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「そういえば…御子柴君遅いですね。」
「そうだな…もしかしたらまだかかってんのかもな。まぁあいつのことだからひょっこり来るだろう。じゃぁ俺たちは帰るな。あと数日ゆっくりしろよ。」
「すみません、ありがとうございました。」
先に帰った父の後、二人も帰路についた。
一気にがらんどうとした室内は寂しく感じる。リクライニングのスイッチを押して眠る体勢になった。
時折ずきんと熱くなる胸部が撃たれた時のことを思い出させるが、少年の命が無事と聞いて名誉の痛みのように思えて嬉しくなった。
「はぁ……会いたいな……」
部屋に移動して最初にカレンダーを確認した。驚いたことに五日も眠っていたらしい。流石に寝すぎだろ、俺。と自嘲する。
確かにひどい怪我だったが起きてしまえばなんてことないように思えた。それよりも悠に会えない方が精神的につらい。
スマートフォンをいじって連絡をしても応答がない。
(忙しいのかな…)
するとぽろんと音が鳴ってチャットアプリのお知らせが光る。
『案件が長引いてていけない。体は大丈夫か。』
(あの人らしいなぁ)
ご心配ありがとうございます、と一言送信するとそこからは返信が来なかった。
早く会いたい気持ちがむくむくと湧き上がっているがここは大人しく、早く現場復帰できるように今はしっかり休もう。布団をかけ室内の灯りを全て消した。
それから数日して退院の日。本来なら一度自宅に戻って荷物を置いてくるべきなのだが早く仕事に行きたくて結局キャリーケースをガラガラと押しながら職場に向かうことにした。
対策室の扉を開くと、三人は焦りの色を浮かべた顔で振り返った。
「どうされたんですか…?」
絞りだすように声を発すると支倉が一枚の紙を手渡す。
辞表と書かれたその紙。裏には支倉悠の名前が書かれていた。
「朝来たらあったの…」
その紙を持つ手が震える。驚きか、焦りか、悲しみか、はたまた怒りか。力任せに握るとくしゃくしゃになった辞表を叩きつける。
支倉はそれを拾い、びりびりに裂いてゴミ箱へ投げ捨てた。
「鷹橋、お前に一つ案件を頼みたい。悠を探し出してくれ。」
スマートフォンと財布、車のキーだけ身に着けて警視庁を飛び出した。
車のエンジンを吹かして悠の居そうな場所をくまなく探す。アパートは既にもぬけの殻だった。
馴染みの店は数少ないが、そこにも居ない。治樹は段々と苛立ちを募らせた。
(冗談じゃねぇぞ…!!)
清涼菓子を数粒口に含んで力任せにかみ砕いた。そのままアクセルをベタ踏みして首都高速を制限速度ギリギリで走行した。
都内はやや混雑していたがさすがにそこを出ればだいぶ車の数は減ってきている。
だが運の悪いことに白い雪がちらつき始めた。季節は12月も下旬。一課の手伝いに行く前、悠の家での会話が蘇る。
『クリスマス、当日じゃなくてもお祝いしましょうね。』
『はぁ?女じゃねぇんだぞ。別にそんなことしなくても…』
『だめです。まぁ、流石に高級ディナーとかは難しいですけど、夜景見たりしたいなぁ。』
『寒いからやだ。』
『じゃぁホテルから見る?』
『……っばっかじゃねぇの!?色欲魔人!!もーお前の好きにしろよ!』
『あは、いいんだ。』
(今日がクリスマスだよ…)
インターチェンジを下りて一般道に入る。雪が少しずつ本降りになってきた。風が無いのがせめてもの救いかもしれない。
目当ての場所が近づき、適当な場所に車を停める。秋に来たときのように舗装されていない坂を上ると黒いコートを着た人物が海を眺めていた。
どうしていなくなってしまったんだろう。治樹はすぐにでも抱き着きたい欲を必死に抑えてゆっくりと近付く。
「何してんだお前。」
冷たい声が耳に入る。出会って間もない頃のようだ。
「あんたこそ、何してんすか。」
精一杯理性を働かせる。内心は感情で埋め尽くされているのだが。
「もう俺に関わるな。失せろ。」
「……どういうつもりですか。」
「そのままの意味だよ。警察の仕事も辞めた。お前はもう俺と無関係なんだよ。」
「だから!!どうしてそうなるんだよ!!」
「っ離せ!!」
「嫌だ。ちゃんと俺の顔見ろよ。俺の顔見て言ってみろ…!」
悠は伏せたまま深呼吸して治樹の顔を見る。一瞬戸惑いの色が見えたことを治樹は見逃さなかった。
(未練たらたらじゃねーか…)
絶対に離さない。悠の細い腕が折れても絶対に離さないと力を込める。痛みに顔が歪んだ。
「もう関わらないでくれ…」
ぽろぽろ雫が零れた。セックス以外で泣いているところを見るのは初めてかもしれない。
治樹は「やはりか」といった気分だった。突然の蒸発、自分が原因だった。
「ねえ、ちゃんと説明してよ。俺も皆も全然納得いってないよ…こんなこと…」
雪がどんどんと強くなる。本降りになる前にここから出ないと大変なことになりそうだ。
気付くと悠の頭や肩に少し雪が積もっている。治樹も同じだった。
「とりあえず、車乗って。いい?俺アンタのこと手放すつもり全然ないからね。分かった?はい、立って。」
抵抗されるかと思ったがあっさり言うことに従ってくれた。握った手が冷たい。自分のしていたマフラーを悠につける。
少し積もってきた道をすべらないように気を付けつつ、足を急がせた。車もだいぶ雪に埋もれてしまっている。
「どうして…どうしてそこまで俺に執着するんだよ。お前ならいい女も地位も手に入れられるじゃないか。俺と一緒にいるメリットなんかない。そうだろ。」
「……あの、好きな人と一緒以上のメリットってあります?」
呆れた表情で悠を横目に見る。車内が漸く温かくなってきた。車に積もった雪が少しずつ溶けていく。
それ以上に言葉が続かずまた黙って下を向いた。
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