5話 入部(渚)

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5話 入部(渚)

 九重学園の図書館は校舎とは別棟になっており、煉瓦塀のモダンな二階建てだ。  国の重要文書や古文書なども保管してあり、蔵書の数は国内一と言われている。  生徒はもちろん研究者の出入りも多く、なんと24時間開いている。すごいなぁ。  さて、そんな広大な図書館の中で知りたいことをピンポイントで教えてくれる本を探すのは至難のワザだ。  ウチはかれこれ3時間ほど図書館の中を歩き回っていた。ガラス窓ごしに見る空は茜色に染まっている。 「見つからないなぁ……」  魔術系統の蔵書数は100万とも言われ、迷ってしまいそうなほどに館内は広い。  治癒、修復術のコーナーだけでも本棚10列分以上ある。  膨大な本の中から数冊を選び出し、机に向かう頃には、すっかり陽も落ちてしまっていた。  空腹でお腹が情けない音を立てる。けれど気にしてはいられない。調べものが終わるまではここを動かないと決めたんだ。 「さてと、やるぞ!!」  とりあえず治癒という文字が入った本を6冊選んできたけれど、この中にアタリはあるかな。  細かい字でびっしりと精霊とのコンタクト方から魔力のため方まで丁寧に解説されている。  どの本にも載っている月術の基本となる治癒法は「月佳塞傷(げっかさいしょう)」と呼ばれるものだ。  「招ぎ奉る此の柏手に恐(かしこ)くも来たりましませ月佳の大神(おおかみ)  此の神床に仕え奉る人々に寄り来たり給いて速く(とく)病を癒し(たまし)給えと恐み恐みも白す」  そうして印を結んだあと 「心苦しく悩むの禍災(わざわい)を癒し給えや月佳の大神」  患部に掌を近づけ、さらに息を吹きかける。その後 「恐くも此の柏手に大神の本つ御魂へ帰りましませ」  と唱え、柏手を打ち、これを神送りとして終了。  術師の腕次第で、詠唱をスキップして短文化することも可能とのこと。ここで紹介されているものも、細部を省いたものらしい。  月ヶ瀬さんはどの術もほぼ無詠唱で放つことができるそうだけど、今日は一言唱えていたっけ。えーと、たしか掌を患部に向けて……。 「月佳の加護を」  破けたプリントに向かってそう唱えてみたけれど、何事も起こらない。やっぱりウチの力じゃここまで短文化することは許されないか……。  術式というのはだいたい、神様を呼び出し、どんな加護がほしいのかお願いし、そして神を元の場所に送り出すまでがワンセットだ。  信心深さを鍛えていけば、簡略しても不敬とはならず神様も快く応じてくれるそうだ。よし、ウチも信仰心を高めていくぞ!!  その後、月佳塞傷をプリントに向けて唱えてみたけれど、ピクリとも反応しなかった。  2度、3度と試してみてもやはりダメ。人体に向けた回復術は効かないようだ。  6冊の本を手当たり次第に読み漁り、それらしい術を唱えてみたけれど、ことごとく無反応だった。 「ね、ねむい……」  立て続けに魔力を消耗すると体が弱り、睡眠を欲してスリープモードに入ってしまうらしい。  まずい。目をあけていられなくなってきた。ウチの魔力はなんて貧弱なんだ……。  ふっと意識が覚醒した。どうやら眠ってしまっていたらしい。  壁にかかっている時計を見ると、なんと5時!!  もう朝!? と慌てて立ち上がると、司書さんが声をかけてくれた。 「やっと起きたわねぇ。何度起こしてもピクリともしなかったから、そろそろ病院へ運ぶべきか考えてたのよ」 「す、すみません! まさか朝まで寝ちゃうとは……」 「朝? 何寝ぼけてるの。今は夕方の5時よ」 「ええええええええええっっ!!?」  もう一度時計を見て、ウチは顎が外れんばかりの勢いで叫び、その場に崩れ落ちた。  どうしよう。期限まであと1時間しかない……!! 「夜の9時くらいだったかしら、月ヶ瀬くんが来てね、あなたが起きたらこれを渡してって」  と、司書さんが差し出したのは一冊の魔術教本。  表紙には「月術全書三」と書いてある。広辞苑のような分厚い本だ。 「ありがとうございます」  受け取ってぱらぱらとめくってみると、中間あたりにしおりが挟まっているページがある。  そこを開いてみると、月ヶ瀬神社の紋が入った綺麗なしおりがはさまっている。すごく高貴なお香の匂いだ。  見開きで「修復・再生の術」についての解説が載っているページだ。  すごい! 分かりやすい! わざわざ教えにきてくださったんだ、月ヶ瀬さん……!! 「司書さん、この本借りたいです!」 「はいはい。あなた一年生? 貸付表を作りましょうね」 「はい!」  急いで貸し出しの手続きを済ませて、寮まで走る。  誰にも邪魔されないように自室で作業しよう!!  自室に戻って時計を確認すると、5時20分。あと40分しかない。急がないと!  しおりのページを開いて、目の前に破れた入部届けを置き、いざ詠唱する。 「掛け巻くも畏き(かしこき)月ヶ瀬の神殿に坐す神魂(かみむすび)……」  長い呪文だった。十数行にわたるものを丁寧に読み上げ、印を結び、ありったけの念をこめて神送りまでをやりきった。  すると、目の前に積み上げていた入部届けの破れたピースが光をまとい、空中に浮かび、次々と組みあがっていく。  それはやがて一枚の紙へと戻り、ふわりと地に落ちた。  ウチはそれを拾い上げ、感激のあまりわんわん声を上げて泣いた。  ありがとう、月ヶ瀬さん。何もかもあなたのおかげです……!!  長々と泣いている時間はないので、ぐすりと鼻をひとすすりして、入部届けに1年夜倉渚と署名する。  盛り上がった気持ちのまま、空欄に「命をかけて尽くします。九重の優勝を目指し精進してまいりますのでよろしくお願いします」と意気込みを綴っておいた。  時刻は5時45分。急ごう。残り時間もあとわずかだ。  寮を出て、雑木林を突っ切って、覇道部の部室の前までやってきた。残り時間は約3分。 時間ギリギリに提出しに来る生徒も少なくないようで、あたりは大勢の入部希望者であふれていた。  よく見渡せば、昨日因縁をつけてきた三人組がニヤニヤとこちらを見ている。  やつらを一睨みし、ウチはシワもなく美しく甦った入部届けを部員さんに提出した。 「おっ、意気込みまで書いてくれてる! ありがとう、夜倉さん。たしかに受理しました!」 「明日からよろしくね!」  受付の二人が、にっこりと笑顔を見せてくれた瞬間、思わずぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。 「よろしくお願いします!! なんでもします! どこまでもついていきます!!」  ぬぐってもぬぐっても涙があふれてくる。間に合って本当によかった。  どうしたの? と受付の沢田さんがハンカチを渡してくれた。受け取って涙をふく。 「ずっと九重学園の覇道部に憧れてました。受理していただけて嬉しいです。頑張ります!!」  これ以上情けない姿をさらすのは恥ずかしい。ハンカチを返却し、ビシっと頭を下げて、ウチは帰路につく。  受付けの二人が、明日からさっそく来てと優しく微笑んでくれた。  ようし、頑張るぞ!! めそめそしてる場合じゃない!!  寮への道を引き返していると、背後からこちらに駆け寄ってくる足音が複数。  振り返ってみれば、立っていたのは案の定昨日の性悪三人組だった。 「ちょっとアンタ! あの入部届けどうしたのよ!? 再発行はないはずよ!!」 「誰かに媚売って譲ってもらったんじゃない!? 汚らわしい女!!」  すごい剣幕で怒鳴っている。めんどくさいなぁ。 「魔術で修復したんだよ。おかげで勉強になった! ありがとよ!」  ぐっと中指を立てて見せると、三人組は呆気にとられたように情けない顔を晒してくれた。気分いいや。  これ以上ゲス女達とやりあっても仕方ない。さっさと寮に帰って教本でも読もう。  今日は雑木林を通り抜ける生徒達の人数が多いからか、三人組はこれ以上ちょっかいをかけてくることもなかった。  ただ、あの連中もマネージャーとして採用されているとしたら明日からも揉め事が続くかもしれない。頭の痛い問題だ。  その時は、先輩マネージャーにでも相談してみよう。  ふと前方を見やれば、雑木林を抜けたところに人だかりが出来ている。  何事かと背伸びをしてみるものの、輪の中心に何があるのかは見えない。  女子たちの黄色い声が絶えず響いているところをみると、覇道部の中心メンバーでもいるのだろう。  せっかくだからウチも一目見たいなぁ。    背伸びして右往左往していると、人の輪が割れて道ができた。  人だかりの中から出てきたのは、1年の刃山迅(はやまじん)だった。  突出した実力の持ち主で、1年ながら覇道部の中心メンバーに選出されるほどの天才だ。  翠国出身である主人公の幼馴染兼ライバルキャラとして、漫画の読者からも特に人気があった。たしかほとんどの人気投票で1位だったっけ。  彼はウチの横を通り過ぎようとして、ぴたりと立ち止まった。 「お前、すごい髪色だな。入学式でも目立ってた。名前は?」 「夜倉渚。あなたも1年?」 「そうだ。ふうん。目の色が左右で違う。混血なんだな」 「うん。ウチ今日から覇道部のマネージャー。あなたも名前教えてよ」 「刃山迅。よろしく、マネージャー」  軽く手を上げてそっと振ってみせると、刃山くんは部室のほうへと歩いていく。  黄色い声を撒き散らしながら、取り巻きの女子たちが後を追う。  何人かに思いきり睨みつけられ、ぐりぐりと足を踏まれた。  少し話をしただけでこんなにも悪意が降り注ぐのか。マネージャーも楽じゃないな……。  そういえば、昨日も西園寺さんと一緒に歩いていただけで因縁をつけられたんだっけ。  やっぱり覇道部のメンバーはアイドル並に人気なんだな。特に翠国は部活に力を入れているから。  マネージャーになれたからには月ヶ瀬さんを支えられるように頑張っていかなきゃな。  そうだ、月ヶ瀬さんといえば、しおりを借りたままになってたっけ。明日の部活の時間にでも返そう。  くそう。昨日眠らずにいられたら図書館で月ヶ瀬さんと話ができたのになぁ。  会う機会なんて滅多にないはずだから、悔やんでも悔やみきれない。  よし、明日から本気でマネージャーの仕事を頑張るぞ!!
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