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桐島が、本名でこの仕事をしているのは驚きだった。
桐島敦司とは、大学時代に知り合った。同じクラスだった。が、話をしたのは、入学して半年も先のことだ。自宅は横浜にあったが母親に干渉されるのが嫌で、元町のマンションに移り住んだ頃、たまたま山下公園でぼんやりとしている桐島を見つけた。平日のせいかいつものような人通りもなく、ただ遠くを、目の前の海を隔てた遠く向こうを見つめている瞳に魅かれた。そうでなくとも、黒沢は同じクラスの誰を覚えていなくても、桐島敦司のことだけはなぜかよく覚えていた。特に目立つわけでもなかった。ただ、容貌が男のわりに恐ろしく端正で美しく、だがそれを感じさせないように極力隠しているようだった。黒沢には、それが痛いほどにわかるのだった。無愛想を装えば装うほど、そのストイックな美しさが際立っていくのを、黒沢は遠くから見つめていた。彼のいる空間は違った。まるでそこだけ切り取って、ガラス玉の中に閉じ込めてしまったかのような異空間。不可思議な感覚が黒沢を虜にしていた。
「おい」
それまでさわやかな五月の風に無防備にさらしていた、柔らかな微笑みが一瞬にして凍りつく。黒沢は無遠慮に桐島の隣りに腰を下ろした。
「散歩か?」
「…………」
「捕って食ったりしないよ。桐島」
自分から人に声をかけるようなことは滅多にない。だが、この時は黒沢の方からいてもたってもいられなくなって声をかけたのだった。それほどに桐島の笑顔が美しかったからだ。桐島はじっと黒沢の横顔を見つめていたが、やがて身体の緊張をほぐして答えた。
「黒沢も、散歩?」
黒沢は驚いた。桐島が自分の名を口にしたことと、声が物静かで低めの、とても好みだったことだ。だが、いつものポーカーフェイスで振り返る。
「天気もいいしな。部屋にいると、身体が鈍る」
「そうなんだ」
桐島はぎこちないが、精一杯努力して微笑み返した。その時、黒沢はどうしてそんなことを言ったのか。考える前に、言葉が溢れ出した。衝動は、突然だった。
「桐島」
「何?」
「俺の部屋、来いよ」
「……え?」
桐島はよくわからない、というふうに首を傾げた。こんな間近に見る、桐島の切れ長の涼しげな目。さらさらとした髪。白いシャツが目に眩しい。黒沢は口の中が異常に渇いていた。部屋まで、我慢できないかもしれない。こんなことになるなんて。自分にもよくわからない。ただ、一瞬の微笑が、黒沢を強力に引き寄せた。
「来いって」
「……近いんだ、家」
「誰もいないよ」
「……身体が、鈍るんじゃ、ない?」
黒沢はいてもたってもいられなくなって、立ち上がり、桐島の細い手首を引いた。
「鈍らないように、運動するんだよ」
「……え?」
「ベッドの、上で」
「……黒沢、……俺」
「何」
不安げに俯く桐島を見れば見るほど、黒沢は昂ぶった。今すぐに、押さえつけて貪りたい。部屋に入るまで人当たりのいい態度を崩さないでいようと思ったが、間に合いそうもなかった。
「何、怯えてんだよ」
「……黒沢」
「OKだから、ついてきたんだろ?」
桐島は俯いたまま、返事をしない。黒沢は桐島の細い二の腕を力ずくで引っ張った。
「……っ」
「いくら声を出してもいいよ……そのための部屋だからな」
残酷な、舌なめずりでもしたい気分で、黒沢は耳元で囁いた。引かれるままに、桐島は部屋へと足を踏み入れていた。
「……やっ……あ、黒沢……っ!」
その後、黒沢は一言も口を聞かず、引きずるようにして連れ込み、寝室の鍵を後ろ手に締めベッドの上に放り出した。乗り上げようとする黒沢を押し退けて、桐島は窓にぶちあたった。引きずられて伸ばした指が掴んだカーテンが、派手な音をたてて外れて落ち、足を取られて桐島は腰をついた。足首を掴んで引き寄せ、上に重なると桐島の声にならない悲鳴が部屋中に響いた。
「……! こんな……っ! 黒沢!」
顎を強引に上向かせて、喉元を強く吸う。何度も何度も唇を這わせ、舌でなぞる。なんとかして逃れようと、桐島の指が黒沢の腕にかかる。
「や、だよ……痛い……!」
もがけばもがくほど、悲鳴をあげればあげるほど、黒沢は決して逃さないと思った。ますます黒沢の欲望は膨れ上がり、もっと抵抗すればいいと思う。それを屈伏させ、いたぶるように身体の下で喘がせてやる。たまらなくこの男が欲しい。自分のものにしたい。息苦しいほどの独占欲が身体を熱くした。男相手に、なんて、考える余裕もなかった。もう、止まらない。
「優しく抱かれるのが好みのようには見えないけどな」
「違……っ!」
乱暴な行為とは裏腹に、声は低く、静かだった。
「監禁してでも、手足を縛りつけてでも抱くぞ。抵抗なんかしても意味はない。黙って俺に抱かれろ」
「……黒沢……」
「その気で着いてきたくせに……嫌なら、とっくに逃げだしてる。今更、だろ?」
自分は何て勝手なことを言っているのだろう。傲慢にもほどがある。だが、桐島はその後、まったく抵抗をしなくなった。言われるままに声を上げ、足を広げ、ふと見つめるとその瞳からは涙が溢れていた。目を閉じてカーテンの波に埋もれて、押し上げられる痛みに眉根を寄せ、桐島は背をきしませながら黒沢を受け入れたのだった。
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