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3話 入学(渚)
思えば父親と母親が離婚して以来、うちの中はどんよりと淀んでいた。
夫婦喧嘩が絶えず、母は浮気を繰り返し、限界を迎えた父が家を出た。
母と二人きりの生活は地獄だった。ろくに食べ物も与えられず、家にはほとんど帰らない母。
中学までは給食でなんとかしのいでいたけれど、高校に入学して給食がなくなってからは、食費だけでも自分で稼がなければならなくなった。
学校はそっちのけで昼夜とバイトに明け暮れていたら、出席日数が足りずに留年した。
きっとあのまま元の世界に居座っていたとしても、高校を卒業することはできなかっただろう。
いろんなことを諦めて、死んだように生きていた。
「不思議だ。こっちの世界は町並みが鮮やかに見える」
「うん。なぎさちゃんは元の世界で順応度が地を這う状態だったからね。景色が色あせて見えたでしょ?」
と、肩の上に乗ってモフモフと動き回るのは、サポートキャラのリンリンだ。見た目はパンダのぬいぐるみ。かわいい。
「たしかに。世界から自分だけ浮いてるみたいな感覚だった」
「今は顔色もいいし、順応度もMAXに近いよ。この世界でいっしょにがんばろうね!」
「うん、よろしくリンリン」
ぐりぐりと頭を撫でると、リンリンは目を細めて満足げだ。
視界がクリアになったのは何よりなんだけど、身長が20センチ近く縮んだおかげで目線はずいぶんと低くなった。
転移届けには「身長低くかわいい系」と書いておいたら、こんなにちまっとした小動物系に生まれ変わった。
父がイギリス生まれだから、地毛は金髪だ。できれば黒髪に染め替えてほしかったけれど、髪色と目の色だけはいじることができないとのことだった。
さて、そんなウチが転移した先は、翠国。
推しキャラの月ヶ瀬零さんは、翠の覇道部メンバーなのだ。
この国の町並みや文化は、明治期の日本をモデルに描かれている。
瓦屋根の家々が軒をつらねる中、時折目に入るのは煉瓦塀の建物。
西洋の文化は翠の人間にとってまだまだ物珍しいものであり、それらを取り入れた服装や髪型には「モダン」が集約されている。
賑やかな往来を歩きながら、その先にある九重学園(ここのえがくえん)の門を見やる。
歴史ある学問所だそうで、お城のように立派な作りだ。大きな堀で囲まれた校舎は、石垣の上にどっしりと建っている。
「ウチ、学園の生徒として受け入れてもらえるの?」
「うん。入学の手続きは管理センターが済ませてあるから心配はいらないよ」
「そっか。あ、学費とかは? ウチ一文無しだけど」
「学費はセンターが出してくれてるよ。翠国銀行に口座を作ってあってね、月ごとにお小遣いも入るから好きに使ってね」
と、渡されたのは通帳と印鑑。
「ありがたすぎる……!! どうしてそこまでしてくれんの?」
「ある程度の生活基盤を整えてから引っ越してもらわなきゃ、普通路頭に迷うでしょ? 二年間は金銭的なサポートをさせてもらうプランだよ」
「へぇぇ。手厚いねぇ。そこまでしてもらえるなら頑張らなきゃな」
元の世界ではろくに学校に通えなかったけれど、こっちでは皆勤賞を目指してみよう。
ここまでしてもらって生まれ変われなかったら、ウチはどこに行ってもダメだ。
入学式というイベントは、昔から苦手だった。長ったらしい大人の話には面白みの欠片もなく、定型文がたれながされて終わる。
けれどさすがに、九重学園の入学式には興奮した。何もかもが真新しいものに写った。
最も心が震えたのは、生徒代表の言葉。学園主席の模範生として、舞台に上がったのは月ヶ瀬さんだった。
さらりとした黒髪のアンダーテールに、穏やかな瞳。鼻筋が通った雅な顔立ち。制服ではなく厚手のローブを身に纏っている姿が絵になる。
ばくばくと早鐘をうつ心臓を押さえながら、彼を直視することができずに、うつむいて言葉に耳を傾けた。
「これからは、異国の文化を受け入れながら国際的な交流の輪を広げていくことが富国強兵への近道となります。皆さんもどうか、視野を広く持ってください」
翠国は長らく鎖国状態だったらしく、港をひらいて異国を受け入れるようになったのはほんの20年ほど前だ。
それも、商業と政(まつりごと)と学問に関わる人間の出入国を認めるのみで、観光での入国はいまだ制限されている。
「……視野を広く、かぁ」
入学式が終わり、女子寮への道を歩きながら、足元の石を蹴る。
他国の情報は、漫画に出てきた分なら頭に入っている。
どの国も実在の国家をもとに作られていて、中華風の国や西部開拓時代のアメリカをモデルにした国もあったっけ。
主人公のハヤトは移民の国ストワールに留学しているから、ストーリーのメインはもっぱらストワールで、基本的にそれ以外の国の事情についてはさらりと触れられているだけだった。
「翠国も作中では謎多き島国って扱いで、たいした説明もなかったから、こうして歩いてるだけで新鮮だよ」
「そっかぁ。それじゃ初めて見るものばかりでしょ? 新生活楽しんでね」
スカートのポケットに潜んでいたリンリンがちょこんと顔を出してほがらかにエールをくれる。
入学式ではずっと気を張り詰めていたから、ほっとするな。
寮の部屋は六畳一間のこぢんまりとしたものだった。
けれど立派な温泉がついていることと、食堂のメニューが多いことは救いだ。朝から和食が食べられるのは嬉しい。
ちなみに一人部屋だ。ルームシェアは苦手だから正直助かる。
「さーて、荷物の整理も終わったし、ちょっと外に出てみようかな」
「学内を見学して回る?」
「うん。ウチ覇道部のマネージャー志望だからさ、希望届けを早めに出したいなぁと思って」
翠国の覇道部は、どの部活よりも突出して人気がある。
もともと学園に入学するようなエリートは剣術や武術などの心得がある人がほとんどだ。
覇王祭の盛り上がりは世界的なものだから、大会で結果を残せば各国から引く手数多。
優勝すれば自由に海を渡りダンジョンを探索できるS級ライセンスが発行されるし、術師は高度な研究ができるよう多くの支援をもらえる。
そして何より、華がありモテるのだ。元の世界でサッカー部男子がやたらモテていたのと同じような現象かな。
部室がどこにあるのか分からず、校内地図が貼ってある掲示板の前で唸っていると、背後から声をかけられた。
「君は新入生か? 迷ったのであれば案内しよう」
振り返った先に立っていたのは、覇道部部長の西園寺司(さいおんじつかさ)さんだった。
「こ、こんにちは! 新入生です! 覇道部の部室を探していまして……」
「ああ、見学か?」
「はい、マネージャー志望なんです。届けを提出したくて」
「そうか、自分は覇道部部長の西園寺だ。これから部室に向かう。ついてきなさい」
「ありがとうございます!!」
西園寺さんは背が高い。たしか設定では196センチだったかな。ウチの身長が150センチくらいだから、下から大きく見上げる形になる。
西園寺家の男子は、陸軍大将の親父さんが厳しい教育をほどこし、人々の上に立つ人間に育つよう徹底的に仕込まれる。
漫画では、幼少期からほとんど遊ぶ時間もなく、剣術の稽古と勉学に励んでいる回想が描かれていたっけ。
そんな窮屈な生活を送ってきた彼の唯一の親友は、月ヶ瀬さん。家ぐるみの付き合いで兄弟同然の仲だ。
「マネージャー志望の女子は多いが、長続きしない者が大半だ。君はどのような目的でマネージャーを目指す?」
「それはもちろん、覇王祭で九重学園に優勝してもらうことが目標です」
「ほう」
「覇王祭での優勝が国家にとっても大きな益になることは間違いありませんから」
「国家の益、か。そうだな。我々は国を背負って舞台に立つ。その気持ちを忘れずにいてもらいたいものだ」
「もちろんです!!」
よかった、納得してもらえた。
推しに尽くしたいから、なんて言えるわけないもんなぁ。
私はこの翠という国が好きだ。
漫画から読み取れる情報は少なかったけれど、自分なりに明治期の日本について調べながら、翠国に流れる空気を感じとろうとしていた。
覇道部メンバーの精神性の高さは、どこの国にも勝ると信じている。皆がまっすぐ、信念をもって生きているからだ。
彼らの生き様を支えることが出来るなら、私は何だってやる気構えだ。
部室は校舎からずいぶんと離れた場所にあった。校門を抜け、雑木林を歩き、それを抜けた場所にどっしりと建っていた。
造りは純和風。白壁が続き、大きな門があり、屋根は瓦。武家屋敷のような外観だ。
見れば入部希望の新入生たちが長々と行列を作っている。男子に混ざって女子も多い。これが全員マネージャー志望かぁ。
「ここまで案内すればあとは分かるだろう。行列に並んで待つだけだ」
「はいっ! ありがとうございました!!」
頭を下げると、西園寺さんは頑張れとでも言うようにポンと肩を叩いてくれた。
行列に並んでいる生徒達が目を丸くしてこちらを見る。嫌だなぁ、目立つのは好きじゃねーんだけど。
そそくさと最後尾に移動し、暇つぶしに持ってきた魔術教本をひらく。
周囲からヒソヒソとこちらの噂話が聞こえるけれど、気にしない。
幸い、文字は読める。教本の字はさらさらとした行書体だけれど、不思議と頭に入ってくるのだ。これも管理センターのサポートのおかげなのかな。
転移後のステータス設定も自由にできるとの事で、100ポイントを5項目に振り分ける形式で記入が必要だった。
ウチは100ポイントを魔術に全振りして、あとの項目は0という突出型に設定した。
物理攻撃力や防御力や俊敏性などいろいろなものを犠牲にしたけれど、後悔はしていない。
なにせウチは魔術科に入るんだから。暇さえあれば教本を読んで勉強する! 今日から模範生に生まれ変わってやる!!
マネージャーを務めるからには、まず必要なのが治癒術だ。
治癒術はたしか、各国それぞれ違った詠唱で個性が出ていたっけ。外傷の治癒に大きな効き目をもたらすものから、病状を緩和するようなものまで、様々だった。
こちとら伊達に毎晩単行本やファンブックを読み返してはいない。どこの国のどの呪文も詠唱がカットされているもの以外はすべて頭に入っている。
「なぎさちゃんは混血だから、二種の精霊を体に宿してるよ」
髪の毛の内側に隠れてついてきていたリンリンが、耳もとでささやく。
「マジ? 特殊なアイテムを使わない限りは一人一体しか宿せないんじゃないの?」
「ううん。目の色ですべて決まるんだよ。なぎさちゃんはオッドアイになってるでしょ。だから右半身に月、左半身に雷の精霊が宿ってる」
「へぇぇ……ハーフに生まれていいことなんか一つもなかったけど、ここに来てお得な設定をもらえたなぁ」
ラッキーだ。治癒と攻撃魔法、どちらも練習していこう。
教本を読みふけっている間に行列はどんどん進み、ついに受付係が座る長机の前まで来た。
受付をするのは2年の沢田さんと山城さんだ。限りなくモブに近い扱いだったけれど、漫画にも何度か出てきたなぁ。
「入部届けは一人一枚。再度の発行はできません。なくさずに記入して明日の午後六時までに提出してください」
「はい、分かりました!!」
封書に入った入部届けを確認し、そっとスクールバッグにしまう。
失くしでもしたら取り返しがつかない。寮に帰ってすぐさま記入しよう!
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