目次に目を通す。  そして大きく嘆息。  そこに目当ての作品名は載っていなかった。  二年前に連載終了した漫画だ。当たり前といえば当たり前なのだけれど、何か続報がないものかと、祈るように雑誌をチェックするのが習慣だ。  駅のホームに立ち、ぼうっと歩く。  今の仕事は自分には向いてない。すでに転職は4回目。  自分に合った職なんて見つからないまま、こうして死んだ目で機械的に毎日を過ごしていくのだろうか。  そんなの、生きてるって言える?  ゆるやかに線路のほうへ歩いていくと、ふっと浮遊感が体を包む。  一瞬目の前が真っ白になって、ふたたび目を開けたときには、薄暗い部屋の片隅に座っていた。  きょろきょろと周囲を見渡す。  白い壁に囲まれ、長椅子が整然とならぶこの場所は、病院の待合室のようだ。自分のほかに人影はない。  ここはどこ? さっきまで駅のホームにいたはずなのに。これは夢? 「浅野春菜(あさのはるな)様、ハの2のお部屋までお越しください」  唐突に頭上から聞こえてきたアナウンスに、思わずびくりと肩を浮かせる。  浅野春菜は私の名前だ。おかしいな。どういうことだろう?  ここがどこなのか見当もつかないけれど、指定された部屋まで行けば、何か手がかりがつかめるだろう。  私は恐る恐る廊下を歩きながら、ハの2の部屋を探し歩いた。  全面白く塗られた殺風景な廊下を突っ切って、突き当たりにある部屋がハの2だった。  ごくりと息をのんで、ドアノブをひねる。 「失礼します」  部屋の中にはテーブルと椅子が並べられ、奥の壁にはホワイトボードが設置されている。学校の教室のような部屋だ。  窓側最後尾の椅子には先客らしき女性が座っている。そしてホワイトボードの前にもスーツ姿の女性が一人。 「浅野さま、ようこそいらっしゃいました。お好きな席におかけください」 「はぁ。えっと、ここは一体……?」 「今からご説明いたします」  スーツの女性がかすかに目を細めて笑みを浮かべた。  嫌味のない穏やかな物腰に、いくらか緊張がほぐれ、促されるがまま中央の席につく。 「何だかよく分かんないんだけど、手短にお願いするわ。ウチ、バイトの途中だったんだよ」  先ほどまで頬杖をついたままムスっとしていた窓際の女性が口を開く。  うわぁ、金髪ロングでツリ目の高身長。近寄りがたいオーラがすごい。 「それでは、説明を始めさせていただきます」  金髪さんの不機嫌そうなまなざしを笑顔で受け止め、スーツのお姉さんは軽く頭を下げた。  そうして、私と金髪さんに大きな封筒を手渡した。  封筒の中身を確認すれば、いくつかの書類と「転移届」というものが入っている。 「え? これは……」  疑問を口に出すより先に、スーツの女性が口を開いた。 「浅野春菜さま、夜倉渚(やぐらなぎさ)さま、あなた方お二人には、これから別世界へお引越ししていただくことになりました」  ぽかんとして、夜倉さんと呼ばれた金髪女性と顔を見合わせる。  出てきた言葉の突拍子のなさに、理解がおいつかない。 「いきなり何言ってんだ! ウチは引越しなんかしない! 資金もないし」 「わ、私だって困ります! それに、別世界? 何かのドッキリですか?」  席を立って抗議すれば、スーツの女性は笑顔を崩さず、席に着くよう手で抑える仕草を見せた。 「こちら、多次元管理センターでございます。それぞれが生きる世界の「順応度」「適正」を調べ、極端に順応度の低い方に転移をすすめる役所なのですが…… お二人は、日々の生活で現実感のなさや虚無感、孤独感を強く感じながら生活されていませんでしたか?」 「それは、そうでしたけど……」  横目で夜倉さんのほうを見れば、彼女もまた重々しく頷いていた。  世界への順応性か。たしかに、あるかないかと問われたらないと即答できる。  漫画意外に何一つ興味を惹かれるものがなかったんだもの。 「お二人の共通点はこちらの作品です」  と、スーツの女性は一冊の本を取り出した。  「覇王のカイダン」――。  私の大好きな漫画だ。 「ハオダンを知ってるの!!?」  思わず声に出して身を乗り出せば、夜倉さんとハモった。彼女も同じくこの作品が好きなのかな。 「通常、一つの作品に度を越した執着を見せる人間は一人見つかるかどうかなのですが、覇王のカイダンへの順応度が突出している地球人は二人も見つかりました。 これは珍しいことです」 「えっと、それって……私と夜倉さんがハオダン愛のツートップってことですか?」 「そういう事になります。特に愛着のあるキャラクターがいらっしゃるでしょう。その気持ちの強さがそのまま順応度として現れているわけです」  愛着のあるキャラクターは確かにいる。ポケットに入っている推しのキーホルダーを強く握り締める。 「ってことは私たち、ハオダンの世界に住めるってことですか?」 「そりゃ、夢でも嬉しいわ。何も異論はないからちゃっちゃとやってよ」  夢の世界の出来事だと、夜倉さんは割り切ろうとしているみたいだ。  そうよね、さすがにこんなぶっとんだ展開は夢でしかありえない。だったら私も乗ってしまおう。  二人していつでもどうぞと胸を張ると、落ち着けと言わんばかりにスーツの女性は咳払いをした。 「お引越しには書類に記入してもらわなければなりません」    と、封筒の中身を確認するよう促された。  取り出した書類にはご丁寧に赤字で注意事項が明記されている。  【注意事項】  ・引越し後は二度と元の世界へ戻ることはできません  ・転移後の苦情は受付けておりません  ・元の世界での存在は最初からなかったものとされ、周囲の人間の記憶からも抹消されます  ・新たな世界では戸籍の取得が可能ですが、家族はもてず天涯孤独の身としてスタートいたします  (結婚はできますので、パートナーを探すことをおすすめいたします)  ・新生活応援キャンペーン中につき、二つの特典をご用意しております  特典1:容姿とステータスの希望を設定することが可能です  特典2:新しい環境で快適な生活を送れるよう2年間つきっきりでサポートいたします  以上。  ――面白そうじゃない。  夢でもそうでなくとも、こんな条件飲まないわけないでしょう。  書類に目を通し、転移届けに名前を記入する。  容姿とステータス希望欄には、みっちりと要望を書き込んでおいた。どうなるか楽しみだ。  すべての手続きを終え審査に通った私達は、別室へと呼ばれ、いよいよ転移の段となった。  ごちゃごちゃと管がうねる中央に、三つのカプセル状の転移ポットが設置されている。  さっそく中に入ってみると、ふわりとしてあたたかく、眠気を誘う形状だ。  隣のポットに恐る恐る腰をおちつけた夜倉さんに、ひとつ聞きたかったことを質問する。 「私、向こうに行ったら好きなキャラクターのサポートをしたいって思ってるの。夜倉さんはどう?」  元の世界でぶっちぎりの愛情を持つ二人に選出された私たち。  熱烈な気持ちを生む原動力は、やっぱり推しへの愛でしょう。  私は、夜倉さんの推しが誰なのか気になっていた。万が一同じキャラクターだったら修羅場だ。 「ウチも、好きな人のサポートするつもり。近づけるかどうか分かんないけどさ」 「そうなんだ。ちなみにそれって誰? 私が好きなのはアレクセスだけど……」 「うわ、趣味悪。ウチそいつ一番嫌い」 「え!? そ、そう!? いいところもいっぱいあるよ!」  き、嫌われてた……! 人気キャラなのに!  でも少しだけ安心。想い人がカブってないなら、安心して二人で新天地へ飛べる。 「ウチが好きなのは月ヶ瀬(つきがせ)さん。アンタとは敵対することになりそうだね」 「う……そ、そっか。二人はライバルだもんね」  私の想い人「アレクセス・レッツァー」と彼女の想い人「月ヶ瀬零(つきがせれい)」は作中でも華やかな見せ場を持つ魔術師だ。  二人は実力が拮抗したライバル関係にあり、戦いを繰り広げるたびに雑誌の売り上げが増すほど、女性に人気の組み合わせだった。  グッズ展開も二人をセットにしたものが多かったっけ。  私は月ヶ瀬さんの良さも分かるから喜んで収集していたけれど、夜倉さんにとっては苦痛だったかもしれない。 「ま、アンタはアンタで頑張って。お互い好きな人の傍にいたら、きっとまた再会するはずだ」 「そうだね。また会おうね。夜倉さんの恋が実りますように」 「う……ウチは別にそんな贅沢なこと望んでない! もう、とっとと転送して!」  顔を真っ赤にした夜倉さんは、スーツの女性に捲くし立ててポットの中で横になる。  私は行くからには推しにアタックしてみるつもりでいた。言われてみれば贅沢すぎる話かも。  なんだか照れくさくなって、彼女に続いて眠りの姿勢についた。  準備万端と見たスーツのお姉さんは、ポットに透明な蓋をかぶせて、傍にある機械を慣れた手つきでいじる。  目の前にふっと青い画面が現れた。そこに映し出されるのは数字。  5、4、3、2……とカウントダウンがはじまる。 「いってらっしゃいませ。お二人の新生活に幸あらんことを」  そんな見送りの言葉と共に、私の意識はプツンと途切れた。
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