第一章 雷雨

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第一章 雷雨

 その夏の日は昼過ぎから激しい雷雨になると予報されており、インターホン越しの男の声には既に雷鳴が混入していた。 「失礼いたします、『みんなワックワク・笑顔でメカメカ』のネバーネバーワールド社、第一営業部第二課長の金目でございます。十六時からのお約束にて参りました」  がらどどん。  瞬間、雨空を蛇のように走り抜けた稲光に思わず目を閉じた今藤(いまふじ)知世(ともよ)は、耳慣れぬ名前を訊き返す。 「え、すみません、どちら様ですか」 「失礼いたします、『みんなワックワク・笑顔でメカメカ』のネバーネバーワールド社、第一営業部第二課長の金目でございます。十六時からのお約束にて参りました」  どどん、どどん。 「お約束、ですか。わたし、そんな約束した覚えは」 「今藤(いまふじ)武志(たけし)様からのご依頼で本日はうかがいました」  突然現れたセールスマンに、知世は戸惑いを隠せない。 「そんなことを言われても……息子は昨日オーストラリアへ赴任していて」 「はい、ご子息、武志様からのご依頼で本日はうかがいました。わが社の最新製品をぜひご購入いただきたいと思いまして。いえ、お代金は武志様よりちょうだいしておりますので、知世様にご厄介をおかけすることはありません」 「そう言われれば」  ――俺たちが向こうへ行ったら、母さん、話し相手もいなくなっちゃうだろ。もう六十六歳なんだから安否が心配だし、今度、とびっきりいいものをプレゼントするからね。 「武志からのプレゼントのことですか」 「さようでございます」  では、開錠をお願いいたしします。  念押しされた知世が開けたドア先で、三メートル先も見えない豪雨の中、髪の毛一筋すら濡れていないセールスマンが完璧な笑みを浮かべていた。 「本日はよろしくお願いいたします」  がらがらどっどん。  グラスの麦茶の中で、氷が、かろりと音を立てて崩れた。 「まず改めて、自己紹介申し上げます。わたくし、金目星生(かねめほしお)でございます」 「はあ。わたしは今藤知世ですけれど」  渡された『みんなワックワク・笑顔でメカメカ』とキャッチフレーズが入った名刺をリビングテーブルの上に置き、知世は困惑気味に頬に右手を当てる。 「プレゼントって、製品って、なんですか」  会社名に『メカメカ』とキャッチフレーズがついている以上、それは便利なエアコンのような物だろうか。 「掃除機なら間に合っていますけど。炊飯器も」 「これは失礼いたしました、商品をご紹介いたします」  金目はビジネスバックから厚さ五センチはあるフルカラーの冊子を両手で取り出した。 「弊社の最新カタログでございます。どうぞお好きなページをご覧ください」 「……なんですか、これ……」  無造作に開かれた紙面からたくさんの笑顔が知世を見返していた。マネキンのような、人造の、機械の笑みだ。 「弊社は家庭用ロボット専門メーカー、販売会社でございます」  誇らしげに、金目は声を張った。 「昨年の製品発表会は大々的に報道に取り上げられましたので、ご存知の製品もおありでしょう。弊社の製品は味気ないただのロボットではございません。最先端の技術工学を駆使した人類の英知の結晶、輝ける未来への大きな可能性です。中でも、今回、知世様にご紹介するのは、お一人暮らしのお供に最適な『家族』機能付きの最上位機種でございます。ご近親者様への緊急時連絡、お好きなお名前つけ、便利な『ちょっと持ってきて』システム、会話・食事可能な、究極に洗練された最先端の製品です」  セールスマンの指が、顔の中の一つを示す。 「こちら、ZWSシリーズ・E―一〇七七です」  マジックで引いたような太い一本眉、おちょぼ口、まん丸の目に三本まつげ。エプロンの上に二本の三つ編みが垂れている。他の顔がもっと人間らしい、繊細な印象なのに、E―一〇七七は幼い小学生が授業参観日に描いた『うちのおかあさん』のような容貌だった。 「よくわかりませんけど、これがお勧めなんですか」 「さようでございます。入荷三年三か月待ちのところを、現金ご一括お支払特典として明日のお届けになりました。おめでとうございます」 「え」  知世は思わず腰を浮かした。 「ちょっと待ってください。よくわかりませんけど、えーっと、このロボット? が明日ここに来るんですか」 「はい。荷ほどき後は、まずご命名いただき、『ちょっと持ってきて』システム用に家内の物品配置をご入力、それから」 「いりません、わたし、新しいものに疎いんです。武志には悪いけど、ロボットなんていりません」 「しかし、キャンセルに伴い、ご返金はございませんが」 「返金?」 「はい。先日、武志様よりご入金いただきました三百万円は一切、ご返金できかねますが、よろしいですか」 「さ、三百万円?!」  知世の腰が砕けた。外の空を雷光がよぎる。 「これ、これが三百万円で、返金不可なんですか!」 「はい。いまキャンセルされますと、E―一〇七七はもちろん配送されませんし、返金もございません」 「それじゃ、武志の手元に何も残らないじゃないですか。わたしに対するあの子の思いやりの形は、消えてしまうんですか」 「残念でございますが、さようでございますね」  金目は爽やかに言い切って、「いただきます、ありがとうございます」と言って麦茶を飲み切った。スマートフォンを片手に確認する。 「キャンセルでよろしいでしょうか」 「い、いいえ、いいえ、受け取ります。返金できないのなら、受け取ります」 「かしこまりました。では、明日よりよろしくお願いいたします。何かありましたら、サポートセンターがございますので、そちらへご連絡ください。こちらはE―一〇七七の取扱説明書ですので、ご熟読いただければ幸いです。失礼いたします」  そう言って、セールスマンは今藤家のリビングテーブルに、キャッチフレーズがにぎやかな名刺と鈍器のような分厚いカタログと小さな文字でびっしり埋め尽くされた取扱説明書を残し、再び雨の中へ消えた。  気付けば、雷は止んでいた。
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