1 鎌倉 1992年

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 *  祐作は独房に戻り、小川からの資料を見る。ちゃんとスペイン語のサイトの印刷だ。どの紙にも検印が押されてあり、サイドバーの広告の部分はきれいに切り取られている。  TCVが今では清潔ではなくなったこと。それは祐作にも初耳であり、ショックだった。自分がなき後、TCVが政権を取り、正しい政治をしてくれるものと信じていたからだ。政治家として優秀な人材がTCVにはたくさんいた。自分のような物を知らない人間ではなく、大学を出た人材だっていた。あの当時、コロンビアにはびこっていたどうしようもなく腐敗した政治を国民の手に取り戻すには、かなり強引な手腕が必要で、やむを得ず大物政治家たちの殺害という手段を取ったはずだった。悪い部分を除去した後、TCVが新しい国を作る。そういうシナリオだった。  小川の言うとおり、俺は何のために革命に賛同し、そして何のために離脱したのかと祐作は思った。ペドロは貧しい人のために武器を持ったのではなかったのか。そして武器を捨てたのでは?  ムカつく気分で資料を眺め終えて、祐作は初めて脱走したくなった。 ペドロに問いただしたい。何があった? それとも、これは最初から決まっていたことだったのか?  祐作は数日、食事を摂らなかった。真剣に脱走計画を練っていたからである。コロンビアには二度と戻らないと思っていたが、ペドロともう一度話をしたくなった。会って、顔を見て話したい。  食事をしないことは、どうやら「反抗」の一種だと捉えられたらしく、祐作は三日目に強制的に食事を口に押し込まれた。下手な拷問並みに手際が悪く、気管に米が入ってむせるわ、まだ噛み切ってないものを水で流し込まれて胃が痛むわ、散々な目にあった。だからその次からは、祐作もきちんと食べることにした。刑務官たちは満足そうだった。  祐作はできるだけ、今までの生活を崩さないように努力した。聞いたところによると、一番早くて確実に外に出る方法は、どうやら刑期満了らしかった。あと数カ月だという。脱走なんて考えるよりも、このまま模範囚でいる方が確実に外に出られるのだ。だったら模範囚であり続けよう、と祐作は思った。  毎日は単調だった。起きて掃除をし、食事をし、それから午後まで昼の食事を挟んで三時まで勉強、あるいは職業訓練。その後、各自のカリキュラムによって反省会に出席したり、カウンセラーに会ったり、個人面談を受けたりする。  祐作の場合は毎日同じだった。過去の行動について思い出す、というもの。TCVのことを言えばいいんだ、と最初に言われてから、祐作は午後の二時間は沈黙の時間と決めた。担当官によって、態度は様々だった。黙っていることは、それだけで「反抗」だと殴る刑務官もいれば、読書する刑務官もいた。毎日革のグローブをもってくる刑務官がいた。彼は素手で殴ると痛いから、とライダーグローブをつけて殴った。一度、力を入れすぎて、祐作の鼻の骨が折れ、いつもよりも出血したために、その所業がバレ、異動になった。  今の定年間近の担当刑務官は、殴りもしなければ、無視もしなかった。本気で祐作と話をしたがっていた。スペイン語を勉強しはじめた時には、祐作も驚いたが、なかなか上達しなかった。彼は退任したら、ボランティアを始めたいのだと言っていた。近所に南米からの出稼ぎ家族がいるらしい。  そうですか、と祐作は彼のスペイン語レッスンにつきあった。のんびりとした時間が流れていた。  小川と初めて会ってから、半月が過ぎようとした頃、祐作は少年刑務所で懐かしい顔に出会うことになる。  ペドロの息子、チコだった。
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