【獣人攻め】抱擁するは許されざる愛

7/21

193人が本棚に入れています
本棚に追加
/21ページ
 憎しみこそがすべてだった。あの日、あの瞬間までは――    その日の仕事は、例によって獣人の村の殲滅だった。六十匹ほどの獣人が群れて暮らす小集落。雌も子供も含まれるその集落に、いつものようにロアは風のように飛び込み、一匹一匹、音もなく殺戮していった。  半刻の後には、息をする獣人は一人として村に残されていなかった。少なくとも、ロアはそう判断した。  殺戮を終えると、続いて攫われた人間の救出に移る。獣人の集落、とくに若い雄が群れて作る盗賊団には必ずと言っていいほど若い女や子供が生きたまま監禁され、生き地獄にも等しい暮らしを強いられている。そうした被害者を一刻でも早く救い出すのもロアの重要な使命だった。  かつてロアも、そのような生き地獄を強いられたことがある。  平和だったはずの村に、奴らは突如現れた。家は焼かれ穀物は簒奪され、男は殺され女は嬲られた後で殺された。ロアの家族も例外ではなかった。父は、獣人に犯される母を前に四肢を捥がれ、まだ小さかった弟や妹も玩具のように犯され殺された。発狂した母はその後どこかへ連れて行かれたが、その後のことは想像したくもない。  そしてロア自身も、散々嬲られたあとで獣人たちの長のもとに連れて行かれた。それからは毎晩が地獄だった。幼い身体には堪え切れないほどの苦痛と屈辱。獣人の吐き出す生臭い精に塗れながら、何度も、何度もロアは死を願った――  さいわい、今回の村にはそのような人間は一人も見当たらなかった。  が、ここにいなければ次の村、あるいはそのまた次の村に必ず被害者は存在する。今この瞬間も絶望の淵でロアの助けを待っている。歩みを止める暇はない。  ふと足元に何かが引っかかって、見ると、それは獣人の子の死体だった。  それをロアは、土袋でも蹴るように無造作に蹴り飛ばす。あの頃のことを思うと、たとえ子供であっても生かしてはならない。そう、魂が絶叫する。その叫びに突き動かされるように、獣人どもの死体の山をロアは築いてきた。  それでも。  足りない。まだ、足らない。  生存者がいないことを確かめると、最後の仕上げに村へ火を放つ。獣人の死体もろとも焼き尽くし、仲間の死を周囲の獣人どもに知らしめる。  勝利宣言。人間の、獣人に対する勝利宣言だ。  やがて燃えるべきものがあらかた燃え尽くし、ようやく炎が収まり始めた頃だ。 「……?」   ふと、どこからともなく子供の泣く声がした。まさか、救うべき誰かを見落としていた……?  気付くとロアは駆け出していた。助けなければ。一刻でも早く――  声は、とある家の焼け跡の中から響いていた。屋根も壁も焼け落ちたその焼け跡には未だに煙が燻っている。その霞んだ視界の奥で、一人の少年が焼け焦げた死体を揺すりながら泣きじゃくっていた。  狼の頭と、金色の毛に覆われた身体。  間違いない、獣人の子だ。 「――っ」  無言のまま、腰の剣を抜き放つ。  おかしい。村にいる獣人は一匹残らず片付けたはずだ。いや、おそらく森に狩りに出かけるなどして村を離れていたのだろう。確かに、よく見ると少年の傍らには小さなウサギの死骸が転がっている。 運が良かったのだろう。が、いずれにせよーー 殺す。  獣人なら、たとえ子供であっても。  ーーだが。  ロアは、その獣人の子を斬り捨てることができなかった。  理由は分からない。ただ、その獣人の子供に剣を向けた刹那、ロアの中で何かが激しく軋んだ。その子が抱く恐怖、絶望、嘆き、そういったものが拒んでも拒んでも胸に流れ込んでくる。その痛みに心が悲鳴を上げたのだ。  結局そのまま剣を収めると、無言のままロアは村を後にした。  獣人といえどまだ子供。親もなく、たった一人で森に捨て置かれれば遠からず敵に喰われて死ぬか、さもなければ飢えと渇きで死に至るだろう。わざわざロア自身が手を下すまでもない……  がさり。  背後から、草むらを踏み分ける足音がして振り返る。見ると、先程の子供が遠くからロアについてきていた。追撃にしては頼りなく、復讐の機会を狙うにしても余りに無防備な尾行。いや、こんなものはそもそも尾行ですらない。孤独と不安の中、唯一見出した縋るべき大人、それが、皮肉にも彼から家族を奪った張本人だっただけのこと。  ーー来るな。  だが、願いに反して獣人の子は黙々とロアを追う。仕方なしに歩みを速めるも、獣人の子はそれでも必死にロアに追いすがった。時に木の根に足を取られ、躓いて傷だらけになっても。  が、やがてロアの願いが届いたのか、とうとう獣人の子は歩みを止める。どうやら岩場で足を滑らせ挫いてしまったらしい。  助けるつもりなどなかった。微塵も。  だが、気付いた時にはすでにロアは踵を返し、うずくまる獣人の子に手を差し伸べていた。彼は怯えたようにロアを見上げると、やがて、躊躇いながらもその手を取った。  ――お前、名前は。  ――リク。  答えると、リクと名乗る獣人の子は初めて微笑んだ。  以来ロアは、たとえ獣人であっても危険度の少ない子連れの集落を襲うことはしなくなった。  獣人は憎い。それは今も変わらない。  ただ、そうした集落の襲撃を想像したとき、どうしても泣きむせぶリクの姿が脳裏にちらついてしまう。全てを奪われ、絶望に沈んだあの日の自分によく似た獣人の子の流す涙が。  
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!

193人が本棚に入れています
本棚に追加