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 部屋の中は薄暗く、それも窓の外の明かりによるものだった。背後にドアの閉まる音が聞こえたと思った瞬間、桐島は背後から体当たりされたかのように抱きしめられた。思い余って、二、三歩前に進んだ勢いを借りて、黒沢はそのまま桐島をベッドへと放り出した。背から沈んだ桐島の上に乗り上げて、黒沢は両手を押し付けた。静かに沈んでいく身体を、桐島はそっと目を閉じて感じていた。 「……目を開けて」  掠れた声が降ってくる。間近に迫っている黒沢の無表情に、桐島は無性に帰りたい感情にかられた。  間違いない。フジカワ。それは偽名だ。黒沢隆宏だと気付いたのは、すぐだった。目印もなく、ゲームのように桐島を呼び出した客が気になって、見えにくい場所でだいぶ前から待機していた。他にも数名の男性はいたがあまり気にならず、しばらく様子を見る。約束の時間まで僅か、という時にその男はやってきた。このホテルによく来ているようで、迷いもせず椅子に座るとくつろいでいた。なんだろう。この既視感は。そして。後ろ姿が気になって横顔をのぞいた瞬間に、彼だとわかってしまったのだ。  こんな姿は見せたくなかった。黒沢は自分だと知って指名してきたのだ。偶然などあり得ない。頭のいい男だ。必ず何か思惑があってのことだ。けれど……。さまざまな想いが錯綜して、桐島は混乱していた。これ以上、この腕の中にいたら、自分は気が狂ってしまうかもしれない。 「……帰りたい?」  感情を見透かされているのか、試されているのか。桐島は黙ったまま、小さく首を振った。 「シャワーを……浴びていいですか?」  そう言った桐島に、黒沢は唇の片端だけを上げて、微かに笑った。 「その必要はない」 「…………っ」  唇が、食い込むように重ねられた。桐島は逃げ場がなく、押し付けられたまま、わずかに首を振った。それを許さず、黒沢が両手で頬を押さえ付ける。開いた手で、それでもこれが成り立った契約だと思い直し、桐島は観念したように、黒沢の背に指を這わせた。だがその瞬間、黒沢はそれが気に入らなかったのか、ますます両手に力を入れた。髪に差し入れられ、強く掴まれて、桐島は痛みに声を上げた。 「……痛い……っ」 「痛い? ……そう」 「……っあ!」  顎を強く押し上げられて、喉に唇が凶器のように振ってくる。薄い皮膚が食い破られるか、と思うほどに強く吸い上げられ、桐島はそこに血の花が咲くような錯覚に陥った。 「やめ……てくださ……。アザを……付けるのは……」 「次の客のためか?」 「……や……っ!」  きつく同じ場所を吸われ、桐島はうっすらと目尻に涙を浮かばせた。あまりにも、痛みがひどい。これでは何週間も、アザは消えない。だが、断れない。断ったとしても黒沢のことだ、押し切ってしまうのは目に見えてわかる。あの時のように。目を閉じて胸元を押さえていると、黒沢の感情のない声が降ってきた。 「ベッドから、下りて」 「…………?」  桐島は、両手でシーツの上を滑りながら、ベッドを下りた。黒沢はベッドの端に座ったままで、桐島を前に立たせた。 「膝をついて」 「……はい……」  黒沢の手がベルトを外して、膝を開いて桐島を引き寄せた。引き出された黒沢の中心を、桐島は両手で支えようとした。 「手は、使うな」  見上げた黒沢は、相変わらずの表情で桐島に静かに命令した。口を開き、その大きさに沿って、舌を這わせていく。男性自身に奉仕することに桐島は慣れていた。だが、今度ばかりは冷静に仕事と割り切れなかった。 「ん……っ……ん」  舌が、震える。まるで犬のように両手を絨毯について、上半身を使って黒沢に奉仕した。顔を人から隠すようになって伸ばした長めの前髪が役に立った。見下ろす黒沢の視線を感じなくて済む。そう思った瞬間だった。黒沢の大きな手が桐島の頬に掛かった。そのままぐっと髪を上に押し上げた。薄明かりさえも眩しい。桐島は目を細めた。黒沢の唇の端が微かに上がったような気がする。 「……続けて」 「ん……んっん……」  見られている。桐島は身体の芯から熱くなった。早く、何とか黒沢を極みへと押し上げてしまいたかった。 「きれいな唇だ……」 そう言った黒沢の声も、微かに掠れている。それだけで、桐島の胸は震えた。 「ん……っん!」  飲み込んでしまおう、と強く目を閉じた。が、すぐに引き抜かれ、慌てて目を開けた。 「舌を出して」  桐島は言われるままに顎を少し突き出して、舌を出した。滴ってくる黒沢の体液が唇を、喉を濡らしていく。背筋がぞくぞくと震える。こんなことは今までされなかったわけではない。だが、あの黒沢がしていると思っただけで、桐島の身体はまるで初めての時のように熱くなるのだった。喉の奥にたまった液体を飲み込むタイミングを間違えて、桐島は咳込んだ。涙が滲む。手の甲で押さえて、むせている間、黒沢は何も言わずに黙って待っていた。ようやく苦しさが静まった頃、黒沢は次の命令を口にした。向かいのベッドに腰を下ろし、足を組んで。 「ベッドに上がって」  桐島は空いているベッドに上がった。黒沢の方を見ずに。すると、予想していた通りの言葉が背に掛かる。 「こっちを向いて」 「……はい」  合い向かいになった桐島に、黒沢はにやりと笑った。初めて笑ったと、桐島はぼんやりと思った。だが、その唇から漏れる言葉は、桐島を苦しめるだけのものだった。 「足を開いて。よく見えるように。……自分でやるんだ」  嫌とは、当然言えない。桐島はベルトを外し、下着ごとスラックスを脱いだ。ただ、視線を合わせないようにするだけで、今は精一杯だった。 「…………っ」  膝を立てて、そろそろと足を開く。黒沢の視線を、痛いほどに感じる。 「俺を見ろ」 「…………」 「俺を見ながら、やるんだ」  そんなことまで。涙が出そうになるのをぐっと堪える。これは、罰なのか。何も言わず、黒沢の前から姿を消した桐島に、仕返しのつもりだろうか。だが、そんな考えもすぐに頭から消えた。買った相手に、普段しないようなことまでしたくなるのは今までの経験でよくわかっていた。恋人に、あるいは妻に、そんなことはできない、だがしてみたい欲望を桐島にぶつけてくる客はかなり多かった。人間には誰にでもサディスティックな要素はあるが、まったく関係のない人間になら遠慮なくそれを実行できる。そういうものだ。だが、黒沢には過分にその要素があるように思える。桐島にだけかもしれないが、学生時代、肌を重ねる度に、桐島はそのことを強く感じたものだった。 「ん……あ……っ」  両手で、何とか早く行為を終わらせたいために、弱い部分を攻めてみるものの、黒沢の視線と絡み合ったまま達することはとても難しいことに思える。まるで冷えた水を全身に浴びせられたかのように、桐島はいたたまれなかった。黒沢は冷めた目で、桐島の目を見つめている。怖い。そんなふうにさえ思え、桐島は苦しい息を吐いた。 「達けないか」 「……すみませ……」 「それはプロの言うことじゃないな」  黒沢が立ち上がる。桐島の横に腰を掛け、桐島は黒沢の胸半分に寄り掛かるような形になった。耳元に軽い呼吸が掛かる。桐島はカッと頬が熱くなるのを感じた。 「……っな……にを……」  背後から黒沢の両腕が伸びて、桐島の両手に重なった。指までも。桐島は怯えるように黒沢を僅かに振り返った。 「心配するな。痛い目に合わせるわけじゃない」  珍しく、優しい声音になった。桐島は身体をすくませて、シーツに視線を落とした。 「……ああっ……!」
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