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正規軍のおかげで事実上、獣人の災禍から解放されたナジャは、もともと交通の要衝だったことも手伝い、辺境の地としては稀に見る賑わいを見せている。
どこまでも立ち並ぶ石造りの家。
通りを埋め尽くす市と、飛び交う商人たちの声。競りの怒号。貨幣と、その代わりとなる金、そして銀。
だが。いつもは心躍るこれらの光景も、今日に限ってはロアの心を動かすことはなかった。
この町に、あの男がいる……
「どうした、ロア」
隣を歩くリクが、心配顔でロアの顔を覗き込む。
「……何だ」
「すごく顔色悪い。何か心配事?」
「お前には関係ない。それより軍の出張所を探せ。さっさとこの臭い代物を換金させろ」
軍に属さないフリーの異種族殺しは、もっぱら軍の出張所で自身の戦果を報告し、討伐の証と引き換えに金銭を頂く。それが彼らの主な収入源で、数をこなせば短期間で一財産を築けるだけの収入を得られる一方、危険も多く、狩りの途中で命を落とす者も珍しくない。
「看板発見!」
やがてリクは、歓声とともに意気揚々と人混みの奥を指さす。が、人混みから頭が突き出るリクならともかく、小柄な部類に属するロアにはいっこうに看板が見つからない。
そんなロアの身体を、リクは何の断りもなく抱え上げる。
「お、おい!」
「見える?」
「いや、そういう問題じゃー―あ、ああ見えたよ! 見えたとも! だからさっさと下ろせ!」
「うん」
ようやく地面に下ろされ、ほっとロアは息をつく。それにしても何という腕力と膂力。ついこの前までロアが抱える側だったのに……
「お前はここで大人しく待ってろ。くれぐれも獣化――いや、妙な真似はするな。分かったな?」
きつく言い残すと、ロアは出張所へと足を向けた。
今回のロアの成果は、先程仕留めた十二匹分の獣人と、一昨日に獣人のアジトで殺した二十七匹分の獣人。本来なら一個中隊で襲うべき数だが、ロアにかかれば独りでも造作のない相手だ。
「す……凄いな。さすがは元掃討部隊の……」
カウンターにずらりと並んだ右耳を眺めながら、経理係の兵士が呆れ顔で呻く。
「まぁ、さすがに全部ってわけでもないがな。こっちの二匹は俺の連れが仕留めた分」
「それでも、これだけの数をほぼ一人で……改めて恐れ入ったよ。すぐに報酬を用意しよう」
ほどなくカウンターに所定額の金貨が積まれる。ロア一人なら一年は遊んで暮らせる額だ。もっとも、リクと二人で分け合うとなると若干計算が狂ってくるが。
それらを腰の麻袋に放り込み、礼を言って踵を返す。
去り際、ふと思い出し、訊ねた。
「そういえば、最近ここにゲインが立ち寄らなかったか」
「ゲイン? ああ、来たよ。昨日だったかな。どっさり耳を持ち込んで――そういや奴も、あんたと同じ元掃討部隊だったっけな」
「彼は今回、何匹仕留めた」
「何だ? 競争でもしてんのか? ……そうだな、今回はたしか五十匹ちょいだったな。もっとも奴の場合、あんたと違って女やガキの獣人もまとめて狩って来るから、単純に数字だけを比べるのも俺はどうかと思うがね」
「……そうか」
ロアの脳裏を、ふと、古い光景が掠める。
一面が焼け野原と化した森の奥の小さな村。肉の焦げる不快な臭いが充満するその中で、彼は、母だったものの肉塊を延々と揺さぶり泣いていた。
朝日を吸って輝く金色の髪。朝焼けの空の下でもなお鮮やかに燃える深紅の瞳。その、紅玉にも似た美しい瞳が、ゆっくりと、こちらを振り返る――
「どうした、ロア」
はっと我に返る。見ると、窓口の兵士が怪訝そうにロアを見つめていた。
「あ、いや……感謝する」
慌てて礼を言うと、ロアは逃げるように出張所を出た。
通りに戻ると、リクの姿が忽然と消えていた。図体だけは無駄に大きなリクの姿は、どんな人混みでも決して見落とすことはない。
そのリクが、今はどこにも見当たらない。
「あのガキ……!」
これが森や荒野であれば、はぐれたところでそこまでの縁だったと見限っていただろう。が、一度町に連れ込んだ以上、そのことで生じる問題は全てロアの責任となる。だからこそ、ここを動くなと何度も言い聞かせてやったのに、蓋を開けるとこのザマだ。
「……仕方ない」
とりあえすリクを探すとしよう。仕事を終え、ほっとした矢先の面倒事はつくづく気が滅入る。が、それもこれもロア自身の甘さが原因だ。あの子供を振り切ることのできなかったロアのー―
そもそもどうして、あんな奴を、俺は。
それから半刻ほど周囲を探したが、結局、リクは見つからなかった。
さすがに疲労も限界に達し、加えて空腹も感じていた。そこでロアは、一旦リクの捜索を打ち切り、先に宿の確保を急ぐことにした。
秋風亭は流れの旅人、とりわけ腕自慢の異種殺しの姿でいつもにぎわっている。一階の酒場兼食堂には異種族の出没情報が飛び交い、それを目当てにまた旅人が、そして情報が集う。料理も絶品で、本来なら飛び込みで部屋を取るのは難しいほどの人気の宿屋だ。が、ロアに限ればこの店では特に〝顔〟が利いた。たとえ満室でも、店の若主人が払いの悪い客を蹴り飛ばしてでも部屋を工面してくれるのだ。
「よぉ、久しぶり、カミラ」
店のカウンターに顔を出すと、ちょうどその若主人が店番に立っていた。年齢は三十手前のロアとそう大差はない。が、先代の店主が五年前に森で竜に喰われてしまい、以来、店主としてこの店を必死に切り盛りしている。
「おう久しぶり。――あれ? リクは?」
怪訝な顔で訊ねるカミラに、ロアはうんざり顔で肩を竦める。
「行方不明だよ。まずは宿を確保しておきたくてな」
「ゆ、行方不明って、大丈夫なのか? あの子はその、獣じ、」
「分かってるよ。けど、さすがに体力の限界でね。ひと眠りした後で改めて探しに行くさ。で、部屋は空いてるのか?」
「部屋? あ、ああ……ちょうど今朝、長いことウチに居座っていた異種殺しのパーティが森で小鬼どもにやられちまってね。まだ若干荷物が残っているんだが、それでも構わなければ、いいぜ」
「ああ。構わない」
カウンターから投げられた鍵を受け取り、階段を上る。二階の部屋に入ると、カミラの言ったとおり前の宿泊客のものと思しき武具や防具がそのまま残されていた。おそらく小鬼相手と侮り軽装備で出かけたのだろう。その証拠に、重量のある金属製の防具が一式綺麗に残されている。
リクを見つけたら、あいつの馬鹿力で外に運ばせるか……
そんなことをぼんやりと考えるうち、次第に瞼が重くなる。シーツが乱れたままのベッドにどさりと身を投げ出した時には、早くもロアの意識は穏やかな眠りの海へと沈みはじめていた。
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