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第四章 家族
今藤武志は、職場から帰宅後、オーストラリア・シドニーの自宅で衛星放送の日本のニュースを見ながらビールを片手にくつろいでいた。
「そういえば、しばらく母さんの声を聞いてないな」
最先端の緊急連絡付きのロボットが面倒を見ているので、大丈夫だと思っていた。
「そろそろ電話してみるかなあ」
のんびりと考えていた時、
――ネバーネバーワールド社、大規模倒産。
というニュースが目に飛び込んできた。
「ちょっと待てよ、この会社……」
間違いない、ロボットを頼んだ会社だ。
――粗悪な製品に対する相次ぐリコールが連続訴訟に発展、賠償しきれず、倒産。被害総額は十七億円。
「粗悪な製品?!」
そんなはずはない。購入にあたっては慎重に慎重を期して製品のスペックを調べ、ちゃんと営業とも話し(誠実な感じの営業だった)、アフターフォローも万全だと太鼓判を押されたので、決めたのだ。
「営業、たしか、金目さん!」
財布の中の名刺を探り、時差をすっかり忘れて架電したが、「この電話番号は現在使われておりません」というアナウンスが流れるだけだ。
「大変だ、母さん、母さんにも電話しないと」
続いて、日本へ国際電話をかける。十コールほどで、母が出た。
「もしもし」
「母さん? 武志だけど」
「あら、元気? どう、そっちの生活は?」
「それどころじゃないよ、母さんに届けたロボット、粗悪品だったんだよ、ごめん! 大丈夫? 困ってるんじゃない?」
「特に問題はないわよ」
「でも、リコールにつぐリコールで」
「ああ、旧世代のOSの問題かしらね」
知世は落ち着いた様子で話した。
「よくよくサポートページを捜せば、対応パッチがアップされているから、それをインストールして、コマンドを入力すれば復旧するわ」
「か、母さん……?」
「それとも、『ちょっと持ってきて』機能の不具合のことかしら。コミュニティに対応方法があるから、そっちで解決できるわよ」
「か、母さん、ど、どうしたの? ロボットに困らされていないの?」
「問題ないわ、大丈夫よ」
「粗悪な製品だったんだ。迷惑なんじゃない? 俺、これから法的な手続きについて調べるから、できるだけ急ぐから、とにかくそのロボットは回収してもらって」
「回収してどうするの」
「そりゃ、廃棄されるんじゃないかな」
「駄目よ」
きっぱりと、知世は言った。
「そりゃ、味噌汁を飲めば止まるし、『ちょっと持ってきて』機能は一度ものを動かしちゃうと認識できなくなるし、会話もあまり筋が通っていないけど、でも、廃棄なんて駄目よ。ありえない」
「なんにもできないロボットなんだろ」
「なんにもできないわ。でも、それでいいの」
「よくないよ、迷惑じゃないか。俺たちは悪質な会社に騙された被害者なんだよ」
「武志」
知世は微笑んだ。
「そういえば、忙しさに取り紛れてまだお礼をちゃんと言っていなかったわね。『エエコ』さんを贈ってくれてありがとう」
「お礼なんて。俺、良かれと思ったけど、母さんに逆に迷惑かけちゃって」
「迷惑なんてかかってない。感謝してる」
「でも、駄目なロボットなんだろ」
「武志、あんたは本当にいい子に育ってくれたわ」
「母さん?」
「父さんがいなくなって、あんたたちもオーストラリアへ行って、寂しい思いをしていたわたしを気遣ってくれた。離れていても、あんたはわたしの自慢の息子よ。ねえ、武志、あんたを育てる時、わたしは苦労した。そりゃそうよ、親に全然迷惑かけない子供なんていないわ。『エエコ』さんも同じ。初めはもうわからないことだらけ。何度もサポートセンターに電話して、拡大鏡を買って説明書を読んで、人に聞いて……少しずつ、『エエコ』さんのことを本当に知って、コミュニティに入って、仲間ができて、この歳で新しくできることが増えたわ。『エエコ』さんもだんだん止まらないようになった。そりゃ、相変わらず家事は駄目だけど、ね」
「母さん」
「あんたのプレゼントのおかげで、わたしは変わったわ。もう独りで食事してテレビに話しかけていたわたしじゃない。ねえ、武志、『家族』の資格って、なんだと思う? 距離じゃないとしたら、年齢でもないとしたら、できる・できないでもないとしたら、後に残るのは、なにかしら」
「それは……なんだろう……」
「わたしは、名前を呼べることだと思うのよ」
「名前?」
「そう。大変な時、嬉しい時、悲しい時、喜んでる時、名前を呼べる。心置きなく名前を呼べる存在。それが家族だと思う。確かに『エエコ』さんはなにもできない。でも、わたしもいずれなにもできなくなる。身体はどんどん動かなくなるし、もしかしたら、あんたのことも忘れてしまう日が来るかもしれない。だからね、『エエコ』さんは、昔の子供の頃のあんたで、これからなるわたしなの。あんたは、わたしがなにもできなくなっても、捨てないわね? 破棄しないわね?」
「するわけないだろ!」
「だったら、『エエコ』さんもずっと家に置かせて。『エエコ』さんだけなの、いまのわたしを『知世』って呼んでくれるのは。『エエコ』さん、武志よ。わたしたちの家族よ」
不意に、別の声が聞えた。
「『武志』さん、はじめまして、『エエコ』です」
その声は確かに機械の声だった。人間の温かい声ではなかった。けれど、たどたどしく「『武志』さん」と呼びかけられた時、武志は母の言っていることがわかった気がした。何もできないロボットに唯一できること。家族の資格は、機械か人間かじゃない。
「はじめまして、『エエコ』さん。これからも母さんをよろしく」
『エエコ』さんの後ろで、知世が朗らかに笑っているのが、武志にはわかった。(完)
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