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少年刑務所に抹殺指令をかけることは、コロンビアなら簡単だろうが、日本ではペドロも手を出せなかった。それでも麻薬カルテルか何か知らないが、ジャパニーズマフィアのなりそこないが、たまにやってくることがあった。たいてい、祐作がコロンビアでしてきたことを教えてやり、死体の詳細を教え、人間の内臓がどうなっているのかを教えてやると、命が惜しくなって、刺客を投げ出したものだ。もちろん話を聞かない奴には実力で出て行ってもらった。
祐作が怪我人を出すと、周りが「怪我人は勝手に転んで怪我をした」と証言してくれる程度に、祐作にも人望はあった。
それでペドロも、いや、今でも彼の若き参謀であるハネイロが命じたのかもしれないが、業を煮やし、チコを投入しようと考えたのだろう。チコはペドロの息子であり、血はつながっていないが祐作の兄でもあった。小さい頃は、本当に兄弟のような存在だった。十代になり、互いをライバル視するようになるまでは。
祐作は午後の初級スペイン語レッスンの講師を務めたあと、同じ担当官に「そういえばコロンビア人がまた来たらしい」と言われ、促されて窓を見た。
運動場でサッカーをしているチコは、四年前とほとんど変わってなかった。ペドロに似た長身と、母親にもらった赤毛の髪を揺らし、楽しそうに笑っていた。
会いたい、と言って会えないのはわかっていた。刑務官だってスペイン語で祐作と新人がペラペラ話されては、何か企むのではないかと恐れるのも当たり前だ。もし天気の話しかしてないとしても、彼らは不愉快になるだろう。
そこで、初級スペイン語講座の生徒が登場だ。
「私が立ちあいますから」と彼はにこやかに所長に申し出た。「スペイン語は多少わかります。おかしな話になったらやめさせますから」
祐作は彼がどうしてそんなことを言うのかわからなかった。気が狂ってるんじゃないかと思ったが、彼はどうもボランティアの気分だったらしい。祐作がスペイン語を話したがっていることは、誰の目にも明らかだった。日本語も英語も、日常会話に苦労するほどではなかったが、考えずに話せる母国語を自由に話せないのは、不便だった。
交渉はさらに二週間かかった。
チコが模範囚であることを丁寧に示し、祐作ももちろんいつも通りに静かに暮らした。稀にチコとすれ違うときも、互いに目を合わせることさえしなかった。
小川警部がやってくる予定の前日、突然五分だけの面会許可が下りた。本来、自由時間なら誰とでも話をしてもよく、同室ならなおさらな、夕食後の三十分。そのうちの五分だ。
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