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プロローグ
都会の片隅にひっそりとダイは暮らしていた。
もうかれこれ十数年、出番を待ち続けている――いや、その言い方は正しくないだろう。出番があれば自分の役割を果たすし、なければじっとしているだけのことだ。
都会暮らしのいいところはその匿名性にある。とはいえそういったことが言えるようになったのも、ここ最近になってからのことだ。かつてはどこに住んでいようが今のような匿名性が得られることはなかった。だからダイは、ひとつところに十年以上暮らすことがなかった。人付き合いが苦手というわけではない。
問題は、ダイが歳をとらない、ということだ。
彼の見た目がそれなりに歳をとった人物のそれであったのならそのことはさほど問題ではなかったかもしれない。だが、実のところ、彼は見た目が二十歳そこそこの若者である。
近所付き合いも十年も経てば、当然、彼がいつまで経っても若々しい姿をしていることに人々は不審感を抱き始める。そうなる前に新しい街に行かないとならない。
数年おきにリセットされる生活――。
それがいったいどれくらい続いたろうか。だがふと気づいてみると今の住処に暮らし始めてから十数年が経っている。此処では誰からも不審に思われたりすることなどない。誰もダイのことなど気にしていないのだ。
実のところ、その物理的な外観とは裏腹に、ダイは人間ではない。
では彼は「何」であるのか。
それを一言で言い表す概念が人間の世界には存在しない。彼の果たすその時々の役割に応じて、天使だとか、あるいは悪魔、はたまた死神などと呼ばれることがあるのみだ。
別に彼の行為が気まぐれなものだというわけではない。彼を見る人間のほうが安易なヒューマニズムによってゆらいでいるだけである。彼は常に為すべきことを為しているだけにすぎず、時に善を為し、時には悪を為しているようにも見えるのは、まったくもって勝手な人間側の解釈にすぎない。
ダイ自身にとっては善も悪もない。
だが、人から向けられる感情が感謝の念であるのと憎悪のそれであるのとでは、やはり心が受け止める波動は異なってくる。感謝を受ければ身が軽くなったような感じがするし、憎悪を投げつけられれば胃の重くなる感覚がある。そんなとき、彼はこう口にする。
「オレも昔は人間だったのかもな」
それは実際そうであったのであるが、彼自身はもうそのことを覚えていない。その頃よりあまりにも長い年月が過ぎ去ってしまっているからだ。記憶の多くは完全に失われている。だが彼にとってはそれでいいのだ。もし長年にわたる記憶が失われずに残っているのであれば彼の精神はとうに破綻しているに違いない。
それでもふとしたきっかけで遠いかすかな記憶が彼の胸の内に呼び起こされることがある。
遥かな昔に果たすことのなかった約束、伝えることのなかった想い――。
もはや原型をも留めていないそれらが、聴きとることのできない旋律を彼の脳裏に奏でる。
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