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 桃田が消え入りそうな声でつぶやいた。 「担任は」 「た、武井先生です」 「今のことは、武井先生に報告しておく。いけ」  神楽先生が階下を指差した。桃田たちはお互いに顔を見合わせたあと、ぞろぞろとその場を去っていく。  私は高鳴る胸を押さえ、じっと神楽先生を見つめていた。  桃田たちの足音が完全に消えたころ、神楽先生が私を振り返った。はたりとぶつかった視線に僅かばかり驚いた顔をしながら、神楽先生は口をひらく。 「二年の古谷ひなだな」 「……先生、どうして私のこと知ってるんですか」  神楽先生は一年生に受け持ちクラスを持つ。理科を教えているのは一年生ばかりで、学年の違う私とは接点がほぼゼロのはずだった。 「頻繁に職員室を出入りしているだろう。武井先生に呼ばれて」  そう言うと、神楽先生は露骨にため息をついた。 「武井先生のきみ贔屓は、一部では有名だ。ことあるごとに呼び出し、些細な用事を言いつける。押しつけた用事できみの帰宅が遅くなれば、強引に車で送るという」  そうだ。私は何度かクラス委員の仕事で帰宅が遅くなり、そのたびに武井先生に車で送ってもらったことがある。  まさか、それを神楽先生が知っていたなんて。  私のことを、知っていてくれたなんて。 「もしや、きみと武井先生は、そういう仲なのか」  僅かな間ののちに発せられた言葉に、私はきょとんとした。そんな私の表情で事情を察したらしい神楽先生は「武井先生が一方的に好意を寄せているのか」と渋い顔でつぶやいた。 「一度、教頭先生に話しをしておく」 「なにを、ですか」 「武井先生のきみ贔屓についてだ。教師として問題だろう」  それは、願ってもないことだ。武井先生からの用事も減り、桃田たちからもいびられなくなる。けれど、武井先生の贔屓がなくなると困ることもある。クラス委員で贔屓される私には、たしかに二次利得というものが存在していた。 「先生。そうなったら、私は職員室に行く機会が減ってしまいます」 「どういう意味だ」  よく意味が理解できない、という顔をする神楽先生をじっと見つめる。辺りには人がいない。静かな校舎四階で、ふたりきり。おあつらえ向きな場面だろう。  意を決した。 「助けてくださって、ありがとうございます。とても嬉しいです」 「教師として当然だ」 「先生、私、血が大好きなんです」 「は?」 「白い肌から流れる真紅の血は、とても美しいと思いませんか? 昔、若い女性の血を浴びて若さを保とうとした夫人がいるそうですけど、その気持ち、私にはとてもよくわかります。血には禍々しくも人を魅了する魔力があるんです」  にっこり微笑んだ。  反対に神楽先生の表情からは、感情が抜け落ちていく。 「うち片親なんですけど母は夜の仕事で、私、夜中にひとりで放浪するのが趣味なんです。静寂のなか、月光を浴びながら歩く夜の街は、とても素敵」 「……見たのか」 「はい。現場はうちからとても近いので、徒歩で充分辿りつけました」
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